米沢城

旅行5日目は、仙台から米沢まで足を伸ばします。続100名城登城40城目、山形県の米沢城です。続100名城選定前に一度訪問したことがあるのですが、前回訪問から10年以上経って記憶が薄れてきたこともあり、スタンプ回収だけではなく城全域を改めて見学しました。

米沢城について

歴史

米沢城は最初、鎌倉時代の歴仁元年(1238年)、奥州平定の功により出羽国長井郷の地頭として赴任した長井時広によって築城されたと言われています。その後室町時代になるまで長井市が米沢城の城主でした。

室町時代初期(はっきりした年は不明)、米沢は伊達氏の支配下となりました。天文17年(1548年)、伊達氏は拠点を米沢城に移しました。伊達政宗も米沢城で生まれたと言われています。

天正19年(1591年)に伊達氏は豊臣秀吉によって岩出山城(宮城県)に移され、米沢城には蒲生氏郷の家臣・蒲生郷安が入城しますが、慶長3年(1598年)に米沢は上杉氏の領地となり、上杉家家臣の直江兼続が米沢城の城主となりました。

関ヶ原の戦いと同じ年の慶長出羽合戦により、上杉氏は大幅に領地を減らされ、上杉景勝が米沢の城主となりました。以後江戸時代を通じて米沢は上杉氏の居城となりました。

構造

米沢城は、ほぼ正方形の本丸をややいびつな四角系の二の丸がかこみ、さらにその外側を三の丸が囲む、輪郭式の縄張りを持っています。本丸と二の丸はそれぞれ土塁と堀で囲まれ、三の丸も一部を除いて外堀で囲まれていました。

天守はありませんでしたが、本丸北東・北西には御三階櫓が築かれていました。本丸東と北の門は枡形が築かれて防備を固めていました。

見学ガイド

現在は二の丸・三の丸の堀は埋め立てられて残っていません。本丸は上杉神社となっており、建物はまったく現存していませんが、内堀と土塁の一部が残り、かつての姿を残しています。

JR米沢駅からは2.2km、徒歩だと30分程度かかります。公共交通機関でアクセスする場合、米沢市内のバスのうちいくつかが利用できるのと、仙台駅前から高速バスでもすぐ近くまでアクセスできます。

いざ登城

今回、米沢へは仙台駅前から高速バスを利用してアクセスしました。往復で4,000円と新幹線を使うよりずっと安く、しかも上杉神社近くにバス停があるためJRの米沢駅から歩く必要がありません。

仙台駅前からぴったり2時間(7:10発→9:10着)、上杉神社前到着。バス停は上杉神社(米沢城本丸跡)を含む松が岬公園の入口ちかくにあります。

写真奥に上杉神社、右手前の建物は上杉城史苑というレストラン&売店、左手の芝生の山の陰に上杉博物館があります。上杉神社が本丸、上杉博物館や上杉城史苑は二の丸です。二の丸の堀は埋められて三の丸とつながっています。バスが通ってきた道は、おおまかに二の丸の東側の堀に沿っています。

城だった時代の城下絵図はこちら。現在は本丸の堀しか残っていませんが、かつては二重・三重に掘が合ったことが判ります。

周辺全体の案内図はこちら。2つ前の写真を撮影したのはこの図の右端中央あたりです。城下絵図と較べると二の丸・三の丸の堀が埋め立てられていることはすぐ判るのですが、この図の左下に伸びる堀は城下絵図には描かれていません。

二の丸

松が岬第二公園

上杉神社に向かって歩いて行くと、右手に松が岬第二公園があります。このあたりは二の丸ですが、城時代の面影はありません。

松が岬第二公園入口付近には、米沢半中興の祖とされる上杉鷹山うえすぎ ようざんの坐像があります。

同じく松が岬第二公園入口付近にある草木塔そうもくとう。山林伐採など植物に関係する仕事に関わった人が、草木にも魂があるとして建てた供養塔だそうです。全国に34基の存在が確認されていますが、そのうち32基は山形県内、さらにそのうち17基は米沢市内にあるのだそうです。

