久保田城

秋田城から秋田駅にもどるバスを途中下車(『川反入口』バス停、『秋田城跡歴史資料館前』バス停より320円)して、久保田城も見学しました。前回登城は2009年、干支が一回り以上するほど久しぶりです。

現地案内図

久保田城について

歴史

江戸時代・慶長8年(1602年)、久保田藩の初代藩主となっていた佐竹義宣さたけ よしのぶが、当初の居城であった湊城が手狭な平城であったため、より規模が大きく防衛に有利な平山城として築城したのが窪田城くぼたじょうです。その後正保4年(1647年)までの間に名が久保田城と改められました。

江戸時代中は数度の火災による建物の焼失・再建を繰り返しますが、それ以外には大きな変化はなく、江戸時代の最後まで佐竹氏の居城でした。

明治時代に入ると、戊辰戦争により東北地方の多くの城が破壊されるなか、久保田城は被害を逃れることが出来ました。廃藩置県が行われた後には本丸に秋田県庁が置かれたこともありますが、明治13年(1880年)に発生した火災で城内の建物は全焼してしまいました。

構造

標高45mほどの独立丘陵(神明山しんめいやままたは三森山みつもりやまと呼ばれていました)の最上部を平坦に均して本丸とし、その周りを囲むように中程の高さの位置に二の丸や帯曲輪がつくられています。丘陵周囲を内堀で囲み、その外側の平坦部に三の丸や西曲輪を配置し、さらにその外側を外堀で囲んで防備を固めています。

見学ガイド

現在は丘陵部(二の丸・本丸)が千秋公園として整備され、いつでも見学可能です。秋田市街地にあり、JR.秋田駅から徒歩でも10分程度で公園入口まで行くことが出来ます。

城内の建築物としては、本丸表門 が木造復元されています。本丸表門前には唯一の現存建築である 御物頭御番所 があり、日中は内部も含めて見学可能です。本丸北西隅にある 本丸新兵具隅櫓(御隅櫓)は鉄筋コンクリート建築による復興建物で、内部は資料館になっています。

いざ登城

今回は秋田駅からではなく、秋田城から秋田駅へ向かうバスを『川反入口かわばたいりぐち』バス停で下車して、そこから徒歩で向かいました。

城の南側からアプローチ。これは 穴門の堀 、もとは外堀の一部でした。

前回の登城時もこのルートを使ったような気がするのですが、当時は今に較べても知識が少なかったのと、GPSを持っていなかったため記録がちゃんと残っていません…。

穴門の堀と中土橋を挟んだ向かい、大手門の堀 です。こちらももとは外堀の一部でした。穴門の堀と違い、水面がまったく見えないほどハスが繁殖しています。

穴門の堀と大手門の堀の間、中土橋を渡って、中土橋門跡です。現在は車が通れるように真っ直ぐな道になっていますが、本来はこの位置で道が2回直角に曲がる(左に直角に曲がって門をくぐり、すぐ右に直角に曲がる)ようになっていました。

かつてこのあたりは三の丸で、家臣の屋敷が並んでいました。現在は芸術・文化関係の施設が集中していて、左手の建物は『あきた芸術劇場ミルハス』、写真には写っていませんが道の右手には『秋田市文化創造館』『秋田市立中央図書館』が並んでいます。

文化創造館の駐輪場ですが、これは中土橋門の土塁跡っぽいですね。

少し進んで、唐金橋跡です。この橋の下は大規模な空堀です。元は内堀だったのかな。ここから坂を登っていくと二の丸に至ります。

二の丸

坂の途中、松下門しょうかもん。もとの道は直進ではなく、中土橋門と同じく2回直角に曲がる(立て札のあたりで左に折れて門をくぐり、すぐまた右に折れて上って行く)構造でした。

