秋田城

日本続100名城登城37城目は、秋田県の秋田城です。戦国時代~江戸時代の城ではなく、律令時代に築かれた城柵です。

秋田城について

歴史

奈良時代~平安時代、東北地方には蝦夷支配などを目的としていくつかの城柵が築かれました。秋田城はその中でも最北のもので、創建は天平5年(733年)まで遡ると言われています。秋田城は出羽国の軍事・行政の中心なり、その後10世紀頃まで機能していたと考えられています。

構造

秋田城は標高40mほどの丘陵の上に築かれています。およそ550m四方の外郭と、東西94m×南北77mの長方形の内郭の二重構造になっており、内郭の中には政庁の建物が存在していました。

いざ登城

秋田城は秋田市郊外にあります。公共交通機関でアクセスするには、JR秋田駅前からバスを利用するのが簡単です。西口バスターミナル5番乗場より『131系統・将軍野線』に乗車、所要時間は15~20分ほどで、SUICAなど交通系ICカード共通利用可です。

※乗場・路線名は2023年9月のものです

秋田城(秋田城跡歴史資料館)最寄り、『秋田城跡歴史資料館前』バス停周辺です。秋田駅発のバスは写真左手前から右奥に向かって進みます。画面奥の歩道橋を右に渡ったところに政庁跡があります。おそらくこの道は秋田城のあった丘陵を掘り下げてつくられており、橋があるのが本来の地面の高さで。左右の土地が連続していたのだと思います。

ちなみにこの橋は歴史資料館と復元城址との間を結ぶためのもので、2020年に完成したばかりだそうです。

一つ前の写真左手の駐車場にあった秋田城の全体図です。左手の赤い星印のある黄色いエリアが、バス停前の駐車場です。バス停のすぐ近くに資料館、橋を渡ってすぐが内郭・政庁跡、そこから東に400m進むと多数の建物跡などが発見されている鵜ノ木地区があります。

駐車場奥の階段を上るとすぐ秋田城跡歴史資料館の建物が見えるのですが、先に遺構を見て回ることにします。この写真右手に進むと遺構のあるエリアに渡れます。

バス通りをまたぐ橋の上です。だいたいこの位置に政庁(内郭)西門があったようです。右手奥にある妙な形のオブジェは、秋田城内郭を囲んでいた土壁の断面形状を表し、その手前に2つ並んだ小さな円筒は門柱を表しているのだと思います。

内郭

橋を渡ると秋田城の中心であった内郭・政庁跡です。東西94m×南北77mの長方形の領域で、秋田城の中心施設でした。車道を通したことによって南西部は失われてしまいました。

政庁内でいちばん大きい正殿跡。柱の跡が平面表示されています。正殿は政務や、蝦夷の施設を迎える宴なども行われていたと考えられています。正殿は秋田城の歴史の中で、この位置に6回も建て替えられており、時期によって掘っ立て式だったり礎石建物だったりと構造が異なりました。

北東建物跡。正殿の半分ほどの大きさで、東西方向に長い建物です。この位置の建物も5回建て替えられたようです。床に赤く焼けた跡が見つかったことから、火を使う施設だと考えられています。

かつては政庁をぐるっと四角く囲んでいた土塀ですが、現在は東側のみ復元されています。写真左寄りに見える門は政庁(内郭)東門で、右手奥には東脇殿が平面表示されています。政庁には建物がもう1つ、西門ちかくに西脇殿がありましたが、車道を作るときに遺構は失われてしまったようです。

政庁(内郭)東門をでました。ここから多数の建物が発見されている鵜ノ木地区まで城内東大路が続いています。

外郭

政庁(内閣)東門を出てすぐ、政庁の建物模型が展示されています。写真は第1期の1/20模型ですが、他に第2期・第3期の1/50模型もあり、建物の配置の変遷が判るようになっています。

城内東大路が、ほぼ真東に向かって伸びています。政庁東門から外殻東門まで長さ260mにわたって道が復元されています。建物の密度のわりに道幅が広いです。が、この先は外郭東門近くまでしばらく復元建物などがありません。

