大分府内城

豊後竹田からまだ日のあるうちに大分市に戻れたので、急いで大分府内城も見学することにしました。日本100名城登城86城目です。

大分府内城について

大分府内城全体図(現地案内板より)

歴史

慶長2年(1597年)豊臣家家臣の福原直高ふくはら なおたか(福原長堯ながたか)が築城を開始、慶長4年(1599年)に完成。当時はこのあたりが大分川の河口で、船の荷さばきが行われていたことから荷揚城と呼ばれました。

豊臣秀吉の死後に直高は転封となり、変わって直高以前にこの地の代官であった早川長政はやかわ ながまさが入城しますが、長政は関ヶ原の戦いで西軍についたために慶長6年(1601年)に改易。変わって竹中重利たけなか しげとしが入城し、城の大改修を行います。重利の時代に天守・櫓・山里曲輪・内堀・外堀・各門が完成し、城郭としての姿を整えていきました。

その後、日根野吉明ひねの よしあきが城主となりますが嫡子がないまま没して日野市が断絶。稲葉信通いなば のぶみちが城代となったあと、万治元年(1658年)に大給松平氏の松平忠昭まつだいら ただあきが入城して藩主となり、以後明治維新まで大給松平氏の居城となります。

構造

大分府内城は現在の大分市中心部である平地に築かれた平城で、本丸の東西に曲輪が配置された梯郭式城郭です。本丸は大規模な2重の堀で守られています。

見学ガイド

現在は本丸・西の丸・東の丸だった部分が城址公園になっています。これらは堀によって囲まれ、周囲の市街地とは区切られています。西の丸・東の丸と本丸を隔てていた内堀は埋め立てられ、1つの大きな公園になっています。

城内には2つの櫓と天守台が現存し、さらに3つの櫓と大手門・廊下橋が復元されています。

いざ登城

大分駅からは1kmほど、徒歩15分で到着。僕は往復とも歩いてしまいましたが、大分県庁や大分市役所のすぐ近くなのでバス路線もあると思います。

宗門櫓

大手門前から堀の外を時計回りに回ると、最初に見られるのが宗門櫓です。現存建築ですが築城当初のものがそのまま残っているわけではなく、今ある櫓は安政6年(1859)に再建されたものです。

宗門櫓は外側から見ると平櫓です。櫓台がないため内側から見ると2重櫓に見えます。1階部分は地下階という扱いのようです。

西南隅二重櫓

城址公園の南西にある二重櫓。復元建築です。

この二重櫓は櫓台がなく、内側から見るとつっかい棒のような物で支えられています。

人質櫓

本丸の北側にある二重櫓、通称人質櫓です。これも宗門櫓と同様、現存建築ですが築城当初のものがそのまま残っているわけではなく、文久元年(1861)に再建されたものです。

東北隅二重櫓

東丸の北東にある二重櫓です。復元建築です。

東南隅櫓

東丸南東にある櫓です。復元建築ですが…図面には平櫓と書かれているのですが、なぜか二重櫓として復元されていますね。何故??

着到櫓

ぐるっと一周して大手門のすぐ東、東丸西南隅にある着到櫓です。

内部へ

それでは大手門から内部へ入ります。堀を越えて大手門へ至る道は現在は車が通れる大きな通りになっていますが、かつては廊下橋で結ばれていました。

100名城スタンプはこの大手門を入ってすぐの位置にあります。屋外に置かれているにしては状態はまぁ良好でした。

天守台

本丸には天守台が現存しています。天守再建のプランもあったらしいのですが具体化はしなかったようです。天守台には上ることができます。この写真の左奥あたりに登り口があります。

天守台の上面はこのような状態です。周囲には柵があります。

天守台から城址公園全景を見渡しています。面積の大部分がなにも無い広場です。
左奥に見えるビルが県警本部、その向こうに大分県庁があります。そのあたりが旧三の丸です。

天守台東側は庭園のようになっているのですが、入口には柵が置かれていて入ったらまずそうな感じだったので、天守台から見下ろすだけ…。

天守台を降りて廊下橋のほうへ向かう途中、堀へ降りる階段があります。

堀に下りたところで周囲を見渡すとこんな感じです。堀に沿って歩けそうなので、少し進んでみることにします。

前のパノラマ写真の初期方向前方に堀に沿って進むと、ちょうど天守台の下あたりに小さな祠があります。この祠については悲しい言い伝えがあります。

今からおよそ400年余り前、福原直高がこの地に荷揚城(現在の府内城)を築城する際、度重なる水害で工事が進まなかったことから、人柱を立てることになりました。「人柱の家族の者は、一生安楽に暮らせるようにする」というお触れに、上野六坊に住む孝行娘のお宮が一家を救うために立ち、弁財天の木像を抱いて人柱になりました。その後、築城は順調に進み、お宮は弁財天と友に府内城の鎮守としてあがめられたと伝えられています。

(大分府内城内の解説パネルより)

この祠こそ人柱となったお宮を弔うためのもので、毎年法要が行われているそうです。

廊下橋周辺

堀跡

廊下橋の近くに、現在は埋め立てられている内堀の跡があります。

冠木門跡

かつて廊下橋と西丸の間には冠木門がありました。ここにその礎石が残っています。道が折れ曲がって、食違虎口になっています。

廊下橋

廊下橋の西丸側の入口です。この廊下橋は、大分市発足30周年記念事業として平成7年度(1995年度)に復元されました。意匠は、絵図の残っていた大手門の廊下橋を参考にしているそうです。

廊下橋の内部です。

廊下橋を渡った先は山里丸という曲輪です。現在は松栄神社になっています。
なお、この廊下橋を渡れるのは08:00~18:00の間だけで、それ以外の時間帯は施錠されているそうです。

慶長石垣

廊下橋の近くには、廊下橋復元のための発掘調査で発見された慶長時代(福原直高による築城当初)の石垣が見られるようになっています。

というわけで無事城内を一周しました。

まとめとデータ

大手門と櫓類はすべて公園外周に存在しており、公園内は天守台の東側が庭園になっている以外はただの広場になっています。堀の外側から見た重厚な印象とは裏腹に中はシンプルです。細かい見所が外周沿いに散在しているので、ぐるっと一周しながら見ていくといいでしょう。

Webサイト大分市サイト内の大分府内城紹介ページ
Google Map大分府内城
アクセスJR大分駅より徒歩15分
見学時間、休業日見学随時
(廊下橋は08:00~18:00のみ開場)
入場料無料
100名城スタンプ廊下橋、文化会館北西側の事務所出入り口

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