広瀬神社
岡城から徒歩で駅に向かいながら城下のあちこちを見学していきます。駅との距離は1.5kmほどで、帰りは下りなので体力的にはそれほど大変ではありません。
まず、岡城にも近い広瀬神社へ。城山を下りてすぐの所にあるこの神社は、竹田出身で日露戦争に参加した軍人・広瀬武夫中佐(戦死後、中佐に特別昇進)を祀っています。鳥居の前の胸像が広瀬中佐です。
広瀬中佐について
広瀬中佐は明治37年(1904年)の旅順港閉塞作戦(ロシア海軍の軍港であった旅順港の入口で船を自沈させ進路を塞ぎ、停泊中の軍艦が出撃できなくする作戦)に従事中、自沈船・福井丸に爆薬を設置するために船倉に行った部下・杉野孫七が戻らないことから、脱出用のボートから福井丸に戻って船内を捜索しました。福井丸は敵の雷撃を受けて沈没寸前であり、広瀬中佐はやむを得ず捜索を断念してボートに戻ろうとしたところに敵の砲撃を受け戦死しました。その部下思いで勇敢な行動から日本初の『軍神』と呼ばれ、昭和10年(1935年)に神社が建立されたのです。
広瀬中佐の遺骸はロシア軍に発見され、戦争相手国の軍人であるにもかかわらず丁重に扱われ、埋葬されたとのことです。また杉野兵曹長もこの作戦で未帰還となり、遺体は発見されていませんが上等兵曹から兵曹長に特別昇進となっています。
この広瀬中佐の行動は、明治45年(1912年)には文部省唱歌にもなっています。
轟く砲音 飛来る弾丸
(尋常小学唱歌『広瀬中佐』より 作詞者・作曲者不詳で著作権失効済)
荒波洗ふ デッキの上に
闇を貫く 中佐の叫び
杉野は何処 杉野は居ずや
有名な曲で著作権も切れているので、『唱歌 広瀬中佐』などの語で検索すれば歌詞全編・演奏が見つかると思います。
参拝・境内を散策
まずは本殿を参拝。
境内にある戦没者名碑。昭和33年(1958年)に建立された物で、八角形の台座の各面の中央に1つずつ、旅順港閉塞作戦で自沈する船の重しとして積まれていた石を引き上げてはめ込んであるのだそうです。
境内には広瀬記念館(資料館)があり、広瀬中佐に関係のあるものが保存・展示されています。記念館の1階部分には広瀬武夫の乗艦であった戦艦・朝日に搭載されていたカッター(ボート)が保存されています。
カッターの下に置かれている金具類は、広瀬中佐が兵学校卒業後初めて乗艦した艦・比叡(初代、太平洋戦争時の戦艦とは別の艦)のマストのものです。昭和13年(1938年)のマスト取り替えの際に海軍より広瀬神社に奉納されましたが、老朽化のため平成20年(2008年)に解体、現在は金具のみが保存されています。
上の写真でも判るとおり屋根はありますが壁はないスペースなので、劣化が進むのではないかとちょっと心配なのですが…。
境内には、竹田出身の太平洋戦争時の陸軍軍人・阿南惟幾大将の碑と像もあります。阿南大将は最後の陸軍大臣で、終戦の日に割腹自決した人物です。終戦の日を描いた2015年の映画『日本のいちばん長い日』にも登場し、役所広司さんが演じていました。
データ
Webサイト | 竹田市観光ツーリズム協会サイト内の広瀬神社の紹介 竹田市教育委員会、岡城跡サイト内の広瀬神社の紹介 |
Google Map | 広瀬神社 |
アクセス | JR豊肥線 豊後竹田駅より徒歩15分 |
参拝時間 | 特に決まっていないようです |
参拝料 | 無料(資料館も無料のようです) |
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