要害山城 その2

大型曲輪が連続

井戸跡

不動曲輪から少し上って、後述の(6)門跡の手前の分岐を左に折れて進んでいくと、井戸跡が見られます。築城に際し、諏訪大明神に祈願して掘られた井戸といわれており、諏訪水の別名でも呼ばれています。

現在も、写真にも写っている石造りの祠に諏訪大明神が祀られています。

中を覗くと、いまでも水を湛えています。

門跡

説明地図の(6)門跡(『日本城郭大系』では『第3の門跡』)です。要害山城でももっとも堅固な門があったそうです。この写真で門に向かって左側には、非常にはっきりとした石積が残っています。右側も、草に覆われていて判りにくいですが、土塁の表面に石が積まれているように見えます。

連続した大型曲輪

(6)門跡を超えた先からは、大規模な曲輪が連続して階段状に配置されています。まずここは説明地図の(7)曲輪です。堅固な(6)門跡の内側ですから、ここからが本格的に城の内部、ということでしょうか。

(7)曲輪から、斜面にジグザグにつけられた道を上ります。説明地図にも『日本城郭大系』にもこの道の記述はなく、上り方向にむかってもっと右の方に『第4の門跡』の記述があります。

ここを上ると、(7)曲輪と(8)曲輪の間、階段の踊り場のような小さな曲輪があります。

『踊り場』から(8)曲輪へ続く門跡…に見えますが、説明地図等には『門跡』の記述はありません。が、道自体は図に記述されていますので、本来の登場ルートではあるのだと思います。

続いて(8)曲輪です。樹木が多く見通しが利きませんが、面積は(7)曲輪より広いようです。

(8)曲輪から(9)曲輪へ続く門跡…に見えますが、これも先の門跡?と同様、後年に作られたものかもしれません。『日本城郭大系』の図を確認すると、やはり上り方向にむかってもっと右手に『第5の門跡』があり、そちらが本来の登城ルートだったのでしょう。

(9)曲輪です。ここもほとんど林になっていて見通しが利きません。図面によると(8)曲輪の半分~2/3程度の面積のようです。

(9)曲輪から主郭方面への門跡…のように見えますが以下略。

門跡

説明地図(10)の門跡、『日本城郭大系』では『第6の門跡』です。この先には小さな曲輪がいくつか階段状に並んでいます。

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