鹿屋航空基地史料館 1

垂水港よりバス40分、航空隊前 バス停で下車して徒歩5分、鹿屋航空基地史料館 に到着。

鹿屋航空基地史料館の概要

鹿屋航空基地は、名称に『航空』の文字が入っていますが、航空自衛隊ではなく海上自衛隊航空部隊の基地です(海上自衛隊も哨戒機や救難機など多数の航空機を運用しているのです)。史料館には、鹿屋に昭和11年(1936年)に大日本帝国海軍の航空基地が設置されて以来、第二次世界大戦以前から現代の海上自衛隊に至るまでの様々な資料が展示されています。

史料館は昭和48年(1973年)に開館、平成5年(1993年)にリニューアルしました。

史料館の見学は無料ですが、2022年3月現在はコロナ対策(密を避ける)ために入場予約制になっています。

①09:00-10:30
②11:00-12:30
③13:00-14:30
④15:00-16:30

の4つの見学枠があり、あらかじめ見学する日付と枠を電話予約します(Webフォームやメールによる受付はないようです)。枠と枠の間が30分空いているのは展示室の消毒作業のためで、この時間帯は館内にとどまることができません(屋外展示の見学は可能)。

どれかの枠の開始にちょうどいい時間のバスが無いため、僕は予約受付担当の人の勧めの通り①と②を予約しました。

というわけで、

鹿児島中央駅→(バス)→鴨池港→(フェリー)→垂水港→(バス)→航空隊前(鹿屋基地最寄り)

という大移動でやってきました!

エントランス

エントランスロビーに展示されていた護衛艦たちかぜの模型です。。1974年進水、2007年まで活躍した後除籍、その後標的艦として実弾演習の標的となり撃沈されました。

こちらは護衛艦いしかり。1280トンの小型艦で、沿岸警備に活躍しました。

見学順路は2階から。階段にも昔の鹿屋基地の写真などが飾られています。

2階展示室

2階は旧帝国海軍時代の展示です。

2階ロビー

最初の展示は2階ロビー。真珠湾攻撃関係の展示のようです。

真珠湾攻撃時の旗艦、赤城の大型モデル。

こちらのケース内には、水戸黄門で有名な俳優の西村晃さんの『遺書』などが展示されています。西村さんはかつて特攻隊に所属していて、この遺書をしたためて出撃したものの、機体トラブルで引き返したため終戦まで生き残ったとのこと。

海軍精神

必勝の信念

ここは日本海海戦関係。Z旗、『皇国の興廃この一戦に有り 各員一層奮励努力せよ』の書、三笠艦上の連合艦隊首脳の肖像などがあります。

こちらは東郷平八郎元帥関係。日露戦争のときの連合艦隊司令長官で、日本海海戦での完勝により世界的に有名になった人物です。展示には『軍人勅諭下賜五十周年の東郷元帥放送』『連合艦隊解散の辞』の録音盤などがあります。といっても音盤が展示されているだけで音声は聞けないのですが。

旺盛なる責任感

旧帝国海軍の有名人の展示が続きますこちらは広瀬武夫中佐関係です。広瀬中佐は日露戦争で敵軍港の入口を閉鎖するため船を自沈させる作業中、姿の見えない部下の杉野上等兵曹を探しに沈没寸前の船に戻り、砲弾の直撃を受けて戦死しました。

こちらは佐久間勉大尉関係です。佐久間大尉は訓練中に事故で浮上できなくなり乗組員全員が殉職した第6潜水艇の艇長だった人です。事故が発生してから死亡するまでの間に書かれた39ページの長大な遺書が展示されています〔左手前に並んでいる紙)。最後の方になるとカナ文字が多く殴り書きのようになっていくのが恐いです…。

実力の養成~海軍航空隊の発展

零戦関係の資料をあつめた展示室がありました。部屋の中心には復元された零式艦上戦闘機が展示されています。これは平成4年(1992年)に垂水市海岸に引き揚げられた零戦21型と、吹上浜で引き揚げられた零戦52丙型を元に、可能な限り実機の部品を用いて復元されたものだそうです。

その周囲を取り囲むように、海軍の航空機に関連する様々な展示があります。

零戦52丙型に搭載されていた13mm機銃と20mm機銃。機体の外側から見ると翼の前縁からとびだした銃身部分しか見えませんが、全体では非常に大きなものです。

機体後部の階段を上ると、操縦席を覗くこともできます。

まだまだ2階の展示室は続くのですが、後半の展示は撮影禁止でした(戦死者の写真・遺品などがあるため)。

1階展示室

海上自衛隊の発展

終戦により海軍航空隊が解体された後、海上警備隊の発足から海上自衛隊航空部隊として再建されるまでの歴史です。

地味な展示ですが防衛力整備計画の年表です。昭和27年(1952年)の海上警備隊発足から平成17年(2005年)までが表示されています。平成9年(1997年)から急に固定翼機(緑色の部分)が減っています。また同時期から艦艇数が減っていますが、艦艇の合計トン数は増えています。合理化・効率化・コンパクト化の表れでしょうか。

国防を支える人々と航空技術

米国からの航空機の貸与、欄センス生産、そして国産化と、第二次世界大戦終結でいちど失われた航空技術の再建に関する展示です。

国内開発されたソノブイ(航空機から投下して海上に設置するソナー装置)。昭和34年(1959年)の国内開発開始から、だんだんと改良されていく様子がわかります。

こちらは哨戒機P-2Jについての展示です。P-2Jは米ロッキード社のP2V-7をベースに、日本で大幅な改良を施し国産化された機体で、昭和41年(1966年)に初飛行してから平成6年(1994年)まで使用されました。写真は観測員席と操縦席です。観測員席には音響やレーダーなど担当が分かれていて、席ごとに目の前のコンソールがまったく違います。

観測員席、操縦席のどちらにもロープが張られていますが、『コロナ対策のため云々』と書かれているので、コロナ流行前は席に座ってみることが出来たのかもしれません。

海鷲たちの系図

海上自衛隊航空隊部隊搭乗員や支援要員の任務、仕事ぶり、生活状況などについての展示です。

海上自衛隊航空部隊の制服が並んでいます。幹部・一般、夏・冬などでデザインが異なります。

波頭を越えて

防衛出動時の作戦行動、平時における主任務、民生協力、平和への協力などの展示です。

救難活動に使われているヘリコプターS-61A。これもコロナ前は中に入れたようですが、現在は外から見るだけです。

次の記事では屋外展示へ。

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