甲府城 その1

山梨旅行1日目、午後は甲府城を見学します。

甲府城について

甲府城は舞鶴城(まいづるじょう/ぶかくじょう)、一条小山城とも呼ばれています。

舞鶴城公園全体図

歴史

甲府城は天正13年(1585年)頃に徳川家康によって築城されたといわれていますが、はっきりした証拠はありません。
天正18年(1590年)、豊臣秀吉の小田原攻略の後に家康が関東に転封となると、羽柴秀勝、加藤光泰、浅野長政・行長といった豊臣方の大名が甲斐を治めました。この時代に甲府城は順次拡張され、慶長5年(1600年)頃にほぼ完成したと考えられています。秀吉が甲府に豊臣方の大名を配置したのは、家康に対する牽制の意味もあったのでしょうか。
江戸時代に入ると甲府藩が設置され、代々親藩大名がこの地を治めました。豊臣時代とは逆に、江戸の西を守る重要拠点と位置づけられたのでしょう。江戸が攻められ将軍が脱出せざるを得なくなった場合の退避先と想定されていたとも言われています。
宝永元年(1704年)に甲府藩主の徳川家宣いえのぶが6代将軍となると、甲府城は5代将軍徳川綱吉の側用人であった柳沢吉保やなぎさわよしやすに与えられました。江戸時代になって初めての親藩ではない領主です。この時代にさらに曲輪を拡張したとされています。
享保9年(1724年)、城主となっていた柳沢吉保の子・吉里よしさとが大和郡山に転封となりました。以降甲斐は幕府直轄領となり、甲府勤番とよばれる幕府の役人によって支配されました。

構造・現状

甲府城は一条小山に築城された梯郭式の平山城です。
現在はJR中央本線が曲輪を南北に分断しています。南側の本丸 ・天守曲輪・ 稲荷曲輪・数寄屋曲輪などが舞鶴城公園、北側の山手御門周辺が甲府市歴史公園となっています。

舞鶴城公園

線路南側の舞鶴城公園は、甲府駅から徒歩5分程度の距離です。

稲荷曲輪(稲荷櫓・稲荷曲輪御門)

稲荷曲輪いなりくるわは本丸の北側と東側に接するL字型の曲輪です。
北東(L字の角あたり)には稲荷櫓、南端には稲荷曲輪御門が復元されています。

稲荷櫓は、城内の北東に位置することからうしとらともよばれています。武具蔵として使われていたそうです。江戸時代の最後まで存在していて写真も残っていますが、明治時代に解体されました。現在の建物は発掘調査や絵図を参考に可能な限り江戸時代の姿に似せて復元されたもので、平成16年(2004年)に完成しました。

稲荷櫓は中に入れます。外観だけでなく、内部も当時の姿を復元しているようです。
1階には甲府城の歴史や構造についてのパネル展示があります。

曲輪の外側(北・東)の壁際には石落としがあります。

稲荷櫓の2階には甲府城のジオラマがあります。

甲府城のジオラマ。奥が北です。
現在舞鶴城公園となっているのは東(写真右手)に張り出している部分です。
北(写真奥)に張り出した部分の根元あたりをJRの線路が横切り、写真最奥中ほどにある山手御門周辺が歴史公園となっています。

稲荷曲輪南端にある稲荷曲輪御門。外側から撮影した写真です。
黒門に較べるとずっと小さな門ですが、入るとすぐに人の背より高い本丸石垣にぶつかり、直角に曲がらなければなりません。攻め手にとっては非常に入りにくい門でしょう。

稲荷曲輪御門前で振りかえると鍛冶曲輪が見えます。現在は自由広場になっています。

天守台

甲府城には大規模な天守台が残っています。が、どのような天守が築かれたのか、そもそも天守が存在したのかどうかは判っていません。
甲府城の天守台は一般的な四角錐台(底面/上面が長方形)にはなっておらず、五角形に近いいびつな形をしています。写真でも判るとおり、開口部の右側と左側が食い違っています。本記事最初の図面を拡大してみて下さい。

天守台の穴蔵(天守の地下階のようなもの)。
穴蔵の中から天守へ上がる構造になっていたようです。
各内角が直角ではなく鈍角になっているのが判るでしょうか?

天守台は高さがあり、舞鶴城公園全体の形状をよく見ることができます。
この写真は東側です。画面の大部分は稲荷曲輪の東側部分です。写真左手には稲荷櫓があります。
写真右手にある小さな建物は復元建築ではなく四阿(休憩所)です。
写真右奥には一段下がって数寄屋曲輪が見えます。

北側です。稲荷曲輪北側が広がり、その奥にはJRの線路、さらにその奥には甲府市歴史公園の山手御門が見えます。
左手にある建物は復元建築ではなくトイレです。
その手前、写真左下にある小さな箱状のものは稲荷曲輪井戸の跡です。

西側です。本丸の全体が見えています。
かつてはここに本丸御殿があったのでしょう。
画面左奥には木に隠れて屋根しか見えませんが鉄門があります。

鉄門

鉄門・本丸側から
鉄門・天守曲輪側から

くろがねは、本丸南側にある大型の櫓門です。
明治時代に取り壊されましたが、資料を基に可能な限りかつての姿・工法で復元、平成24年(2012年)に完成しました。

櫓内部も見学出来ます。展示はなにもありませんが、内側から見られる櫓の構造自体が最大の展示と言えるでしょう。

鉄門近くには謝恩碑があります。明治時代の水害に対して明治天皇が行った救済措置への感謝と、水害の教訓を後世に残すために作られたものだそうです。台座の上の碑本体だけで高さ18m、舞鶴城公園内では飛び抜けて高い建築物で目を引きます。

銅門・内松陰門

あかがねは本丸西側の門です。門は復元されておらず、現在は礎石のみが見られます。

銅門からさらに下って、内松陰うちまつかげです。平成11年(1999年)に復元されました。
現在、門の外はすぐ舞鶴通りで、内松陰門は舞鶴城公園の出入口の1つになっています。

これで舞鶴城公園の見学は終了。次は線路北側の歴史公園に向かいます。

データ

Webサイト甲府城(甲府市サイト内)
舞鶴城公園(やまなし観光推進機構サイト内)
アクセスJR甲府駅南口より徒歩5分
開館時間稲荷櫓:09:00~16:30
公園は見学随時
定休日稲荷櫓:月曜
公園は無休
入場料なし
備考甲府城の100名城スタンプは稲荷櫓内
トイレは本丸、稲荷曲輪、鍛冶曲輪にあり

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