立山防空壕

島原から長崎へ戻って。
残った時間は前日に見損ねた長崎市街のスポットを見て回りました。


【立山防空壕】
前日に見学した長崎歴史文化博物館のすぐ近くです。
実は博物館見学後にも一度寄ったのですが、17時閉鎖なので中を見損ねました…
というわけで再訪。
立山防空壕
出入り口が3つ見えますが、一番右側から入って中央から出る見学コースになっています。一番左はほんの数mだけしか入れません。
この立山防空壕は、正式には長崎県防空本部といいます。
第二次世界大戦中、長崎県に空襲警報が発令された場合、県知事・警察部長などが集まり救援等対応の指揮を行なった場所です。
長崎に原爆が投下されたときも知事はここで被害報告の第一報を受けたそうです。
【入口】
立山防空壕入口
小さな入口。
受付などはありません。
置いてあるパンフレットを取って中へ。
【エントランス】
立山防空壕エントランス
見学順路、入口を入ってすぐ。
本来この位置にあった仕切り壁は、表面こそモルタル造りですが内部は鉄筋や鉄骨ではなく木材のため、新しく作り直されたそうです。
腐敗してボロボロになってしまったオリジナルの壁の一部が展示されています。
【廊下】
立山防空壕廊下
立山防空壕は全体がかまぼこのような形をしているようです。
中心からずれた位置に壁があり狭い方が廊下・広い方が部屋になっています。
まず廊下を通って一番奧へ。
【通気口】
立山防空壕通気口
廊下にあった通気口。
上下に穴が続いていています。
通気口と言いながら、なぜかステップが。
人間の移動(緊急脱出?)にも使えるようにしたのでしょうか?
【非公開の部屋】
廊下の奥、知事室の向かいの部屋です。
この部屋は立入禁止になっていたので入口から覗くだけです。
まぁご覧の通り、部屋の中は土砂?が積もり入れる状態ではありません。
【知事室】
立山防空壕知事室
薄暗い通路にそっていくつかの部屋が並んでいます。
そのうち一番奥の部屋が知事室です。
それほど広い部屋ではありません。
写真左手の開口部が廊下への出入り口、右手の開口部は隣室(警察部長室だったかな?)へ続いています。
現在は調度品などは一切残されていません。
わずかに配線・配管の跡があるだけです。
この部屋に続く【参謀室】も構造はほぼ同じ。
【通信室】
立山防空壕通信室
部屋の構造は知事室と同じですが、壁と床には何かが固定されていたような後があります。通信設備が設置されていた跡でしょうか?
【伝令室】
立山防空壕備品
最後の伝令室には当時の備品などの展示があります。
がんどう(ロウソクを使った懐中電灯のような物)、ドアの取っ手、電話部品、電球のソケット、ヒューズ、バッテリー。
古くて劣化した、というだけでなく、もともとの作りが悪そうな気がします。
ここを抜けるといったん外に出て、もう1つの入口から別の部屋を覗くようになっています。そちらは警電交換台などがあった広めの部屋。…機材などは残っていませんが。
見学をしていると、見回りに来た(?)管理人さんから話しかけられました。
その方は原爆投下当時この近くに住んでいたそうですが、
『爆心地が山1つ向こうだったおかげで助かった』
のだそうです。
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立山防空壕から電停へ向かう途中、
日本初の缶詰製造の地
【日本最初の缶詰製造の地】と書かれた碑を見つけました。
なんの缶詰だったのか、この場所の説明パネルには書かれていなかったのですが…
後で調べたところ、オイルサーディンだったようです。
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【立山防空壕】

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