明石城 その1

明石城について

明石公園(明石城跡)全体図/現地の案内板より

100名城登城94城目は、兵庫県の明石城(58番)です。

概要

古来より山陽道上にあって畿内と畿外の境界にあり、淡路・丹波方面へ続く経路のあつまる交通の要衝であった明石の地に、西国の外様大名への抑えとして築かれた城です。

歴史

江戸幕府第2代将軍徳川秀忠が元和3年(1617年)に明石藩主となった小笠原忠真おがさわら ただざね(徳川家康の曾孫)に築城を命じました。実際に作事が始まったのは元和5年(1919年)です。築城と平行して建設が進められた城下町の町割りは、当時小笠原家の客分となっていた宮本武蔵が指導したとも言われています。忠実は元和6年から明石城に移り住みますが、寛永9年(1632年)に転封となります。その後の50年間は松平康直まつだいら やすなお光重みつしげ大久保忠職おおくぼ ただもと(大久保彦左衛門の兄の曾孫)、松平忠国まつだいら ただくに信之のぶゆき本多政利ほんだ まさとし(徳川家康の重臣本多忠勝の曾孫)と次々に親藩・譜代の大名が城主となりますが、天和2年(1682年)に松平直明まつだいら なおあきらが城主となって以降は明治維新まで松平氏の居城でした。

構造

丘陵の端部に本丸を置く平山城です。本丸から東に向かって二の丸・東の丸と曲輪が並び、その外側を三の丸・北の丸・山里曲輪などが囲み、さらにその外側を二重の堀によって護るという、連郭式と梯郭式を組み合わせた構造をしています。

現状とアクセス

本丸・二の丸をはじめ、主要部分が明石公園として整備されています。巽櫓たつみやぐら坤櫓ひつじさるやぐらの二つの三重櫓が現存し、この二つの櫓を結ぶ土塀が復元されています。二つの櫓は国の重要文化財に指定されています。

JR明石駅より徒歩数分なのでアクセスは容易です。

いざ登城

JR明石駅に到着すると、もうホームから2つの三重櫓が見えています。左側が坤櫓ひつじさるやぐら、右側が巽櫓たつみやぐらです。よく見ると、2つの櫓は建物の向きが違うことが判ります。坤櫓は妻側(屋根の△の断面が見えている側)が手前に、巽櫓は平側(屋根のてっぺんの辺に平行な側)が手前に来ています。一般的に建物は平側を正面とすることが多いので、坤櫓は東西向き、巽櫓は南北向きとなります。

明石駅北口を出るとすぐに中堀があります。

徒歩2分ほどで明石公園正面口へ。ここにはかつて太鼓門がありました。

三の丸・居屋敷曲輪

太鼓門を入って右手には三の丸、左手には内堀に囲まれた居屋敷曲輪がありましたが、現在は内堀が埋め立てられて芝生広場やスポーツ施設などになっています。

前方~左手に数台の車やテントが見えますが、この日は芝生広場で大規模なイベントがあるため、その準備のようです。

上のVR写真の初期方向右手にある建物の中、事務室のようなところに100名城スタンプがあります。公園到着時点ではまだ開館時間前でスタンプを押せないようだったので城内を見学します。

明石公園は南北に約1kmもある広大な公園ですが、記事冒頭の地図でもわかるとおり石垣や現存建築など『城址』といえるものは駅に比較的近いエリアに集中しています。
他には2つの野球場・3つの陸上競技場・6面のテニスコートなどスポーツ施設が多いですね。試合があったらしく、公園内のあちこちで朝早くからいろいろな競技のユニフォームを着た高校生くらいの子たちが大勢、ランニングや準備体操などをしていました。

公園内のマンホールは三重櫓を描いたデザインです。

本丸は断崖絶壁(笑)の上なので、西側(正門から見て左奥)の緩めの傾斜を登って公園北西部へ。
写真は剛ノ池という大きな池です。国立公文書館デジタルアーカイブなどで閲覧できる播磨国明石城絵図(正保城絵図)にも同じ位置に池があります。当時から残っているのかな…。
僕が行ったときはまだ営業時間前でしたが、ボートの貸出なども行われているようです。

さらに奥、明石公園北部にある千畳芝。イベントに使われる広場のようです。
この先には第2野球場や子供村、県立弓道場、テニスコートなどがありますが、城の遺構とはほぼ関係なさそうなので(先出の明石城絵図にも剛ノ池より北側には何も描かれていないし)、今度は公園東側の道を通って東の丸へ向かいます。

途中、このあたりは北の丸だと思います。現在は県立図書館・市立図書館が並んで建っています。

ここも北の丸。桜堀の北側です。木々の間に石垣が見えますが、城の遺構なのかな?
明石城絵図にもこのあたりに門があるのですが。

東の丸・二の丸

東の丸の入口までやってきました。公園平面図ではこのあたりが大きく開口しているように描かれていますが、明石城絵図の通り直角に曲がらないと入れないような形状になっていますね。

東の丸の中心付近より。建物などは残っていません。

東ノ丸の南東隅には国旗が掲揚されていました。
絵図によるとここには二重櫓があったようです。

このあたりから先が二の丸ではないかと思います。公園平面図では明確ではありませんが明石城絵図では東の丸(三の丸)と二の丸の間に石垣が描かれているので、写真の石垣がそれではないかと…。
写真の中央付近は通路のようになっていますが、たぶん単に石垣が崩れた場所を道にしてしまっただけだと思います。明石城絵図にある三の丸と二の丸の間の門の跡と思われる通路は、この写真の右フレーム外にありました(写真撮れてなかったOrz)。

二の丸。木のせいで見通しが悪いです。
地面は…これは御殿跡を表しているのでしょうか??

こちらは二の丸の入口です。明石城絵図にも同じ位置に道があります。

次の記事では本丸へ突入します。

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