松山城 その1

愛媛旅行最初の目的地は松山城です。日本100名城81番、登城89城目です。

松山城について

松山城全体図
(現地の案内板より)

歴史

関ケ原の合戦での功績によりこの地を与えられた伊予国正木城(松前)城主・加藤嘉明によって、慶長7年(1602年)に築城が開始されました。嘉明は慶長8年(1603年)に正木城からこの地に移り、地名を『松山』としました。

寛永4年(1627年)、城の完成前に嘉明は会津へ転封となり、かわって蒲生忠知蒲生氏郷の孫)の手によって松山城は完成しました。寛永11年(1634年)、忠知が跡継ぎを定めないまま死去したため蒲生家は断絶。寛永12年(1635年)に松平定行が松山城に入城、以後明治維新まで松平氏の居城となります。

定行は寛永19年(1642年)に五重であった天守を三重に改築しましたが、天明4年(1784年)に落雷による火災で天守は焼失。現在残っているのは安政元年(1854年)に再建されたものです。

構造

標高131mの勝山山頂に本丸、南西側の山麓に二の丸、さらにその南西に三の丸が配された、連郭式の平山城です。天守は小天守・南隅櫓・北隅櫓などが結合された連立式です。

見学ガイド

山上の本丸には現存12天守の1つである大天守をはじめ21棟の現存建築、小天守をはじめとする多数の復元建築によって往時の姿を見ることができます。また二の丸も庭園として整備されています。

本丸へは麓からロープウェイやリフトによってアクセスが可能です。

いざ登城

空港からリムジンバスで松山市街地に移動。県庁などにも近い大街道バス停で降り、5分ほど歩いてリフト/ロープウェイ駅に到着。

※上ってしまうとコインロッカーや荷物預かりサービスはないようなので、
※身軽に見学したい場合はこの駅内のコインロッカーに預けましょう。
※といいつつ、僕は上りと下りを別コースにしたかったので大荷物を担いだまま上りました。

松山城は標高131mの勝山山頂にある平山城です。標高105mほどの位置にある長者ヶ平ちょうじゃがなるまではリフト、またはロープウェイで一気に登れます。

リフトとロープウェイは同じ地点間を並行して設置されており、チケットも共通です。今回は天気が良く充分に周囲の景色を楽しめそうなリフトにしました。

途中、ロープウェイとすれ違ったり追い越されたりします。所要時間はリフト6分、ロープウェイ3分。すぐ乗れるリフトの方が待ち時間も含めた期待値は早いですが、

長者ヶ平に到着。売店などがあります。奥に見える鉄塔はNHKの電波塔だそうです。

太鼓門まで

長者ヶ平から少し上っていくと高い石垣が見えてきました。本丸を囲む石垣の高さは10m以上、扇の勾配と呼ばれる曲線を描いています。この石垣の上には筒井門隠門があり、櫓(隠門続櫓)の一部が見えていますが、そこにたどり着くまでにはまだ長い距離を歩かなければなりません。

この写真の左奥には揚木戸門がありましたが、

少し先に進むと待合番所跡があります。ここは東雲口(現在のロープウェイ/リフト乗り場)からの登城路と黒門口(二の丸側)からの登城路が合流する位置で、松山城本丸へ向かうための重要ポイントです。

『待合』という名ですが城を訪れた人が登城の順番を待つ場所…というわけではなく、警備のための詰所です。古文書によると常時3人が詰めていたとのこと。

山頂部すべてを『本丸』と称することもあるので、その場合はここから太鼓門までが巨大な『大手枡形』のようなものだと思えばいいでしょう。

大手門

これが大手門。二の丸側から上ってくるとこの門から入ることになります。本来はこちらが正規の登城ルートです。

右手の坂を登っていきます。

登城路の上り坂はここで180度折り返します。攻撃側の速度が鈍るこの位置は防御側にとっての絶交の射撃ポイントです。

VR写真初期位置背後は中ノ門跡。現在は通行止めです。地図によると、ここを進んでも城壁の外を進んで城北部の乾門の外に抜けるだけで城中枢部に入る道はないようです。

戸無門

折り返した先は戸無門となしもん。現存建築の1つで、国の需要文化財に指定されています。

筒井門

戸無門をくぐるとふたたび180度折り返して筒井門つついもんを入ります。初期方向左寄りがいま入ってきた戸無門、初期方向正面の石垣の上が筒井門西続櫓、その右の開口部が筒井門です。

最初に見上げた石垣の上がこのあたりです。
狭い領域で門の全景が見渡せないために気付きにくいのですが、筒井門には秘密があります。

左の開口部が筒井門、中央の石垣の上は筒井門東続櫓です。普通に考えれば、寄手よりて(松山城を攻撃する側)は左の筒井門を通って本丸へ向かおうとするのですが、ここに防衛上の構造があります。

実は、この写真の右奥、筒井門東続櫓の石垣の陰に、もう1つ小さな門・隠門かくれもんがあり、そこから出撃して筒井門を攻めている寄手の側面を攻撃できるようになっているのです。

両方の門が同時に見えるように写真を横に繋げて合成してみました。
中央の筒井門東続櫓の石垣を挟んで、左が筒井門、右が隠門です。戸無門側から来ると、石垣が邪魔で隠門が見えません。

平面図だとこうなります。

隠門だけ見るとこんな感じ。筒井門より狭めです。

筒井門をくぐって、太鼓門側からみるとこんな感じ。一続きの櫓のように見えますが、この写真の左半分(隠門続櫓および隠門)は現存建築で、右半分(筒井門東続櫓筒井門筒井門西続櫓)は戦後まで残っていたものの昭和24年(1949年)に不審火で焼失、現在あるのは昭和46年(1971)年に復元されたものです。

隠門続櫓は隠門2階の渡櫓の東側に接続する平櫓で、長者ヶ平からの登城道を監視するために作られました。つまりリフトから歩いて来て最初に石垣が見えた位置で石垣の上に見えていたのがこの隠門続櫓です。

太鼓門

そして太鼓門。本丸大手の正門です。オリジナルは昭和20年(1945年)に戦災焼失、現在あるのは昭和47年(1972年)に復元されたものです。また、この写真の右フレーム外にある巽櫓(木が邪魔で写真だと何が写ってるのか判らない状態でした…)と、太鼓門から巽櫓へ続く巽櫓西塀も太鼓門と同時期に焼失し、昭和61年(1986年)に復元されました。

この門をくぐるといよいよ本丸広場です。

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