外郭東門へ向かう途中、東大路脇には管理棟があります。続100名城スタンプはこちら。トイレ、飲料自販機もあります。

もう少しで外殻東門というところで、東大路は車道で分断されています。車道を横断して先へ。

外殻東門です。外殻東門をでると鵜ノ木地区が広がっています。鵜ノ木地区は格外、つまり城の外なのですが、むしろ見所はここからです。

鵜ノ木地区

外郭東門を出て少し進んだ位置から、鵜ノ木地区全景を見渡しています。多数の建物跡、時代の違う2つの井戸跡など見所の多いエリアです。写真中心付近にある沼も復元されたものです。

古代水洗廁舎跡

古代水洗廁舎跡です。千数百年前に作られた水洗トイレを復元したもので、通称『古代トイレ』として秋田城跡でも最大の見所とされています。…そんな昔に水洗トイレがあったなんて驚きです。

排水設備を拡大してみました。単に排泄物を流すだけではなく、下部には現代の下水処理場でも使われている浄化施設の1つである沈殿槽を備えており、上澄みだけを沼に排出するしくみになっています。

古代水洗厠舎は、中も見学できます。

右の穴が便器で、左の瓶から水を汲んで流していたんでしょうか。

穴の1つは床下の構造を覗けるようになっています。意外に複雑な形状です。

建物群

古代トイレのすぐ近くには、竪穴式建物の穴の部分が復元されています。中に入ってみることも出来ます。

古代トイレから南に進むと、多数の建物跡が発見されている鵜ノ木地区南部です。写真右奥に古代トイレの建物が見えます。

ゆるやかな斜面の上部には多数の建物跡が平面表示されています。

こちらはこれで1つの建物だったのでしょうか、だとすると相当巨大な建物です。

2つの井戸跡

建物跡にまじって、井戸跡があります。これは天平時代のものとされています。円形の木枠が復元されていますが、発掘された本物は博物館で観ることが出来ます。

こちらは古代沼の近くにある建物です。休憩用の東屋の類かと思ったのですが…

中に入ると、平安時代の井戸が復元されていました。いまも水が湧いているそうです。

これで遺構は一回りしました。

護国神社

城跡とは直接関係ないのですが、東大路のすぐ北、外郭内にはには秋田県護国神社があります。すぐ近くまで行って素通りもどうかと思いますので参拝してきました。

護国神社境内にあったさざれ石。さざれ石とは漢字では『細石』と書き、本来は小さな石のことを言うのですが、この写真に写っている岩のように、小さな石があつまって固まったもの…地下水に溶けていた炭酸カルシウムなどの結晶化によって多数の小石が接着されたもののことも『さざれ石』と言っています。本当は『君が代』の歌詞にある『さざれ石の巌となりて』の『巌(=大きな岩石)』の方ですが、どこかで混用するようになってしまったんでしょうか。

おまけ・AR

秋田城では、ストリートミュージアムというスマホアプリを使用することで実際の風景・平面表示された建物跡に重ねて、CGによる建物の外観を観ることが出来ます。

これは正殿ですね。建物はCGですが地面や背景は実写です。

こちらは古代トイレです。画面に人物が登場していろいろ喋ることもあるので、音声をオンにしておくといいでしょう。容量が大きいらしくダウンロードに時間がかかるので、現地に行く前にインストールしておくことをオススメします。

ストリートミュージアムの公式サイトはこちら。Android、i-Phoneの両機種版があります。

かなり動作が重いのと、位置がやたらとシビア(誤差1mくらいしか許されていない気が)なわりにはCGが派手にずれることがあるのがちょっと問題なのですが、うまく観られればなかなか面白いです。

まとめとデータ

Webサイト秋田市公式サイト内の秋田城紹介ページ
地図GoogleMap
アクセスJR秋田駅 西口バスターミナル5番乗り場より
『131系統・将軍野線』または『120/121系統・寺内経由土崎線』
に乗車、『秋田城跡歴史資料館前』下車すぐ
※2023年9月現在は運賃370円、乗車時間15~20分
※交通系ICカード共通利用可、日中は1時間に1~2本程度
開館時間自由見学、ただし照明設備はないので夜間の見学は困難
休館日なし
入場料無料
備考続100名城スタンプは秋田城跡歴史資料館、または史跡公園管理棟
管理棟付近にトイレと飲料自販機あり
バス停近くと管理棟前に駐車場あり
見学時間は60分くらいでした。

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