赤穂(花岳寺など)

4日目は播州赤穂へ。有名な赤穂浪士の故郷であり、有数の塩の産地である街です。
中心駅であるJR播州赤穂駅へは、姫路駅からは在来線で30分程度と比較的近く(この区間は新快速も全駅に停車します)。面積の大きな兵庫県の南西の端ちかくで、もう3駅西へ進めば岡山県突入です。

播州赤穂駅周辺

朝8時すぎにJR播州赤穂駅に到着。
駅構内には赤穂浪士の絵…名前が『大星力弥良金(史実の大石主税に相当)』などなので実在の浪士ではなく金手本忠臣蔵の登場人物ですね。

JR播州赤穂駅は城を思わせるデザインです。

駅前にある大時計。時刻が見難いのが難点(?

駅前にあった像。陣羽織に采配(指揮棒)という姿なので、大石内蔵助でしょうか?

街に残る遺構

駅から赤穂城へは通りをまっすぐです。
途中で道の真ん中にこんなものがありました。400年も前の江戸時代に作られた上水道の跡だそうです。海の近い赤穂では普通に井戸を掘っても塩水が出てしまうため、川の上流で取水したものを導水路で城下各所に分配する、大規模な水道設備があったのだそうです。

さらに進むと、小さな公園のようなものが…
写真中央には義士行灯があります。からくり時計のようですが、動いているところは見損ねました…。

この公園の中心となるのは、この井戸。
松の廊下事件の急を知らせる赤穂藩士・早水藤左衛門と萱野三平がこの井戸で一息ついてから城に向かったことから、息継ぎの井戸と呼ばれているそうです。

まだちゃんと水があります。
この井戸も深く縦穴を掘って地下水を汲み上げるのではなく、横穴で上水道に接続しているそうです。

花岳寺

井戸のある交差点で右に折れ、先に花岳寺によることにしました。浅野家代々藩主や赤穂義士の墓所のある寺です。この山門は赤穂城の塩屋惣門が移築されたものと伝えられ、市の文化財になっているそうです。

花岳寺境内全景。初期方向正面に本堂があります。

本堂の天井には、このような見事な虎の絵が描かれています。一間半×五間(約2.7m×9m)という大きなもので、もとは五月節句の幟として安政元年(1854年・寅年)に赤穂の絵師・法橋義信によって描かれたものだそうです。

2代目大石名残の松。大石内蔵助が母の冥福を祈って植えたものだそうです。松の廊下事件で赤穂城を明け渡す際、この松の下で名残を惜しんだことからこの名がついたようです。実はその当時の松は虫害で枯れてしまったため、現在あるのは昭和になってから同じ場所に植えられた2代目なのだそうです。

境内にある鳴らずの鐘。二代藩主浅野長友公が父長直公のために鋳造したものです。
浅野家元家臣四十七人が吉良邸に討ち入り後に自刃したとの報が赤穂にもたらさると、町民は義士たちの死を悼んで花岳寺に集まり、『この鐘を撞いてついてつきまくり「爾来音韻を失すること五十年」(現地の解説板の記述)』、となったことから鳴らずの鐘という名で呼ばれるようになったとのこと。

本堂にむかって左手奥には浅野家霊廟などがあります。ここは有料参拝エリアです。
初期位置前方に浅野家霊廟と忠義塚、左手の囲みの中は義士墓所、義士墓所の奥には宝物殿、霊廟の裏側には大石家や浅野家の墓所があります。

義士墓所。

中央の大きなものが浅野長矩(浅野内匠頭、戒名は冷光院殿前少府朝散大夫吹毛玄利大居士)、その右手に大石内蔵助(戒名は忠誠院刃空浄剣居士)、周りに45の義士の墓が並んでいます。自刃した人たちの戒名には『刃』の文字が入るのだそうです。
お線香をあげてきました…

中国から渡来した像らしいです。
この近くに資料館と木像堂があり、なかなか見応えがあるのですが、そちらは撮影禁止でした。

コメント

タイトルとURLをコピーしました