これまた松が岬第二公園入口付近にある秦逸三はた いつぞう氏の像。秦逸三氏は国産初の化学繊維レーヨンの発明者で、米沢高等工業学校(山形大学工学部の前身)の講師でした。

この像は2015年に帝人(帝国人造絹絲株式会社)から米沢市に寄贈されたものなので、僕が前回米沢を訪問したときにはまだなかったんですね。

松が岬第二公園内、戦没者の慰霊碑。

松が岬第二公園内、『母子像』。

同じく松が岬第二公園内、『朗抱』。

公園内には、このような子供向けの遊具もあります。

松岬神社

松が岬第二公園の隣には松岬まつがさき神社があります。明治35年(1902年)に上杉神社から上杉鷹山を分祀、さらに大正12年(1923年)に上杉景勝、昭和13年(1938年)に上杉家の家臣・直江兼続なおえ かねつぐ細井平洲ほそい へいしゅう竹俣当綱たけのまた まさつな莅義善政のぞき よしまさを合祀しました

松岬神社内にはこのような庭園があります。

松岬神社境内には『伝国の辞』の石碑があります。伝国の辞とは、上杉鷹山が隠居する際、藩主治広はるひろに与えた藩主の心得三箇条のことです。

伝国の杜

こちらは伝国の杜です。上杉博物館とホールが一体になった施設です。たぶんこの写真の左寄りのあたりは、二の丸堀を埋めた部分だと思います。

本丸(上杉神社)

本丸へつながる舞鶴橋です。『毘』と『龍』の旗が掲げられています。

舞鶴橋は現在は表参道、城時代も主要な登城路でした。古図でもだいたいこの位置に橋がありますが、現在かかっている橋は明治19年(1886年)に竣工した石造りのアーチ橋です。

舞鶴橋上より見る本丸堀です。実は米沢城の遺構らしい遺構はこの本丸堀だけだったりします…。

舞鶴橋を渡り終えた場所で360度写真を。この写真だけでも米沢城内の見所が多く写っています。

舞鶴橋を渡ったすぐ右手にある野口雨情の歌碑。『あづま山から/兎がはねて/ぴょんとここまで/こえばよい』と刻まれています。

右手に少し進むと、上杉謙信公像があります。

上杉景勝公と直江兼続公の主従像。手には有名な『愛』の兜が。そーいや前回の米沢訪問は直江兼続が主人公の大河ドラマが放映されていた当時でした。

上杉鷹山公の『誓い』の碑。『受けつきて國のつかさの身となれば忘るまじきは民の父母』と刻まれています。

上杉鷹山公立像

伊達政宗生誕の地の碑。伊達政宗は米沢城で生まれました(異説あり)。

上杉謙信嗣堂跡

舞鶴橋を渡ってすぐ左手、ここを上ると上杉謙信の嗣堂跡があります。

上杉謙信公の遺骸を安置した嗣堂(御堂)が建っていた場所です。現在、謙信公の遺骸は上杉家墓所に移されました。

上杉謙信嗣堂跡にある招魂碑。

臨泉閣

こちらは臨泉閣、観光案内所と売店があります。続100名城スタンプはこちら。

なぜか建物脇のあまり目立たない場所に直江兼続公の人形がありました。

臨泉閣前にはベンチがあって休憩できるようになっていますが、そのうちの1つは『かねたん(直江兼続をイメージしたマスコットキャラクター)のハート型ベンチ』になっています。

