伊予大洲城 その2

天守(つづき)

3階

1~2階に較べてかなり狭く、武者走り(外周通路)と部屋を区切る敷居がなくなりました。

3階にはが展示されています。現在天守の屋根に取り付けられているのと同じものです。形状は市立博物館所蔵、寛文5年(1665年)製のものを参考にしているとのこと。

4階

天守の最上階です。階段の幅が広めなこともあって床面積は1階に較べてずっと小さいです。

天守最上階からの眺望です。
目の前には城山のすぐ北を流れる肱川。そしてその先、写真右奥の白い大きな建物の向こうにJR伊予大洲駅があります。

4階には限らないのですが、階段の途中からは面白い木組みをいろいろ観察できます。

次は天守を降りて高欄櫓へ。

高欄櫓

廊下

天守と高欄櫓の間も廊下で結ばれています。

櫓の屋根の構造を表す模型が展示されています。

1階

万延元年(1860年)再建なので現存建築としては新しいものとはいえ、さすがに150年以上も経っているので天守に較べて古びた印象です。使われていないせいか台所櫓よりも古く見えます。

伊予大洲城のジオラマが展示されています。現在の本丸には天守・台所櫓・高欄櫓の3つしか建物がないのですが、もとは周囲を土塀や多門櫓で囲まれ、大型の櫓門である暗がり門他、大小の建築があったことが判ります。

最小限の照明しかない薄暗い中で展示されているのが残念ですね。貴重な現存木造建築なので、火災の原因となり得る配線を極力減らしたいのかもしれませんが。

2階

2階の様子。展示はありません。
高欄を撮ったはずなのに失敗Orz

井戸丸

本丸下段、別名・井戸丸です。天守などのある位置より一段下の小さな曲輪ですが、城にとって重要な井戸があります。もとは多門櫓で囲まれ、南側には二重櫓がありました。

井戸は天守に近い位置にあります。この井戸は本丸で唯一の井戸で、直径は3.8mと国内最大級です。

二の丸

来るときはタクシーで通過してしまったのですが、城山を下る途中には二の丸御殿跡があります。立ち入りができないようになっていますが何かの調査か工事が行われているのでしょうか。

さらに下って下台所
これも現存建築だそうです。外見では判りませんが中は一部2階建てだそうです。残念ながら内部への立ち入りどころか窓から覗くことさえもできません。

完全に市街地まで下りてきました。大洲郵便局から城山公園に入る通り、奥に見えているのは大洲市民会館です。この写真のあたりが二の丸大手です。薬医門

左右に広がる住宅街はかつては内堀で、奥へ続く道は土橋でした。この写真の奥側の大洲市民会館のあるあたりから先が二の丸、手前が三の丸でした。

苧綿櫓

苧綿櫓おわたやぐら(『』ではなく『』、『イモ』ではなく『カラムシ』という字ですw)は城山の東側、大洲市民会館や大洲郵便局の裏手、肱川沿いの堤防にあります。郵便局や市民会館の脇から川沿いに出られます。

苧綿櫓があるのは二の丸東端です。現存建築ですが築城当初のものではなく、天保14年(1843年)に再建されたものです。国の重要文化財に指定されています。川側の隅に石落としを備えた二重櫓です。

堤防と一体化した非常に高い石垣が印象的ですがこれは本来の姿ではなく、昭和34年(1959年)の解体修理で洪水に備えて2.6m嵩上げされたものです。

苧綿櫓の内部見学はできません。

大洲市街

次は三の丸の遺構を見て回ります。まず大洲郵便局前の通りを南へ進んだ大洲小学校近くに道がわずかに食い違っている場所がありました。これはもしかして枡形の痕跡かな?と思ったら、右手前にズバリ『枡形』というバス停がありました。

さらに南に進んで大洲南中学校付近で西に折れて大洲幼稚園付近には、外堀の跡があります。いまでは小さな池になってしまっていますが、堀はほとんど埋め立てられているので、いまでも水を湛えているのはここだけ、かな?

北に折れて大洲高校の前を進みます。このあたりは三の丸西門跡、三の丸最南部です。西門は1つのもんだけでしたが、この先に石垣があり攻め込んだ敵が直進できないようになっていました。

なお、この道の左手は大洲高校校舎、右手は大洲高校グラウンドですが、その間を通るこの道は学外者通行OK(校地ではなく一般道)です。

少し進んで、このあたりには西門から続くクロマツの並木があったそうです。残念ながら、昭和40年頃のマツケムシの大発生によって、昭和53年(1978年)までに全滅してしまいました。

そして大洲高校グラウンドの隅に、三の丸南隅櫓があります。

VR画像は1ページに4枚以内にしないとバグる環境があるようなので記事を分けます。

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