天橋立 その2

天橋立ビューランド(つづき)

天橋立ビューランドでの最後の眺めは、リフトから観る天橋立です。
真正面に広がる阿蘇海と天橋立!リフトは天橋立に向かって真っ直ぐ降りていきます。

天橋立の砂州

次は天橋立の砂州の中を通って向こう岸に行ってみようかな、と歩いていたところで、レンタサイクルの看板を見つけました。その中に、行きは自転車、向こう岸にある支店で自転車を返して帰りは船、というプランが…うん、往復で違う交通手段というのも楽しいかも…

というわけで、自転車借りました~(値段忘れた…)

天橋立内へ。
天橋立は宮津湾と阿蘇海を隔てる、長さ3.6kmの砂州。幅は一番狭いところで20mほどしかない、南北に細長い形です。実は完全に阿蘇海を塞いではおらず、南側には幅30mほどの隙間が2箇所空いています。天橋立駅があるのは南岸側なので、その隙間を渡る橋をわたって砂州の中へ。
橋の1つは船が通るときに回転できるようになっているのですが、残念ながら動いているところは観られず。日曜日には観光用のデモンストレーション動作も行われているらしいので、もし次に行く機会があったら日曜にしようかな…。

天橋立の全体はこんな感じ。

砂州内の道

天橋立はほぼ全域が松林。ほとんどが自然のものだそうです。
中央に道が続いています。アスファルトのような硬い舗装ではなく、粗い砂地です。自転車で走りにくくはありません。
写真左手には飲食店が写っていますが、店はここだけだったかな。トイレは数カ所にあったと思います。

道を外れて海側に出てみると、白い砂浜がずっと続いています。

碑など

岩見重太郎試切之石
岩見重太郎とは徳川家光の時代の剣豪で、父の仇をこの地で討ったという伝説が残る人物。仇討ちに先立ってこの石で試し切りをしたとのこと。

※ただし実在の人物かどうか確定していないらしい…

そして試し切りの石の少し先には仇討ちの場の碑が。
仇討ちの場面のレリーフが掲げられています。

与謝蕪村の句碑
『はし立や 松は月日の こぼれ種』

天橋立神社

1/3ほど進んだところには天橋立神社がありました。

神社の近くの磯清水
両側を海に挟まれた細い砂州なのに淡水が湧いているという不思議な場所です。
さすがに舐めてみる勇気はなかったのですが。

何の脈絡もなく大砲がおかれています。
日露戦争の頃の装甲巡洋艦春日のものだそうです。大正12年に『海軍思想普及のため』海軍大臣から下付されたもので、現在の所有者は神社のようです。
近くに掲示されていた説明によると、明治35年にイギリスのアームストロング社で製造されたもので、40口径15センチの砲身です。当時の価格で1万6千円だそうです。

名つきの松

砂州の松並木には名前のつけられた木も数多くあります。これは智恵の松

お手植えの松
大正天皇が皇太子時代に植えたものだそうです。

千貫松
千貫文目の価値があると言われた古名木。500年以上前からあるとされています。

双龍の松
もとは並んで立つ2本の松の木だったのですが、平成16年に台風23号で倒れてしまったのだそうです。その台風で247本もの松が倒れてしまったとのこと。
ここを過ぎるともうすぐゴール。

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