二の丸主要部

坂を登りきると二の丸です。現在はこのような広場になっていて、売店や自販機などもあります。

本当は二の丸の南東部、この写真を撮っている位置の右後方には佐竹資料館があるのですが、この日は補修工事かなにかでそちらのエリアには立ち入れなくなっていました。

1つ前の写真の左フレーム外には、二の丸から本丸表門へ続く長坂があります。本丸へアクセスする正規ルートです。

馬場

長坂から本丸へは上がらず、まず二の丸を奥へ進んでいきます(本丸東側を北に向かって進んでいます)。

本丸裏門へと続く階段です。表門前の長坂は途中で折れ曲がり、長坂門(二の門)をくぐらなければ表門までたどり着けないようになっていたのに対し、裏門側の階段は一直線で途中に門がなく、すぐ裏門にたどり着ける構造だったようです。

さらに北へ進むと、馬場だった場所です。現在は公園(写真の胡月池を中心とした回遊式庭園)として整備されており、このような噴水も観られます。

噴水のある池には、大賀蓮(古代蓮)が栽培されています。2000年前のものと思われる種を蓮研究家の大賀博士が発芽・栽培させたものが元になっていて、千秋公園では譲り受けた6株から保存・栽培しているのだそうです。この日は数輪の花が咲いているのが見られました。一般的な蓮の開花時期は7~8月頃のようなので、1ヶ月早く来ればもっとたくさん咲いているところを観られたのかもしれません。

茶室

今度は二の丸の南西部に行くと、茶室があります。この茶室は城時代のものではなく、昭和になってから建てられたもののようです。

茶室前も庭園が造成されています。

茶室と庭園は城よりずっと新しい時代のものですが、茶室前にあるこの舟形石は、朝鮮出兵の時に加藤清正が持ち帰って豊臣秀吉に献上した、という歴史のあるものだそうです。その後、石田三成の仲介で佐竹家に送られたことで、現在は久保田城内に置かれています。

本丸

長坂・御物頭御番所

さてそれでは、長坂を登って本丸へ向かいましょう。

長坂の中程、このあたりに長坂門がありました。長坂門は二の門とも呼ばれていました。何度も直角に折れ曲がる道筋と合わせて、本丸の守りを固めていました。

本丸表門のすぐ手前には御物頭御番所があります。ここには登城者の監視をする『物頭』が詰めていました。この番所は、明治13年の大火や太平洋戦争中の爆撃による焼失を免れた、久保田城内で唯一の現存建築です。18世紀後半に建てられたものと考えられています。

番所は内部も見学できます。こちらは表側の十四畳間で、この部屋から登城者を監視していました。

こちらは裏手の七畳半間で、役人の休憩に使われていました。

本丸表門

番所前から見上げる本丸表門です。この表門は一の門とも呼ばれていました。残念ながら本来の表門は火災で焼失しており、現在あるのは絵図などの資料や発掘調査に基づいて平成13年(2001年)に木造復元されたものです。扉の柱(鏡柱)の間隔は4.9m、櫓の幅は10.9m・高さは12.5m、2層の堂々とした櫓門です。

本丸表門を入ってすぐの位置には、礎石がみられます。礎石とは柱を支えるためのものなので、本来は表門の真下にあるはずですが、形状を見学できるように少しずらして移設したのだそうです。礎石の上面は平らで、柱が収まるほぞ穴があいていることが判ります。

写真では見づらいですが、全部で6個の礎石があります。

本丸

本丸です。久保田城の本丸は東西約120m×南北訳215mの長方形をしています。周囲を土塁で囲み、さらに土塁の上には多聞長屋や板塀を築いて防備を固めていました。本丸に出入りできる門は4つ、既に紹介した南東の表門・東の裏門の他、南西に埋門、北東に帯郭門がありました。

表門から入ってすぐのこのあたりには政務のための建物があり、その奥の本丸中央部に藩主の居所である本丸御殿があったと言われています。

少し進むと、久保田藩の最後の藩主である佐竹義堯さたけ よしたかの像があります。この銅像はいったん大正時代に建てられたのですが、太平洋戦争中の金属供出で撤去されてしまいました。その後、平成元年(1989年)に秋田市制100周年記念としてようやく再建されました。

