豊後竹田で最後に見学したのは、瀧廉太郎記念館です。
瀧廉太郎記念館
瀧廉太郎について
瀧廉太郎は明治12年(1879年)生まれ、明治時代の日本の西洋音楽界を代表する音楽科・作曲家です。明治36年(1903年)に23歳の若さで他界するまでに、『花』『箱根八里』『荒城の月』など、今も多くの人に親しまれている歌曲を多数作曲しています。
瀧家は豊後国日出藩の上級武士でしたが、廉太郎自身は東京で生まれました。地方官だった父親の仕事の都合で幼少期には神奈川・富山・東京・大分とあちこちを転々とし、竹田に住んでいたのは高等小学校時代(当時の高等小学校は現在の小学校高学年~中学校に相当)でした。
瀧廉太郎記念館へ
瀧廉太郎が竹田の高等小学校に通っていた時代、12~14歳頃に住んでいた屋敷を改装されて、滝廉太郎記念館になりました。
入ってすぐの所にある瀧廉太郎のレリーフ。
瀧廉太郎は留学中、有名な作曲家メンデルスゾーンが創立したライプツィヒ音楽院で学びました。その縁で新種のバラ『メンデルスゾーン』を贈られ、ここに植樹されたのだそうです。残念ながら僕がいったときは咲いていませんでしたが。
館内には瀧廉太郎の書簡や写真、自筆譜などが展示されているのですが、残念ながら展示品の撮影は不可でした。というわけで庭の風景など。
庭を散策。奥の蔵の中で上映されている、瀧廉太郎の生涯を紹介する動画がオススメだそうです(もちろん僕も見ました)。
右手の岩の穴は馬小屋だそうです。
データ
Webサイト | 竹田市観光ツーリズム協会サイト内の瀧廉太郎記念館ページ |
Google Map | 瀧廉太郎記念館 |
アクセス | JR豊肥線 豊後竹田駅より徒歩10分 |
開館時間 | 09:00~17:00(最終入場16:30) |
休館日 | 12/29~1/3 |
入館料 | 大人300円、小中学生200円 |
駐車場 | 瀧廉太郎記念館専用の駐車場はないようです |
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