屋外展示
史料館南側
さて次は屋外の展示です。まずは建物南側(正面玄関に向かって右手)から。
右手前は零戦21型のプロペラと栄12型エンジン。垂水沖で底引き網漁の網に引っかかって日挙げられたものだそうです。
左寄り奥は艦上攻撃機 天山11型のプロペラで鹿屋市沖5kmで底引き網に引っかかったもの。
さらにその奥に隠れてしまっていますが紫電改の誉エンジンがあります。
第二次世界大戦中の魚雷、九三式酸素魚雷。説明板には『空気は、その四分の一が酸素、四分の三が窒素で~』とあったのですが、『五分の一が酸素、五分の四が窒素』の間違いじゃないでしょうか…。
US-1A救難飛行艇。国産初の水陸両用機です。昭和51年(1976年)に元となったUS-1が配備開始。昭和56年(1981年)にエンジンを換装してUS-1Aに機種転換され、平成29年(2017年)まで運用されました。海難救助や離島からの救急患者輸送などに活躍した傑作機です。
機種に大きく描かれている『76』は機体番号9076を表しています。次の番号9077の機体以降はUS-1からの改装ではなく最初からUS-1Aとして製造されました。そのまた次の9078の機体は岐阜の各務原で展示されていました(僕が行ったのは2015年ですが、いまもあると思います)。
P-2J対潜哨戒機。米ロッキード社のP2V-7を改良・国産化したものです。昭和41年(1966年)にP2V-7からの改造による試作1号機が初飛行し、昭和44年(1969年)に量産初号機が配備されました。平成6年(1994年)まで運用されました。28年間の運用期間中に83機が製造されましたが(試作1号機含む)、その間に事故などで一機も失われなかったことでも有名です。
この機体番号4783の機体は生産最終号機で、鹿屋基地で運用されていたものです。ちなみにその1つ前の機体番号4782の機体が岐阜の各務原航空宇宙博物館に展示されていますが、そちらも鹿屋基地で運用されていたものだそうです。
史料館北側
史料館の北側には多数の機体が並んでいます。
P-2J対潜哨戒機がもう1機。こちらは機体番号4771です。
B-65 クインエア練習機。海上自衛隊では『うみばと』の愛称で呼ばれていました。
KM-2練習機。鹿屋航空基地の教育航空隊で運用されていました。下の方にあるT-34A MENTOR連絡機をベースにしており、機体名の『KM』とは『KAIZOU(改造)MENTOR』の意味なのだそうです。
P2V-7対潜哨戒機。P-2Jの原形となった機体です。レシプロエンジン2基に加え、ブースター用にターボジェットエンジン2基を備えています。海上自衛隊での愛称は『おおわし』。海上自衛隊では米軍からの供与16機と国産48機の合計64機が運用されていましたが、現存しているのはここに展示されている番号4618の機体だけだそうです。
R4D-6Q多用機。民間でも多数が運用されているDC-3の海軍仕様型がR4Dです。海上自衛隊もR4D-6・R4D-7など4機を導入して『まなづる』の愛称で呼び、物資や人員の輸送に使用していました。ここに展示されている番号9023の機体はECM訓練用のR4D-6Qです。
S2F-1艦載用対潜哨戒機。ロケット弾を搭載して潜水艦に対して攻撃を行うことも出来ます。海上自衛隊は米軍から合計60機の供与を受け、昭和32年(1957年)から昭和58年(1983年)にかけて運用していました。この機体は空母搭載も可能ですが、日本には固定翼機を運用できる空母がないため、全機が陸上基地に配備されていました。
SNB-4練習機。1957年に米軍から供与されたもので、海上保安庁や航空大学、民間の新聞社でも同系機が運用されていました。自衛隊では『べにばと』と呼ばれていました。
T-34A MENTOR連絡機。単発・全備重量が1,315kgで展示されている固定翼機では一番軽い機体です(回転翼機も含めると下の方にあるBELL-47の方が軽いです)。上の方にあるKM-2練習機の原形となりました。
KV-107II(しらさぎ)掃海機。本来は着水可能な輸送用ヘリコプターですが、海上自衛隊では掃海具を曳航して飛行することで機雷掃海を行っていたそうです。
BELL-47練習機。初飛行は昭和20年(1945年)、世界で初めて実用化されたヘリコプターです。全備重量1,273kgで、全展示機中もっとも軽い機体です。海上自衛隊の前身・海上警備隊に導入され平成6年(1994年)まで運用されていた他、陸上自衛隊や警視庁、民間企業でも採用されました。
