丸岡城 その1

旅行6日目は、まずは100名城の1つ・丸岡城のある丸岡市へ向かいます。

丸岡城について

バス停近くにあった丸岡城全体図

歴史

丸岡城が築城されたのは天正4年(1576年)、築城主は柴田勝家の甥・柴田勝豊しばたかつとよです。天正11年(1583年)に勝家が豊臣秀吉に敗れると丹羽長秀の家臣・青山宗勝あおやまむねかつが城主となります。慶長5年(1600年)、青山家は関ヶ原の戦いで西軍についたため改易され、かわって徳川家康の次男である結城秀康の家臣・今村盛次が入城。慶長17年(1612年)にその今村盛次が越前騒動で失脚すると本多成重が城主となります。…と、40年も経たない間にトラブルで何度も城主が交代しています。

その後、越前松平家2代目の松平忠直が不行跡により配流・福井藩が減封となると、丸岡は独立して丸岡藩となり、その後しばらくは本多家が藩主・城主の時代が続きます。元禄8年(1695年)にお家騒動が起こり、本多家は改易。代わって入城した有馬氏が明治維新まで丸岡城主となります。

構造

小丘陵の上に築かれた平山城です。二の丸が本丸を囲まず隣り合う構造なので連郭式といえますが、その周囲を濠と三の丸がぐるっと囲むという変則的な構造です。天守は現存で独立式望楼型、二重三階です。

現状

丸岡城の建物は明治時代に天守以外すべて解体され残っていません。天守は北陸で唯一の現存天守で、日本最古の現存天守とも言われています(異説あり)。

※坂井市観光連盟のサイトにも『現存する日本最古の天守閣』と記述されていますが、近年の研究で現存する丸岡城天守は柴田勝豊時代のものではなく江戸時代の寛永年間(1624~44年)の建築であることが判明し、元和年間(1620年頃)に現在の形になった犬山城天守の方が古いことが判りました(2020年3月追記)。

本丸(と、たぶん東丸)は公園として整備されていますが、濠は埋められ、周囲は開発されて遺構はほとんど残っていません。

アクセス

福井駅前よりバス丸岡線(31系統、36系統、39系統)を利用するのが簡単です。

いざ登城

というわけで、福井駅からバスで40分。
丸岡城バス停で下車すると、いきなりすぐそこに天守が見えます。
登城口(チケット売場)は反対側にあるので、天守のある山の周りをぐるっと半周する必要があります。

天守や資料館の見学時間よりだいぶ早く着いてしまったため、先に周囲を一周することにしました。
写真は丸岡城バス停から南へ少し行ったところにあるタブの木です。神木とされ、注連縄が湿られています。

円光寺にある切支丹灯籠
竿石に観音像に似せたマリア像が彫られ、竿石自体も十字架の形になっています。
円光寺は丸岡城バス停からすぐ、タブの木にも近い所にありますが、境内に入らずそのまま外を回っていったところにあります。

半周歩きながら天守がキレイに見えるポイントを探してみましたがなかなかありませんね。低い位置なのでどうしても木などが邪魔になってしまいます。

丸岡城天守をはさんでバス停とは反対側にある霞ヶ城公園。中央に見える白い建物が丸岡歴史民俗資料館、右手に見える建物が一筆啓上茶屋。左手奥には天守も見えています。
資料館のあたりは昔は内堀だったそうです。

天守の開場時刻になりました。次は天守内部に突入します。

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