丸岡城 その2

天守

天守の見学時間になりました。
天守に登る前に、チケット売り場前の休憩所内で地元の高校生が作った案内・解説ビデオが観られます。5分ほどですが見所を押さえていて判りやすい内容でした。

天守の前にある一筆啓上碑

一筆啓上 火の用心
お仙泣かすな 馬肥やせ

という文句が書かれています。初代丸岡藩主・本多成重の父、本多重次が書いた手紙の文が元になっているそうです。

天守入口階段下には石製の鯱がおかれています。昭和23年の福井地震で落下、以来天守の上には木彫り銅板張りの鯱が乗せられ、石造りのものはこの場で展示されているそうです。

1階

天守1階全景。それほど広くはありません。

中央に6本並んだ柱が丸岡城天守の特徴であり、1階の見所です。
この6本の柱が上階の重みを支えています。
構造的に面白いのは、これらの柱が1階だけで終わってしまっていること。丸岡城天守の2階から上は1階を土台として建てられていて、1階から2階以上への通し柱がありません。

1階には格子出窓石落とし)と狭間があります。

天守1階にあったかつての城の姿の復元模型。
この模型の中には忍者が隠れている…って…?

あ、いた。
ピンク色の装束って、全然忍んでないと思うんだけど…。

2階

天守2階に上がってきました。

2階の周囲には、このように外に突き出した出部屋があります。
これも丸岡城天守の特徴で、2階の見所です。

2階の天井にはこのように曲がった梁が。

窓から下を覗くと、丸岡城天守の特徴である石瓦が観られます。
このあたりの気候だと従来の粘土を焼いて作る瓦では寒暖差で割れてしまうのだそうです。材料には福井県内で産出する笏谷石しゃくだにいしが使われています。

2階から3階へ行く階段。
階段の傾斜が急なのは城ではよくあることですが、後ろがすぐ壁で余裕が全くありません。万が一攻められたとき、敵が一度に一人ずつしか登れないようにする工夫のようです。

3階

天守最上階まで上がってきました。

天井はなく、屋根の内部構造がそのまま見えます。

3階の窓には欄干があります。

天守3階からの眺め。この写真は北側の窓です。小学校が見えますが、かつては中央の校舎あたりに大手門があったのだそうです(前記事冒頭の全体図参照)。

天守外観

天守は天守台の石垣の上にぴったりおさまるように作るのが普通なのですが、丸岡城は天守台上面より天守1階のほうが一回り小さくなっています。そのため、雨が天守台の中に染みこんで石垣が崩れたりしないように小さな水切り屋根がついています。

石垣は平面ではなくわずかに凹んでいることが判ります。

天守一階屋根の東西には鬼瓦があります。これも丸岡城の特徴です。これも石瓦と同じく笏谷石でつくられているそうです。
東側(入口側)は阿形あぎょう(口を開けた形)の鬼瓦です。

西側は吽形うんぎょう(口を閉じた形)のはずなのですが、、、木が邪魔だったり屋根が邪魔だったり、口元が見える場所がみつかりませんでした。
もっとずっと離れて望遠で撮ればいいのかな…?

天守周辺

城内、天守裏手あたりに井戸があります。
かつて敵の攻撃を受けたとき、この井戸から霞が吹き出して城を覆い隠して守ったという伝説があるそうです。そのため丸岡城には『霞ヶ城』という別名があります。

歴史民俗資料館

天守を後にして、城址公園内にある歴史民俗資料館を見学しました。
ここには、本多氏・有馬氏歴代城主ゆかりの武具・調度品・掛軸・古文書などが展示されています。残念ながら展示品の撮影は不可だったので写真は外観のみです。
チケットは天守と共通です。

以上で丸岡城址の見学は終了。

3階までしかない小振りな天守1つなので30分もあれば一回りできます。資料館、一筆啓上日本一短い手紙の館など周辺も合わせても午前中だけでゆっくり見て回ることが出来ました。

これで100名城福井県、そして北陸コンプリート!

近くにある一筆啓上日本一短い手紙の館では、ドローンで空撮した丸岡城天守の映像が見られます。有料施設ですが時間があればそちらもオススメ。
なお、天守・資料館と日本一短い手紙の館の3館共通チケットというものもあるのですが、実は割引きになっていません(笑)

データ

丸岡城/丸岡市歴史民俗資料館

Webサイト坂井市観光協会による丸岡城の紹介
福井県博物館協会による歴史民俗資料館の紹介
地図丸岡城
アクセス福井駅前より京福バス『丸岡線(31,36,39系統)』乗車、【丸岡城】下車すぐ
開館時間09:00~17:00(天守、博物館とも)
休館日なし(臨時休館あり)
入館料450円(天守、博物館共通)
100名城スタンプ公園管理事務所(チケット売り場)

※データは2020年3月時点の情報に修正しました

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