«prev
next:»

名古屋城

長篠城・岡崎城の見学が予定より早く終わってしまったので(長篠城の見学可能範囲が予想より小さかったのが主な原因)、今回は予定になかった名古屋城に行くことが出来ました。 愛・地球博の時に初めて訪れて以来10年ぶり2回目の登城です。

愛・地球博の時にはまだ100名城スタンプラリーを始めていなかったので、今回スタンプゲットしました。スタンプラリーを始めてから数えて登城61城目です。

本丸御殿

10年前に来たときにはなかった本丸御殿、名古屋城に到着して直行しました。御殿が復元されるというニュースを聞いたときには『観に行きたい、次はいつ名古屋城に行けるだろう』と思っていたのですが、予定より早く実現しました。

本丸御殿は工事用の足場などで囲まれ外観は入口周辺を除くとはほぼ見えません。また、以前はこの位置から大小天守が並んで見えたのですが、いまはこの通り大天守しか見えません。

玄関

2015年時点での本丸御殿の公開範囲は玄関表書院のみ、全体の数分の一です。復元工事は継続しており、すべてが完成するのは平成30年(2018年)の予定です。

まずは玄関です。玄関と言っても庶民の家のような『単に靴を脱ぐ・履くスペース』ではなく、客が対面を待ってしばらく待機するための部屋です。

玄関一之間
重要な客が最初に通された部屋です。18畳の広さがあり、絢爛豪華な襖絵で飾られています。右奥には違い棚が見えます。

玄関二之間
28畳の広さがあります。障壁画のテーマは一之間と同じですが、違う画家の作品と考えられているのだそうです。

玄関の二部屋を飾る襖絵は狩野派によって描かれた竹林豹虎ちくりんひょうこ
当時は豹が虎とは別の種類の動物だと知られておらず、虎の雌だと思われていたのだそうです。

廊下

奥へと続く大廊下。
一番広いところは幅3間(6m)もあります。

表書院

表書院は、本丸御殿の中でも最も格式の高い間であり、床面積も大きい部分です。藩主の正式な謁見の際に使用されました。

表書院、三之間
39畳の広さがあります。

表書院、二之間
24畳の広さがあります。ここも金ぴか…。

表書院、一之間
手前の一之間は広さ24畳、その奥が藩主のいる上段之間です。

表書院、上段之間
上段之間は藩主が座る部屋で、15畳あります。この写真の右手に先ほどの一之間が隣接しています。この写真では見難いですが左手には床と違い棚があります。また見学者からは見えませんが、奥の壁の向こうにもう一部屋、納戸之間があります。

ここで今回の本丸御殿の見学はおしまいですが、すべて完成したらまた来たいですね。

天守

小天守

続いて天守へ。名古屋城の天守は大天守・小天守の二つが通路によって結ばれた連結式です。小天守は二重、大天守は五重の層塔型です。オリジナルは慶長17年(1612年)に作られ、明治維新の廃城令でも取り壊されずに保存されていましたが、太平洋戦争時に空襲で焼失。現在あるものは昭和34年(1959年)に鉄筋コンクリート建築で外観復元された物です。

長く名古屋の観光名所として親しまれていますが、老朽化のため建て替え、しかも江戸時代の工法による木造での復元が検討されているようですね。

名古屋城小天守は外観二重で内部は3階+地下階(ただし見学者が利用可なのは地下階のみ)、大天守は外観五重で内部は7階+地下階(ただし6階は見学者用ではない)になっています。

小天守です。名古屋城は、大天守に直接はいることは出来ず、いったんこの小天守に入ってから通路を通って大天守に向かう構造になっています。現在、小天守はほぼ受付だけの場で、小天守内の見学はできません。チケットを買ったらそのまま大天守へ向かいます。

外からでは判らないのですが、小天守と大天守を結ぶ通路には屋根がありません。

大天守地下階

大天守地下階は小天守からの通路に接続しているフロアです。現代のビルと違い、地面より上にあっても石垣の中は地下という扱いです。

地下階では、壁が石垣の内側になっています。現存天守の穴蔵(櫓の地下階)もこんな感じですね。

天守の屋根を飾る金鯱の実物大模型です。オリジナルは慶長17年(1612年)に作られ、慶長小判にして1940枚分の金が使われていたと言われていますが、昭和20年(1945年)に空襲で焼失してしまいました。ここに展示されているものは石膏製で金ではありません。