…いろいろな意味で座りにくいです。

上杉神社

ではいよいよ本丸奥の上杉神社本殿へ。

上杉神社本殿です。前回の訪問時は大河ドラマ放映中の日曜だったためかそれなりに混雑していたのですが、今回は平日朝ということもあってか人影もまばらです。

その他本丸にあるいろいろ

上杉神社参拝を終えて、本丸北東部へ。このあたりに御隅櫓があったはずですが、この写真の奥の方が上りになっているのは櫓台の跡でしょうか。

櫓台?の上には『従三位上杉義山公之碑』があります(『義』の字は本来は『日』偏がつきますが、環境依存文字なので代用しています)。
題字は陸軍大将・有栖川宮熾仁親王の書によるもの。

建国記念の碑

上杉神社本殿裏手の池の中、甘棠之碑鯉供養之碑。米沢の鯉は食糧不足に備えて養殖が始まったものです。

上杉神社稽照殿。上杉家に伝わる品などを展示しています(有料)。中は撮影禁止だったので写真はありません。あの直江兼続の『愛』の兜があるはずだったのですが(前回の訪問では観た)、現在は補修中とのことで展示中止になっていました。

稽照殿の裏にある福徳稲荷神社。道も続いていなければ案内もないので、城内をくまなく歩いてやろうと思っている僕のような人間しか行かないんじゃないだろうか…。

北参道。いったん外に出て撮影、渡った対岸が本丸です。もともと橋があった場所ではありますが、橋の姿は原形を止めていないように思います。

西参道。これもいったん外に出て撮影、渡った対岸が本丸です。堀を埋めた幅広めの土橋になっていて、いかにも『昔からあります』という顔をしていますが…古図だと西側には橋が描かれていません。

西参道から本丸に入ってすぐ、この位置には本丸北西櫓があったはずですが…参道北側の土塁のようなものは、ひょっとして櫓台跡なんでしょうか。三階櫓があったわりには小さいような気がします。

本丸南西にある菱門橋。鮮やかな朱塗りで一瞬木橋に見えますが、現代工法で作られた橋です。
城時代も同じ位置に橋があったのは確かで、本丸藩主御殿の南出入口にあたり、通行が厳重に取り締まられていたことか『秘し門』と呼ばれていました。現在は音の同じ『菱』と字が改められています。

菱門橋を渡って本丸に入ってすぐ(本丸南西部)には、春日山から移設された春日神社があります。

堀など

内堀南東隅、上杉伯爵鄭門前より。右手に舞鶴橋、左手に菱門橋が見えます。

菱門橋から南へ。このあたりは二の丸だった場所ですが、現在は一般市街地になっています。写真には堀が写っていますが、古絵図にはこの位置に堀が描かれていません。

先ほどの堀の南端、東に折れてさらに堀が続いているのですが、このあたりは古絵図だとギリギリ二の丸堀にかかるような気がするので、もしかしたら一部は二の丸堀遺構なのかもしれません。
なぜか堀の中に島があり、南岸・北岸両方から橋が接続されています。写真は南側の弁天橋です。

堀の中之島には『巳なる金弁財天』が祀られています。
これで城跡は全部回ったかな?次は上杉博物館へ行きます。

データ

Webサイト上杉神社公式サイト
米沢市公式サイト内の上杉神社紹介ページ
地図GoogleMap
アクセスJR米沢駅前より市街地循環路線バス乗車、『上杉神社前』下車すぐ(210円/17分)

今回は
JR仙台駅前より米沢方面高速バス乗車、『上杉神社前』下車すぐ(2,200円/120分)
を利用しました。交通系ICカード利用不可、予約不可。
往復券(2回回数券)だと4,000円なのでお得です。
開館時間上杉神社:夏期6:00~17:00、冬期7:00~17:00
稽照殿:9:30~16:00
休館日稽照殿:第2水曜、展示替え期間、冬期(11月下旬~3月上旬)に長期休館
入場料境内は無料
稽照殿:大人700円、高大生400円、小中生300円
備考続100名城スタンプは米沢観光コンベンション協会観光案内所(臨泉閣内)
臨泉閣にトイレ、飲料自販機あり

コメント

タイトルとURLをコピーしました