開陽丸

道の駅上ノ国もんじゅの次は、江差の開陽丸記念館です。バスで移動すると見学時間がほとんどとれなくなってしまうので、道の駅もんじゅからタクシー移動しました。3,500円くらいかかりましたが、まぁ仕方ない(苦笑)。

開陽丸について

歴史

開陽丸は幕末に幕府海軍に所属した軍艦です。嘉永6年(1853年)の黒船来航に危機感を抱いた江戸幕府が、諸外国の脅威に対抗すべくオランダに建造を依頼し、1866年10月に完成した当時最新鋭の艦で、引き渡しのための日本への航海の指揮をとったオランダ海軍のディノー大尉が『オランダ海軍にも開陽に勝る艦はない』とまで言うほどの存在でした。ちなみに開陽丸はオランダでは『Voorlichter フォーリヒター=夜明け前』という、日本語の『開陽』に通じる意味の名で呼ばれていました。

しかし日本に到着したのが慶応3年(1867年)3月、翌年の明治元年(1868年)には明治維新がおこり、幕府海軍の艦としてはほとんど活躍できませんでした。

明治元年8月、新政府軍に逆らった榎本武揚えのもと たけあきの指揮の下、開陽丸は他7隻の幕府軍艦とともに江戸湾を脱出。仙台で旧幕府軍の兵士や土方歳三らと合流して蝦夷に逃れ、函館に入港します。しかし同年11月、江差攻略の陸上部隊の支援のため出撃した開陽丸は、江差沖で暴風雪に遭い座礁。脱出の試みも失敗に終わり、榎本武揚や土方歳三、脱出した乗組員らの見守る中、10日後に沈没してしまいました。オランダでの建造から2年と少し、日本に到着してからはわずか1年数ヶ月の短い命でした。

昭和50年(1975年)より大規模な海底の調査・発掘が行われ、3万点以上の関連物品が引き揚げられました。またオランダに残っていた設計図を基に開陽丸が復元され、引き揚げられた品々を展示する博物館として公開されています。  

構造

開陽丸は木造シップ型フリゲートとよばれる型式の船です。『シップ型』とは3本マストのすべてに横帆を備えた型式の船で、開陽丸は帆走の他に補助動力として蒸気機関を備えていました。『フリゲート』とは軍艦の分類を表します。現代では、『フリゲート』は駆逐艦より小型で護衛や局所防衛などの任務に当たる艦を表すことが多いですが、この時代の『フリゲート』は第二次世界大戦頃の用語でいう『巡洋艦』に近い、準主力艦のイメージだったようです。

開陽丸は、最大長72.08m・最大幅13.04m・排水量2,590トンの当時としてはかなり大型の船です。同時代の有名な船では、『黒船来航』時のペリー提督の艦隊4隻のうち旗艦サスケハナは開陽丸よりひとまわり大きいですが(サスケハナも艦種はフリゲート、蒸気機関搭載)、ミシシッピ(蒸気機関搭載のフリゲート)は全長70mで開陽丸とだいたい同じ、サラトガとプリマス(帆走式、フリゲートより小型のスループという艦種)は全長45m前後で開陽丸よりずっと小さいのです。

開陽丸は武装も強力で、口径16cmのクルップ砲18門をはじめ合計34門の砲を備えていました。全体の半数以上を占めるクルップ砲とはドイツのクルップ社が開発した総鉄製の施条しじょう砲(施条=ライフリングとは砲身内部にらせん状に作られた溝のこと。これにより発射時の砲弾に回転を与え、砲弾の軌道を安定させることができる)です。オランダ留学中にその威力に驚嘆した榎本武揚らの尽力により、当初開陽丸には6門を搭載する予定だったクルップ砲が18門に増強されました。

開陽丸青少年センター~乗船まで

道の駅もんじゅからタクシー移動して開陽丸青少年センターに到着。開陽丸に乗船するにはここでチケットを購入します。窓口でチケットを購入して建物の中を通り抜けると乗船口です。売店や飲食コーナー、トイレもあります。

開陽丸青少年センターの建物脇には大砲などが屋外展示されています。手前から

9インチダルグレン砲(全長3.33m、口径22.5cm、射角4.0度で射程1,400m)
16サンチクルップ砲(全長3.35m、口径15.8cm、射角4.5度で射程3.983m)
12ポンドカノン砲(全長2.13m、口径11.6cm、射角32.6度で射程4,700m)

です。なお、ダルグレン砲は安価に製造できるように工夫された型式で、砲口部にくらべて砲尾部が太く、全体としてずんぐりした印象のフォルムが特徴。『カノン』は大砲全体を表すこともありますが他と区別する場合はライフリングのない滑空砲のことです。

そういえば大きさを表す単位がインチ/サンチ(cm)/ポンド(これだけ口径ではなく砲弾重量)とバラバラ…。

乗船口へ向かう通路には開陽丸の模型が。

乗船口手前には、引き揚げられた開陽丸の外板の一部が展示されています。木製なのによく残ってたな…。

こちらも引き揚げられたスクリューシャフトの最後部。全長6.8m、最大径88cmで推定重量は6t。出土した開陽丸の遺物中で最大級のものです。スクリューシャフト左手前にあるのは上下装置といい、搬送時に波の抵抗を避けるためにスクリューを上昇させる装置です。スクリューと帆走を併用した時代独特の装備です。

