知覧基地遺構

ミュージアム知覧の次は、前回の訪問時に見そこねた旧知覧航空基地の遺構を観て回ります。

知覧平和公園内

スタート地点は陸軍の一式戦闘機『隼』です。これは実機の復元ではなく、映画『俺は、君のためにこそ死ににいく』の撮影に使われた実物大模型です。映画は『特攻の母』と呼ばれた鳥濱トメさんの視点で特攻隊員達の姿を描く内容で、脚本・製作総指揮は石原慎太郎氏でした。

模型は、特攻会館の中に展示されているものと同じく、片翼に増槽ぞうそう(外部燃料タンク)、片翼に爆弾を取り付けた特攻機仕様です。

こちらはT-3練習機。航空自衛隊が使用していた最後のレシプロ式練習機で、山口県の防府北基地に配備されていたものです。平成17年(2005年)に用途廃止されたものを知覧町が譲り受けたそうです。…つまり模型ではなく本物です。

T-3練習機のすぐ近くには、『とこしえに』と題された特攻勇士の像があります。昭和49年に建立されました。

特攻観音の近くにある平和の鐘です。

特攻平和観音堂への参道を進みます。両側には桜などの花が咲き誇っています。

右手には知覧飛行隊の門柱が移設されています。

大刀洗陸軍飛行学校知覧教育隊』の文字が読み取れます。戦後は旧知覧中学校の正門として使われていたのですが、中学校が統合で閉校になった後にここに移設、飛行隊の門柱として復元されました。
ちなみに旧日本軍では陸軍と海軍がバラバラに航空機を運用していて(人員はもちろん機種も別)、空軍は存在しませんでした。

門柱の向かいあたりには、『特攻の母』として知られる鳥濱トメさんの名が刻まれた石灯籠があります。先ほどの映画のところでも名が出ましたが、鳥濱トメさんは第二次世界大戦当時知覧で『富屋食堂』を営み、特攻隊員たちの面倒をみた実在の人物です。面倒見の良い性格で、戦後は進駐してきた米軍兵士にも慕われたと言われています。

富屋食堂の建物は、特攻隊関係の資料を展示する資料館に改装されています(5年前に見学しました)。また、鳥濱トメさんの曾孫にあたる方が、現在も特攻観音の近くで食堂を経営し、富屋食堂の味を伝えています。

特攻平和観音堂。平和団体などから『戦争賛美』と批判される中、鳥濱トメさんらの運動によって昭和30年(1955年)に建立されました。平成16年(2004年)に第50回祭を記念して改築。

もちろん僕も参拝してきました(ここまできて素通りは考えられません)。日曜の昼と言うこともあってか、次々に参拝者が訪れています(奇跡的に人が途切れた瞬間に撮影)。

護国神社。コンクリート造りに濃いオレンジの屋根という独特の建物です。実は特攻平和観音堂よりこちらの方がずっと古く、もとは戊辰戦争の戦没者を祀うために明治2年(1869年)に創建されました。

護国神社から少し進むと三角兵舎があります。特攻隊員が出撃までの数日を過ごした建物です。ここにあるのは復元されたもので、もとは空襲を避けるため基地から少し離れた林の中(復元三角兵舎がある場所から南西に2kmほど離れた場所)にありました。

三角兵舎は中にも入れます。前に来たときも思いましたが…せめて最後の数日くらいもっといい環境にできなかったのか…。

三角兵舎からさらに進んだ特攻平和観音の裏手あたりには、多数の灯ろうが並んでいます。全国の遺族・関係者・有志から寄進されたものだそうです。

着陸訓練用施設。これだけは他とはちょっと離れていて、知覧文化会館の裏の公園の中です(パンフレットで『延長コース』と書かれている部分)。どう使われたのかよく判らないのですが、両翼と機体後尾にある3つの車輪を同時に着地する際の機体の角度を体感するためのものだそうです。

公園内はちょうど桜が見頃で、家族連れなどで賑わっていました。

平和公園外

平和公園の野球場に沿って進み、公園外の住宅地にある遺構を観ていきます。

民家の間にぽつんとたっている窓のない小屋は 油脂庫。航空機用の潤滑油やグリースなどを保管していた倉庫です。レンガ造り、表面はコンクリートで仕上げられています。
この周囲にはほかにも弾薬庫や燃料庫などがあったそうです。

壁をよく見るとこのような窪みが多数あります。米軍の空襲による爆弾の破片があたったのでしょう。

ぼーっとしていると背後の野球場の倉庫かなにかかと思ってしまいそうな小さな建物は、弾薬庫です。知覧教育隊の射撃訓練用の機関銃弾が保管されていました。

サッカー場脇には給水塔が残っています。昭和16年に建設されました。台地にある知覧基地は水ノ確保が重要なため、川からポンプで組み上げてタンクに貯水しました。高さ13m・直径6m、かなり大きなものです。なんとなく傾いているような気がしますが…気のせいではなく、地盤が弱かったため実際に傾いています。

給水塔のすぐ近く、防火水槽です。これはもともとここにあったわけではなく、保存・展示のため平成になってからここに移設されたそうです。直径約10mの椀形です。

特攻平和館

海軍の零式艦上戦闘機52丙型、いわゆるゼロ戦で、52丙型は初期型より兵装を強化した機体です。展示されているのは、第二次世界大戦末期の昭和20年(1945年)5月、エンジントラブルによって不時着水して海底に沈んでいた機体を、昭和55年(1980年)に引きあげたものです。機体後部は失われていますが、機体前部については内部構造や操縦席の様子がある程度判ります。

特攻平和館内は全面撮影禁止かと思っていたのですが、この部屋だけは撮影可能でした。以前見学したときもそうだったのかな…?

まとめとデータ

これらの遺構をすべてまわると2kmほど歩きます。山城アタックの直後にはちょっと足の負担が大きかったかもしれませんが、特攻平和館・知覧平和公園周辺の貴重な遺構をひととおり観られてよかったです。天気もよく、桜も見頃でよい散策日和でした。

特攻平和館の零戦以外はすべて屋外で、見学自由です。

知覧平和公園

Webサイト知覧飛行場跡地の戦争遺跡(特攻平和館サイト内)
地図GoogleMap
アクセス特攻観音入口バス停よりすぐ
開館時間特攻平和館:09:00~17:00
他は見学自由
休館日特攻平和館:年中無休
他は見学自由
入場料特攻平和館:大人500円 小人300円
他は無料
備考トイレは公園内、駐車場付近、野球場入口付近
飲料自販機も駐車場など数カ所にあります

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