上杉伯爵邸

上杉伯爵鄭は米沢城二の丸(本丸の南側)、上杉博物館にも隣接した場所にあります。なかなか立派な構えの表門です。

上杉伯爵邸は、最初は明治29年(1896年)に上杉家第14代の上杉茂憲もちのり伯爵の邸宅として建てられました。しかし大正8年(1919年)の大火で焼失、大正14年に銅板葦き総ヒノキの入母屋づくりの建物が再建されました。第二次大戦後には米軍将校の宿舎として使われ、接収が解除されると米沢市が上杉家より譲渡されて公民館として使われていました。昭和54年(1979年)より上杉記念館として市内観光のための施設となり、館内で郷土料理が提供されるようになりました。現在は国の登録有形文化財にもなっています。

門の右手にある建物は警備棟で、かつては警察官が駐在していました。
現在は改装されて カフェ和庭なごみてい となっています。

表門から入らずに道路に沿って進んでいくと冠木門があります。奥には土蔵が残っています。

庭園

表門から中へ。

ここにも上杉鷹山公の像がありました。

食事を予約した時間まであと30分以上あったので、先に庭園を見学することにしました。

庭園の方から屋敷をみるとこんな感じです。基本的に主屋内の庭が見える部屋(≒庭から見える部屋)は客室として使われているようです。

上杉伯爵鄭の庭の一角に植えられた平洲椿。もとは上杉鷹山公が師と仰ぐ細井平洲が普門院に植えたものでしたが、その後未登録種であることが判り、平洲椿と名付けられました。ここにあるものは普門院の原木より挿し木によって増殖され、上杉家第17代当主・上杉邦憲氏が植えたものだそうです。

庭園の池の周りにはいろいろな種類の花が植えられているようですが、ちょっとシーズンを外してしまったようです…。

池には鯉が。もともと米沢の鯉は食用として養殖されたものなのだそうですが、さすがに今は庭園の鯉を捕って調理したりは…しないのかな…?

庭園の奥にあったこの像には 登坂又蔵翁 と書かれています。登坂又蔵氏は大正時代から昭和初期にかけて活躍した政治家・実業家で、米沢市会議員、米沢市長、山形県会議員などを歴任しました。

2階は1階に較べてずっと小さいです。現在は2階も客室として使われているようです。

主屋の西端あたり。複雑な形状になっています。

主屋

時間になりましたので、いよいよ主屋の中に入ります。玄関も立派ですね…

玄関には、上杉家の家紋入りの着物が飾られていました。

僕が通されたのは大広間…というか、この日はすべての客が大広間におさまっていました。通常はグループで予約しないと個室にはならないのかな。

写真は大広間に飾られていた掛け軸です。

※食事の内容は別記事

ここから先は食事後の見学です。
大広間から先に進むと中庭がありました。

花が飾られていたり…

20名まで入れる奥の間。この日は玄関~広間しか冷房が入っておらず、奥はむちゃくちゃ暑かったです…

今度は庭の見える廊下を通って奧へ。

こちらは居間のようです。

さらに進んで紅の間…だったかな。

二階へ昇ってきました。ここもこの日は使われていなかったようで、一階よりさらに暑い(苦笑

二階から大広間あたりを見下ろすとこんな感じ。

旧華族のお屋敷を観る機会はなかなかないので、興味深くあちこち歩き回ってしまいました…。

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