鹿児島市街で最後の見学予定地は、黎明館です。黎明館は鹿児島城本丸跡に立てられた大規模な博物館で、歴史・民族・美術の展示があります。18時まで開館しているのでまだ充分に観る時間はあるはず…
鹿児島城について
今回は博物館見学がメインであまり城を見た感じがしないのですが、日本100名城登城87城目(97番)です。
歴史
鹿児島城(鶴丸城)は慶長6年(1601年)に島津忠恒(島津家久)によって築城を開始、慶長9年(1604年)に完成しました。それ以降明治維新までずっと島津氏の居城でした。
構造
鹿児島城(鶴丸城)は南北朝時代の上山城跡の麓に築かれた平山城(または平城)です。山麓部は本丸と二の丸の二つの曲輪だけで構成されていました。櫓門以外には天守も櫓もなく、石高のわりには異常なほど簡素な作りだったといわれています。その代わり山上の中世城郭を後詰めとしていました。
現在は本丸には黎明館、二の丸には図書館が建てられており、江戸時代のものは石垣・堀・正門前の石橋しか残っていません。
まず城の遺構を
水面が見えないほど蓮でびっしり覆われた堀と本丸の石垣。石垣のどこかには西南戦争の際についた弾痕が見られるそうですが、博物館を観たいのでじっくり探している時間が無く…。
大手門前。石橋も江戸時代の遺構です。大手門の櫓を復元する計画があるそうです。完成したらまた観に来たいな…。
複雑な大手門枡形。
食い違いで、しかも坂道というのは珍しいと思うのですが、江戸時代からの形状でしょうか?
このあたりにも門があっても良さそうなのですが、けっこうな急傾斜の坂の途中だし…?
黎明館の前に到着。というわけで今回は城の遺構の写真はこれだけです。
歴史展示
1Fは歴史博物館です。古代から現代に至る鹿児島の歴史が解説されています。
写真の通り大型の模型やジオラマが多くあるのが特徴。見応えがあります。
最初は古代の鹿児島。
写真の建物は王子遺跡(鹿児島県鹿屋市にある弥生時代の遺跡)で発見された建物跡から1/2サイズで推定復元されたもの。このように切妻造の屋根で、棟木の両端を支えるために屋外に柱が設置された形式の建物を棟持柱建物といいます。
中世の鹿児島の代表として、志布志城のジオラマです。南北朝時代に作られ、戦国時代にかけて拡張された山城で、全体では現在の志布志市街地を囲むほどの規模がありました。ジオラマとなっているのはそのうち内城とよばれる中心武です。いまも本丸など曲輪が一部残っているそうなので、いつか現地にも行ってみたいです。
現在黎明館のある、鹿児島城本丸の模型。周囲を堀と塀で囲まれた本丸いっぱいに御殿が建てられていますが、大手表門以外には櫓がないことが判ります。石垣がほぼ直線なのも特徴的です。堀はあるものの石垣の高さはそれほどでもなく、あまり実戦向きではない印象です。
※幕府への恭順の意を表すために敢えてこのような構造にしたという説も
大手門付近の拡大。櫓門や塀は失われているものの、石垣・枡形・坂の様子はほぼそのまま現在も残っているように見えます。入って来る時には内門がどこにあるのか判らなかったのですが、坂を登りきったところに薬医門があったのですね。
近代、大正時代の天文館の様子です。天文館は単一の建物ではなく、JR鹿児島中央駅とJR鹿児島駅の中間あたりにある繁華街の名前です。大正時代初期に活動写真館ができてから町がにぎわいはじめ、複数の活動写真館の他、食堂や衣料雑貨店などが並び、鹿児島県内でも最大の娯楽・歓楽街に発展しました。
民族展示
2階は民族博物館です。本土最南端、琉球との交易という特殊性が、独特の文化を形成しています。
この大きな人形は、大王殿といいます。毎年6月に鹿児島県日置市で開催される『せっぺとべ』という祭で使われるもので、仮面の神を表しています。髭を蓄え腰に刀を帯びた身長3mの巨人の姿をしています。
この地方に伝わる独特な漁のやり方の展示です。左手で持った竿にも魚がかかっているように見えますが、これは木などで作った疑似餌の一種。これに誘われて水面近くに上がってきた魚を右手の銛で突き刺すという手法だそうです。
美術工芸展示
3階は美術・工芸品の展示です。3階は撮影できるものがありませんでした。
鹿児島県出身の芸術家による近現代の絵画(洋画)や彫刻、中世の日本画、刀剣類などが展示されていました。
まとめとデータ
屋内展示はひととおり見られたもののやはり時間が足りず。屋外展示や城の遺構、すぐ近くにある西郷隆盛自決の地も日没時刻が近づいていたので断念。大手門櫓の復元計画があるということですし、完成したらもう一度行くしかないかな…。
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