福岡城 その2(鴻臚館跡展示館)

三の丸にある鴻臚館跡展示館こうろかんあとてんじかんにやってきました。

鴻臚館について

鴻臚館とは平安時代の外交施設です。福岡にある鴻臚館の前身は天智天皇3年(664年、白村江の戦いの翌年)に建てられたとされる筑紫館つくしのむろつみで、唐や新羅しらぎ(朝鮮半島に存在した国)、渤海ぼっかい(中国東北部からロシア極東沿岸部にかけての地域に存在した国)からの使節のための迎賓館・宿泊施設として機能していました。古代中国にも外交の儀礼を担う鴻臚という役職があったそうです。ちなみに『鴻臚』の『鴻』は訓読みでは『おおとり(白鳥やヒシクイなどの大形の鳥)』から転じて『大きい』の意、『臚』は訓読みでは『つたえる』なので、2字合わせて『(使節の来訪を)大きな声で伝える』という意味になるそうです。

かつては福岡(筑紫)の他に、大阪(難波)・京都(平安京)に鴻臚館があったとされていますが、遺構の存在が確認されているのはこの福岡のものだけだそうです。

鴻臚館跡展示館は三の丸、平和台球場跡(現在は鴻臚館広場という、円形の広大な芝生広場になっています)の南にあります。平和台球場の改修工事で遺構の一部が発見されたことから昭和63年(1988年)に発掘調査が始まり、その結果を受けて1995年に鴻臚館跡展示館が建てられました。平和台球場が閉鎖・取り壊された後、平成11年(1999年)から本格的な発掘調査が始まり、平成16年(2004年)には国の史跡に指定されています。

ちなみに、100名城85番・福岡城のスタンプはこの鴻臚館跡展示館と、福岡城むかし探訪館にあります。

展示

遺構

鴻臚館跡展示館は学校の体育館ほどの大きさのある建物で、展示室は1つの空間になっています。そしてその最大(物理的に!)の見所は、床面積の大部分を占める発掘された遺構そのものです。

 あちこちにある円形の窪みは礎石据付穴で、そのうちいくつかには礎石が置かれています。

館内で見学できる遺構はこの図の通り。館外で調査が終了した部分は保護のため埋め戻されていますが、鴻臚館広場には当時の建物の位置を示すように外形が線で描かれています。大きすぎて現地の地上では判りにくいのですが。

出土品

館内には多数の出土品も展示されています。
まずは中国各地でつくられたと思われる陶磁器が多数。

こちらは籌木ちゅうぎとよばれる木製の細い棒なのですが…なんとトイレでの用足しの後に使う、現代でのトイレットペーパーの役割をする道具なのだそうです。鴻臚館では日本で最初に古代のトイレが発見されました。奈良時代前期のものということは、まだ筑紫館と呼ばれていた頃のものでしょう。トイレの土中から発見された植物の種や魚の骨、寄生虫の卵などから、当時の食生活の様子(肉や魚を充分に加熱せずに食べていた、など)が判るそうです。

データ

Webサイト『福岡市の文化財』サイトでの鴻臚館後展示館の紹介
Google Map鴻臚館跡展示館
アクセス福岡市地下鉄大濠公園駅または赤坂駅より徒歩10分
開館時間09:00~17:00
休館日年末年始
入館料無料

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