重量軽減のため機体後部には外板がなく骨組みが剥きだしになっているのが外観上の特徴ですが、同系機が世界中で多数運用されていたためか当時は『後部は骨組み剥きだし』が小型ヘリコプターの代表イメージのようになっていました。
HSS-2A対潜哨戒機。米シコルスキーの大型ヘリコプターS-61の自衛隊仕様(対潜哨戒仕様)で、『ちどり』の愛称で呼ばれました。史料館館内1階に展示されている救難機S-61Aは対潜装備を持たない姉妹機です。
二式大艇
史料館の建物からはちょっと離れて、西側ゲートの道路の向かいには日本海軍が運用していた二式大型飛行艇、通称『二式大艇』が展示されています。
二式大艇は第二次世界大戦中に日本海軍により運用された飛行艇で、7000km以上という長大な航続距離を始め、当時世界一の高性能を誇っていました。偵察・哨戒・輸送、さらには地上爆撃や魚雷を搭載しての艦船攻撃の能力までもっており、様々な任務に従事しました。
合計167機が製造されましたが、現存しているのはここにある1機だけです。正確には、戦後にアメリカ軍からの『飛行可能状態での引き渡し』要求に従って、飛行不能ながら残っていた3機のうちもっとも状態の良好だった機体に他の2機分の部品を補うことで飛行可能な状態まで修復したものです。
この機体はアメリカに運ばれて性能テストされた後、長らくアメリカ軍基地で保管されていましたが、予算削減により日本へ返還されることになり、昭和54年(1979年)に日本へ輸送され整備を経て昭和55年(1980年)からお台場の船の科学館で屋外展示されていました。その後2004年から鹿屋航空基地に移管され、現在までここに展示されています。
船の科学館にあった頃に何度も観ました。お台場から姿を消したときには残念に思いましたが、またこうして再会できただけでも時間をかけて見学に来た甲斐がありました。
鹿屋市観光物産総合センター
資料館のすぐ近くにある鹿屋市観光物産総合センター。これは鹿屋基地(自衛隊)ではなく鹿屋市観光協会の施設のようですが、自衛隊関係のグッズも扱うなど実質的にミュージアムショップ&レストランのような存在です。
観光物産総合センターの中には、『永遠の0』(2013年公開・岡田准一主演の劇場映画ではなく2015年に放映された向井理主演のテレビドラマ)の零戦コクピットのセットが展示されていました。…画面に写らない機体の外側は木材のままなんですね。
レストランで食事もしましたがそれは別記事で。
まとめとデータ
公共交通機関で行こうとすると、鹿児島中央駅や鹿児島空港から所要時間2時間40分・バスは1時間に1本程度、とあまり交通の便の良くない場所にあるのですが、館内の歴史資料も屋外の貴重な実機展示も興味深いものばかりで、航空機(とくに軍用機)が好きな人なら見学に行く価値があります。
鹿屋航空基地史料館
Webサイト | 鹿屋航空基地 |
地図 | GoogleMap |
アクセス | ・鹿児島空港から 鹿屋方面のバスに乗車、鹿屋で垂水港方面のバスに乗り換えて 航空隊前 下車、徒歩5分 ・鹿児島市から 鴨池港からフェリーで垂水港へ行き、鹿屋・志布志方面のバスに乗車して 航空隊前 下車、徒歩5分 ※本数は少ないですが鹿児島中央~鹿屋の直通のバスもあるようです ※鴨池~垂水はバスごとフェリーに乗るという珍しい路線。一度乗ってみたい… ※鹿児島県内のバスはSUICA、PASMOなどの他地方の交通系ICカードが利用できません(カードリーダーはありますが鹿児島県独自仕様です) ※時刻表は 九州のバス時刻表 (別サイト)で検索できます |
開館時間 | 09:00~16:30 |
休館日 | 年末年始(12/29~01/03) |
入場料 | 無料 |
備考 | ・2022年3月現在、以下の要領で要予約 ①09:00~10:30 ②11:00~12:30 ③13:00~14:30 ④15:00~16:30 の4つの枠のうちどの枠で見学するか電話予約 枠と枠の間の空き時間は消毒作業のため館内に留まることができない(屋外展示は見学可)。 空きがあれば複数枠を予約可能。 ・館内には飲料自販機なし(館内飲食禁止) |
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