福岡城 その1

福岡城について

福岡城下絵図
(現地の案内板)

100名城85番の福岡城に2008年以来2回目の登城です。前回は旅行最終日で、疲れと暑さでバテてロクに見学できていなかったのでした…。

歴史

慶長5年(1600年)、関ヶ原の戦の後、筑前に入封した黒田孝高くろだ よしたか官兵衛かんべえの通称で有名)・長政ながまさによって築城され、その後明治維新までずっと黒田氏の居城でした。『福岡』の地名もこのときにできたそうです。

構造

築城の名手としても知られる黒田官兵衛による壮大な城です。城内には47の櫓、10の城門があったと伝えられています。縄張りは本丸の外側に南二の丸・二の丸・東二の丸、その外側に三の丸と連なっていく梯郭式で、二の丸と本丸が丘の上に築かれた平山城です。三の丸の外側は濠で囲まれていました。

現状と見学ガイド

大濠公園駅構内の案内板より

現在は、本丸・二の丸周辺が舞鶴公園、西側の濠周辺が大濠公園となっています。三の丸北側には陸上競技場や野球場、東端には裁判所などがあります。現在、全域を公園化する計画が進行中だそうです。

江戸時代からずっと残っている遺構としては、本丸の天守台と二の丸の多門櫓があります。またいったん城外に移築されたものが再移築されたものとしては本丸の祈念櫓と三の丸の潮見櫓(伝)、資料に基づいて復元されたものとしては下之橋御門があります。他に、解体した部材が保管されている潮見櫓(本来のもの)や史料が多く残るいくつかの櫓については復元の構想があるそうです。

福岡市地下鉄空港線の大濠公園駅から下之橋御門まで徒歩3分程度、同じく地下鉄空港線の赤坂駅から上之橋御門跡まで徒歩5分程度です。地下鉄空港線は博多でJRと接続するので、空路・新幹線で他地方からアクセスしやすい城です。

三の丸にある福岡城むかし探訪館には福岡城全体のジオラマがあります。城内を回る前に見学しておくと構造が判りやすくなるでしょう。

いざ登城~三の丸

福岡空港に到着してから地下鉄で大濠公園駅へ、そこから徒歩すぐで福岡城に到着です。

まず見えてくるのが大規模な水堀。かつては城の周りをぐるっと囲んでいた堀ですが、東側と南側は埋め立てられ、いまは北側(この写真に写っている部分)と西側(大濠公園)が残されています。

下之橋をわたって城内へ。
左手には下之橋御門しものはしごもん(下之橋大手門)が見えます。この堂々とした二層の櫓門は、史料や発掘調査に基づいて平成20年に復元されました。現在は下之橋の隣に車両用の橋が造られ、そこから城内を南北に貫く道・舞鶴公園線が続いています。下之橋御門を通るとすぐ、その舞鶴公園線に出ます。

奥には潮見櫓しおみやぐらが見えます。

潮見櫓を車道側から。
この潮見櫓は大正初期に黒田家別邸に移築され、昭和31年(1956年)に城内に再移築されました。

さて、便宜的に『潮見櫓』と書いてきましたが…。
最近の調査の結果、崇福寺に移築され、その後解体保存されている『月見櫓』とされていた櫓が、実は本来の潮見櫓であったことが判明しました。つまりここにある『潮見櫓』は潮見櫓ではないのです。って、ややこしい!
ではこの『潮見櫓』はなんなのか?福岡城内にあった櫓ではあるようなのですが、正体はまだはっきりしていないそうです(後述の本丸時打櫓という説が有力?)。

車道に沿って奥へ進みます。車道左手(写真奥)にみえる平和台陸上競技場は、もとは三の丸だった場所です。しばらく城の遺構と判るものは見当たりません。

二の丸

下之橋近くから城内を南北に貫く車道から左手に折れて、松の木坂を登っていきます。古絵図と見比べると、この少し先あたりに二の丸の門があったようです。

高校の運動部っぽい子たちがこの坂でランニングしていましたが、暑さは大丈夫なのかな…たぶん気温は30℃超えていましたが。

二の丸
二の丸はL字型の曲輪で、本丸の北側と西側に接しています。この写真は本丸西側で、左手に本丸の石垣が見えています。舞鶴公園内にはいろいろな種類の桜が約1,000本も植えられているそうなのですが、この写真のあたりは紅枝垂れべにしだれ桜の並木になっています。春に来たら綺麗なんだろうな…。

本丸

二ノ丸から本丸へ入る裏御門跡
かつてこの写真左手の石垣の上には時打櫓ときうちやぐら太鼓櫓)があったのですが、古写真などの調査により、下之橋にある現在の『潮見櫓』がこの時打櫓なのではないかといわれています。

いよいよ本丸です。
裏御門跡を入ってすぐ、井戸跡のようですが特に説明はなし。

かつてここには本丸御殿が建っていましたが、現在はご覧の通り建物は残っていません。

本丸の南部には天守台があります。石垣は高めで傾斜も急です。
石垣に細く高い切れ込みがありますが、ここには天守への入口である鉄御門くろがねごもんがありました。狭いのは敵の侵入を警戒してのことでしょうか。石の階段も残っていますが、保護のためかその上に金属製の階段が設置されています。

さて、天守台は規模の大きなものなのですが、肝心の天守はどのようなものだったのでしょう?実は『福岡城には天守が建設されなかった』というのが定説です。ただ最近は『一度天守が建設されたが、幕府に遠慮して十数年で取り壊された』という説も有力になってきているそうです。

この日はイベント準備のために天守台は立ち入り禁止になっていました。残念…。

本丸の北東にある祈念櫓。鬼門封じの祈念をするために建てられたものだそうです。この櫓は大正7年(1918年)に北九州市にある大正寺へ移築され、昭和58年(1983年)に元の位置に再移築されました。

南丸(南二の丸)

本丸南西にある南丸(南二の丸)。本当は右手に多門櫓南隅櫓があるはずなのですが、工事用の囲いで屋根しか見えません…。天守台といい、いつかまた来なければ…。

東二の丸・東三の丸

本丸の北東に位置する東二の丸は、現在は球技場になっています。

本丸の東、東二の丸の南に位置する東三の丸。図面によると現在は野球場のようです。古絵図などによるとこの写真右寄りには池か沼があったようなのですが、完全に埋められています。

奥に見える石垣は本丸です。その上になにか工事の足場のようなものが見えるのですが、どうやら『天守を復元(イベント用のハリボテ)』しているようです。それのために天守台が立ち入り禁止だったのか…。

長くなってきたので記事を分けます。次は福岡城内にある平安時代の史跡、鴻臚館へ。

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