いよいよ乗船です。船首付近より全体を。

開陽丸2階

いよいよ開陽丸内部に乗り込みました。開陽丸では上甲板と船内二階層が展示室として公開されています。陸上から乗り込んですぐの階層は船内のうちの上の階層で『2階』、その下を『1階』と呼んでいます。船としての数え方は上から下にむかって第1甲板、第2甲板…ですが、見学者にとっては普通のビルと同じように下から数えた方が判りやすいから、ということでしょう。

2階全体はこんな感じ。限られたスペースに多数の展示品があるためごちゃごちゃした印象です。2階は当時の開陽丸の様子や歴史を解説する展示が中心です。

船体中心部には乗員用のハンモックがあります。人形が寝ているものが3つ、空のものが3つあり、コロナ以前は空のハンモックに『寝てみる体験』ができたようです。残念ながら現在はロープが張られて使用中止になっています。

大砲の操作の様子を表す展示です。砲の操作のための乗組員の人形が配置され、音声と照明で発射の手順を紹介しています。

ガトリング砲。数本の銃身を回転させることで高速連写を可能にした火器です。この時代のガトリング砲は銃身の回転が手回し式で、ハンドルが砲尾部に見えます。1988年に放映されたテレビドラマ『五稜郭』で里見浩太朗の演じる榎本武揚がこの型式のガトリング砲を撃っていた場面が印象に残っています。

※あの時代劇シリーズはなかなか良作揃いだったのでまた観たいのだけど、再放送しないかな…

こちらは大砲の発射手順を自分手体験できるコーナー。といっても、『砲身内部の火門をさらったか!』『発射薬を詰めたか!』などというアナウンスに併せて、大砲の周囲に配置されたボタンを番号順に押していくだけですが。

こちらは会議室のジオラマです。
人形は、左から中嶋三郎助荒井郁之助榎本武揚土方歳三だそうです。

こちらは艦長室のジオラマ。左は開陽丸艦長の沢太郎左衛門、右は…誰だっけ?刀を持ってるし土方歳三?

万国海律全書、榎本武揚の書など。
展示ケースが乗っているテーブルは開陽丸沈没時に漂着したものと伝えられているそうです。

装飾金具など、引き揚げられた小型の金属品。

拳銃がたくさん。

開陽丸の歴史を解説するミニジオラマより、これは開陽丸進水式(1865年)を記念して行われた晩餐会の料理の一部。右奥から時計回りに、ベリゴールのトルフェ入りゼリー、トルフェ入りの七面鳥、パリ風の小型パイとコロッケ、バニラのババロア。ここには5種類の料理がありますが、全体では20種を超える料理が提供される豪華なものだったそうです。

他にも開陽丸の名場面がミニチュアで再現されています。

1階

1階に降りてきました。1階には引き揚げられた品々や、引き揚げ品の保存処理手順などの解説があります。

砲弾など。球形のもの、先頭が丸味を帯びたり尖ったりした円筒形のものなどいろいろな種類があります。

引き揚げられた木製品。海水に浸かっていたので展示できる状態にするまでいろいろ大変らしいです…。

船尾部には船の構造の復元として汽笛用の蒸気タンクと換水装置がありました。

上甲板

最後は上甲板へ。

まずは船首付近。フォアマスト(3本あるマストのうち一番前のもの)、キャプスタン(錨やロープを巻き上げるための人力クレーン、マストのすぐ後ろにある穴の空いた円筒形のもの)が見られます。

船体の中央にはメインマスト(3本あるマストのうち中央のもの。3本のうち一番高い)とブリッジ(船橋/艦橋)があります。ブリッジは現代の船と違って建物状にはなっておらず、まさにその名の通り『橋』のような形状で、屋根もありません。

ブリッジ上からの長め。ちょっと高いだけなのですが上甲板全体がよく見渡せます。
この写真で判るとおり、開陽丸は船首から船尾まで段差のない一枚の甲板になっていて、上には構造物がほとんどありません。

船体後部には、操舵輪ミズンマスト(3本のうち一番後ろにあるマスト。開陽丸も含め、3本のうち一番低いことが多い)があります。

船を出て船尾方向より。開陽丸記念館はお台場の船の科学館のような『船っぽい形をした建物』ではなく、本物の開陽丸の設計図に元図いて復元されたものですが、よくみると舵が完全に砂浜に埋まっていて、固定されているようにみえますね。

もう少し鴎島へ渡る橋を進んだあたりから。船の全体が判りやすいでしょう。

というわけで、開陽丸の見学でした。前日に見学した五稜郭タワーや四稜郭と合わせて、幕末・箱館戦争の跡をたどってみました。ずっと訪れたかったので、今回勝山館と併せて見学が出来てよかったです。公共交通機関でアクセスするのは大変ですが…。

まだ時間に余裕があるので、次は鴎島に上陸します。

おまけ

夷王山山頂から見えた開陽丸です。直線距離で7.4km、間に遮るものが全くないので、天気がよい日中なら問題なく見えると思います。

データ

Webサイト開陽丸記念館公式サイト
地図GoogleMap
アクセス・函館駅または新函館北斗駅より函館バス610系に乗車、『姥神町フェリー前』下車徒歩5分
(函館駅からバス乗車2時間30分、運賃片道1,900円)
・木古内駅より函館バス631系に乗車、『姥神町フェリー前』下車徒歩5分
(木古内駅からバス乗車1時間40分、運賃片道1,250円)
開館時間09:00~17:00
休館日4~10月は無休、11~3月は月曜・祝日の翌日休館、年末年始休館
入館料大人500円

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