黄金水井戸の模型。黄金水井戸は大天守地下にあった井戸です。『黄金水』の名の通り井戸底に金が敷き詰められていたという言い伝えがあるのですが、発掘調査では金は発見されなかったとのこと。

大天守7階

エレベータで一気に最上階へ上って、降りながら見学していくことにします。

大天守7階(最上階)はお約束の展望台です。土産物コーナーやコイン双眼鏡、記念メダル打刻機など、観光展望台にありそうなものがひととおりあります。

北側はすぐ近くに堀が見えます。

南東方向を観ると眼下に工事の進む本丸御殿の覆屋が見えます。

南側。見えている櫓は本丸西南隅櫓です。小天守の方向ですが近すぎて屋根にかくれて見えません。

見学者は6階には入れないので次は5階です。

大天守5階

下の階に較べると床面積に対して相対的に階段室やエレベータ室が大きいので、展示は狭いところ(部屋というより通路)にごちゃごちゃ置いてある印象です。

石引体験コーナ-。写真左手、人夫の人形の奥に綱がでていて、引っ張ってみられるようになっています。

実物大金鯱。地下にもありましたが、こちらは金鯱の上に座って記念写真を撮ることができます。

大天守4階

4階には武具などが展示されています。この写真は火縄銃ですが、一番下のものは3mもあります。実用性はあったのでしょうか。使い所がよく判りません。

大天守3階

3階の半分は江戸時代の城下町の様子を再現した実物大セットになっています。

城下街エリアは、照明と効果音で一日の時間の移り変わりを表す演出があります。

3階の残り半分は城内の生活を再現した実物大セットです。これは本丸御殿の対面所の一部を再現したものです。本丸御殿の第二期復元工事の範囲なので、本丸御殿でフルサイズの部屋が平成28年(2016年)から公開される予定です。

葵のご紋のついた駕籠がありました。外観は金ピカで派手ですが、あまり乗り心地がよさそうとも思えないですね…。

大天守2階は企画展があるときのみ公開されるので次は1階です。

大天守1階

名古屋城大天守の模型。

名古屋城と城下街のジオラマ。こういうものがあると全体のイメージを掴みやすいですね。

本丸御殿の模型です。いまは工事のため覆われていて外観はほとんど見えませんが、復元が完成するとこんな姿になるんですね。

櫓・門など

日没・閉館時刻が迫ってきたので、後は駆け足で。

大天守を外から。

清正の石曳の像。天守石垣の普請を行った加藤清正が、自ら巨石の上に乗り音頭を取ったという逸話をイメージした像です。

乃木倉庫。これは江戸時代の遺構ではなく、明治時代に作られてた弾薬倉庫です。当時陸軍の乃木希典が名古屋鎮台に着任していたことから乃木倉庫と呼ばれるようになりました。レンガ造りの建物ですが、後にレンガ保護のため白亜塗りになりました。

昭和20年(1945年)の名古屋空襲の際、天守や御殿は焼失したものの、障壁画や天井絵がこの倉庫に運び込まれていたため破壊を逃れました。

本丸西南隅櫓、またの名を未申ひつじさる隅櫓です。慶長17年(1612年)の築城当時から現存している櫓で、二重に見えて内部は3階あるという珍しい形です。そう思って見ると下から一重目の屋根までが長いのが判ります。

本丸東南隅櫓、またの名を辰巳たつみ隅櫓です。西南隅櫓と同じく築城以来の現存建築、二重三階の櫓です。

これも築城以来の現存建築です。補修作業中なのか開口部に金属のフレームのような物が設置されています。

正門。明治43年(1910年)に江戸城内の蓮池御門が移築されましたが戦災で焼失、昭和34年(1959年)に再建されました。

今回は当初の予定になかったところを欲張って回ってしまいったので本丸御殿以外はかなりの駆け足見学になってしまいましたが、次は本丸御殿完成後に充分時間を取って見学したいですね。

データ

Webサイト名古屋城公式サイト
Google Map名古屋城
アクセス地下鉄名城線『市役所』駅下車、徒歩5分
100名城スタンプ正門改札所、東門改札所、総合案内所
開園時間09:00~16:30(最終入場16:00)
休園日年末年始(12/19~1/1)
入園料大人500円、中学生以下無料

コメント

タイトルとURLをコピーしました