埋門・御出し書院

久保田城本丸の門の3つめ、埋門跡です。門は奥の建物(トイレ)のあたり、左奥へむかう道にありました。その先はゆるい下り坂になっており、茶室付近に続いています。

御出し書院

埋門付近より本丸の周囲を囲む土塁に上り、南側(前の写真の左手)に進むと、御出し書院跡があります。本丸の急斜面に張り出すように建てられていた建物です。

斜面の下は先ほどの茶室のあたりです。

御隅櫓

次は御隅櫓へ向かいます。そろそろ開館時間が怪しくなってきたので…(公園自体は日没まで見学可能ですが、建物は16:30に閉館してしまいます)。

先ほどの埋門のあたりから北側(埋門の写真の右手奥)に進んで本丸西側の土塁に登ります。

本丸西側の土塁上です。写真のように現在は舗装された通路になっています。御隅櫓へはこのルートが一番判りやすい&歩きやすいでしょう。

もとはこのあたりには多聞長屋があり、本丸西側を守っていました。

御隅櫓(本丸新兵具隅櫓)に到着。もとは呼び名からも判るとおり武器倉庫として使われていました。

現在の建物は、平成元年(1989年)にコンクリートを使用した近代工法で建てられました。内部は資料館になっています。本来は二層の建物でしたが、展望室として三階が追加されており、本来の姿とはかなり異なる形状だと思われます。そのため城関係の書籍では、表門が『復元』と書かれているのに対して、御隅櫓は『再建』『復興』と表現されています(とはいえ、建築は『資料と発掘調査に基づき』とも説明されているので、1層・2層部分は本来の形状に近いのかも知れません)。

写真は本丸外側から見た姿です。本丸内側からだとどうしても木が邪魔で御隅櫓全体を見るのが難しいです。

御隅櫓1階展示室。久保田藩歴代藩主12人の簡単なプロフィール紹介など。

歴史を紹介するビデオ上映コーナー。椅子が3つしかない…。

前回登城時は竿燈祭当日だったこともあって大変な混雑だったのですが、今回はガラガラ、というか僕以外に見学者の姿が見えません。ゆっくりじっくり、資料・童画などを楽しむことが出来ました。

御隅櫓2階展示室。巨大な久保田城のジオラマは見応えがあります。

久保田城のジオラマを南東側から。中央の一番高くなっている部分が本丸で、その手前には先ほど登ってきた長坂が見えます。御隅櫓は本丸の右奥部分です。

御隅櫓3階はお約束の展望室になっています。

御隅櫓からの眺望。この写真はだいたい北西にむかって撮っています。左寄り遠くには日本海が見えます。右寄り奥にみえるのは男鹿半島の山です。

…って意外に風車(風力発電?)が多いですね。何十基も見えます。

帯曲輪門・番所・裏門

御隅櫓を出て、来たときとは別方向に土塁を辿っていくと、本丸へ出入りする4つの門のうちの最後の1つ、帯曲輪門跡があります。

帯曲輪門の近くのこのあたりには御鷹屋御番所とのことですが、いまはどこにどのような建物があったのかまったく判りません。

最後に、本丸裏門付近を本丸側から。

日もかなり傾いてきました。ここを下って、今回の久保田城見学は終了です。

まとめとデータ

現存建築や復元建築は少ないのですが、土塁や通路・門跡はよく残っており、往時の城の構造は判りやすいと思います。新幹線停車駅から徒歩圏で、100名城の中ではもっともアクセスしやすいものの1つと言えるでしょう。

Webサイト秋田市公式サイト内の紹介ページ
地図GoogleMap
アクセスJR秋田駅より徒歩10分で公園入口
バスを利用するなら『千秋公園前』『川反入口』が近いです
開館時間公園部分は見学自由
御隅櫓の資料館は9:00~16:30
(夏休み期間中は~19:00)
休館日12月~3月
入場料公園部分は無料
御隅櫓の資料館は100円
※令和6年4月1日より150円に改訂されるそうです
備考二の丸の佐竹資料館は令和7年10月までリニューアル工事閉館中
閉館期間中、100名城スタンプは秋田市文化創造館にあるそうです
二の丸に売店・飲料自販機あり、
トイレは松下門・二の丸胡月池・本丸埋門・御隅櫓など数カ所にあります

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