さらに移動して【飛鳥板蓋宮(あすかいたぶきのみや)跡】。
ここ飛鳥板蓋宮は643~645年のあいだ日本の宮、首都…というか皇居?だった場所ですが、655年に再び宮となったもののその年のうちに焼失。
大化の改新に先立つ乙巳(いっし)の変で中大兄皇子や中臣鎌足の手によって蘇我入鹿が殺された地だと言われています。
大化の改新といえば、『蘇我氏をムシコろす』とかなんとかわけのわからないゴロ合わせで年号を憶えたような…。
きれいに復元された板蓋宮石敷井戸。
実際に蘇我入鹿が切られたのはどのあたりなんでしょうね?
ここも歴史公園として整備され見学しやすくなっています。