志布志城 1

九州旅行8日目は、鹿児島県大隅半島東部にある志布志城を見学します。続100名城登城19城目です。

現地の案内板より

志布志城について

歴史

志布志城の築城年代ははっきりしていませんが、現在志布志城を構成する松尾城・内城・高城・新城の四つのうち松尾城と内城は南北朝時代には存在していたとされています。

日向国と大隅国の境界付近にあり(志布志は現在は鹿児島県内だが、実はかつては日向国内だった)、また国内外と盛んに交易が行われていた志布志港にもちかい志布志城は軍事・経済両面での重要拠点であり、楡井にれい氏・新納にいろ氏・肝付きもつきとたびたび城主が変わりました。

戦国時代~安土桃山時代には志布志は島津氏の直轄地となり、志布志城は島津の外城(地方支配の拠点)となり地頭(代官)が置かれました。しかし江戸時代の一国一城令により廃城となりました。

構造

志布志城は内城・松尾城・高城・新城の4つの城で構成されています。それぞれいくつかの曲輪を深い空堀で区切った山城です。このうち今回見学した内城は、南に向かって伸びる細長いシラス台地を先端から空堀によって切り出して曲輪とし、最初は最南部の曲輪1(矢倉場)~曲輪3(本丸)、その後順次曲輪4~曲輪5(中野久尾)、曲輪6(大野久尾)が形作られたと考えられています。

いざ登城

正午頃から天気が崩れるという予報だったので、午前中に観たいところをすべて回れるように朝早く出発しました。志布志駅前から内城登城口まで2km弱ほど、歩けない距離ではありませんが、駅前にタクシーが止まっていた利用。今回はお金より体力と時間を優先する方針です。まぁ、せいぜい1000円だし。

志布志城(内城)登城口近くには観光客向けの駐車場があります(無料で駐められるようです)。駐車場内にトイレもありますので、登城前にいろいろ整えていきましょう。

※この写真は登城前ではなく、あとでもう一度近くを通ったときに撮影したので地面が濡れています

志布志城登城口。右手に入っていくとすぐ城内の案内板がありますが、その先にもう少し民家があるので『覗かない』『騒がない』という注意書きがあります。

また、志布志城はあまり整備されていない山城なので城内には自販機も休憩所もありません。写真に写っている自販機が最後の補給ポイントです。

では突入…。

曲輪1(矢倉場)

埋蔵文化財センターのジオラマより

※ここから先、志布志市埋蔵文化財センターにある志布志城ジオラマの写真をたびたび使用しますが、これは高さ方向が水平方向に較べて1.5倍に強調されているそうです

曲輪1(矢倉場)へ。曲輪1へ繋がる道は、登城口から上り始めてすぐ、民家の裏手のような場所で分岐します。

曲輪1は志布志城内城の最南端、細長く伸びたシラス台地の先端に築かれた曲輪です。内城の中でもっとも早い時期に作られた曲輪でもあります。

矢倉とは字の通り弓矢を収納する場所という意味であり、また『櫓』にも通じる言葉です。この曲輪は防衛上重要な役割を持っていたのでしょう。敵が平地側から寄せてくれば真っ先に攻撃に晒される位置であり、大手を見下ろす曲輪であり、背後にある本丸を護る曲輪でもあります。

曲輪1は見学用によく整備されています。案内板が設置され、建物の柱跡が表示されています。
というか草が刈ってあるだけも中野久尾よりずっと状態が良いです(苦笑)

矢倉場の奥には、かつて志布志城の城主だった新納時久にいろ ときひさの墓がありました。

曲輪2、曲輪3

登城口~曲輪2

いよいよ本丸登城口(記事冒頭の全体図の空堀2)、ここから本格的な山道です。傾斜の急なところには階段がつくられていますが、それ以外はほぼ素の状態の土の地面です。前日・当日と晴れていたはずなのですが、数日前に見学した知覧城とくらべて地面の状態がかなり悪いです。

内城の中心となる曲輪2・曲輪3(本丸)は意外に登城口から近いです。登城口から道なりに進んでくるとこのT字路にぶつかります。ここを右に進むと空堀3を経由して曲輪2・曲輪3にたどり着けるはず…

曲輪2への上り口を見つけました。埋もれかかっていますが一応階段が判別できます。

曲輪2

埋蔵文化財センターのジオラマより

曲輪2上段へ。曲輪2は曲輪3(本丸)と隣接した曲輪です。

曲輪2は、写真で判るとおり見学用に整備されています。

曲輪2からも多数の柱穴や土坑が検出されており、複数の建物があったと考えられています。またいくつかの柱穴には柱を支える石が置かれていることから、比較的大規模な建物があったと思われます。

周囲数カ所にみえる土盛りは土塁の跡でしょうか。

曲輪3へ

空堀3を歩きます。知覧城の空堀はもっと道幅が広く平坦でしたが、志布志城は狭く、かなり激しく上り下りがあります。

曲輪3下段上り口にたどり着きました。

曲輪3下段

埋蔵文化財センターのジオラマより

曲輪3下段。ここは志布志城の曲輪の中では比較的整備されています。

曲輪3は内城の中心的な役割を果たしていたと考えられる曲輪で、本丸と呼ばれています。曲輪3は上下2段にわかれており、この写真は下段です。

発掘調査では柱穴や土坑などが検出され、2棟以上の建物があったと推定されています。また鉄滓(鉄を生成する際に出る不純物)が出土していることから、工房などの作業場があったと考えられています。

陶磁器や金属製品、銅銭、硝子製品の破片なども出土しており、その産地の多様さ(中国や東南アジアなど海外製品を含む)は、志布志港での交易を窺わせます。

この階段から上段へ上ります。

曲輪3上段

曲輪3上段は、現在は多数の木が並んでいます。が、幹が真っ直ぐで枝葉が高い位置にしかなく、下草も少ないので、全体が見通せます。下段側以外は土塁で囲まれているように見えます。

上段からさらに一段高くなった位置には、三宝荒神が祀られています。

三宝荒神とは不浄やΨ難を除去し仏法を守護する神で、日本ではかまどの神・火の神・軍神ともされています。城の守り神として、城主の主殿のある本丸に社が建てられたと考えられています。

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