向羽黒山城 その1

続100名城登城29城目は、福島県の向羽黒山城です。

向羽黒山城について

歴史

向羽黒山城は永禄4年(1561年)~永禄11年(1568年)に戦国大名の蘆名盛氏あしな もりうじによって築城されました。ちなみに蘆名盛氏は、三春城(昨日見学しました)の城主 田村清顕と対立していました。会津地方を支配した蘆名氏でしたが、盛氏の死後は急激に勢力が衰え、天正17年(1589年)に伊達政宗との合戦で敗北、滅亡してしまいます。

その後向羽黒山城は伊達氏・蒲生氏・上杉氏と主を度々変えています。このうち上杉景勝の時代に大規模な改修が行われたと言われています。

関ヶ原の戦いの後、敗北した西軍方だった上杉氏は転封、これに伴い向羽黒山城は廃城となってしまいました。

構造

標高408mの岩崎山(向羽黒山)と、標高344mの羽黒山の2つの山にまたがる非常に大規模な山城です。東側を流れる阿賀野川を天然の堀とし、急斜面の岩崎山の山頂に一曲輪を設け、竪堀や横堀で防備を固めています。

見学ガイド

現在、向羽黒山城は全体が国の指定史跡となり、公園として整備されています。

JR会津若松駅から山麓の観光案内所(本郷インフォメーションセンター)までバス1本でアクセスできます。バス停からは三曲輪・二曲輪のすぐ近くを通る舗装された車道が続き、一曲輪も車道から階段が整備された登城道でアクセスできます。一曲輪下など数カ所に駐車場があるので自家用車でのアクセスも可能です。(それ以外の曲輪はやや道が険しいです)
ちょっとお金はかかりますが、会津若松駅などからタクシーで一気に上ってしまうと時間と体力を大幅に節約できます。

インフォメーションセンター前バス停から一曲輪下駐車場までの徒歩ルート例はこちら
※車道なのでタクシー、自家用車などでも行けます

JR会津若松駅から路線バス+徒歩のルート例はこちら

いざ登城

向羽黒山城の最寄駅はJR只見線の会津本郷駅なのですが、只見線は本数が非常に少なく、また最寄りと言っても会津本郷駅からkm単位で歩くことになるため、JR会津若松駅からバスまたはタクシーを利用するのが便利です。

向羽黒山城は非常に大きな城で、最寄りのバス停からでも比高170m・本丸まで道程2kmあります。が、一の曲輪のすぐ近くまで車道が通っています。というわけで昨日の三春城に続き今回も行きは会津若松駅からタクシーで上がれるだけ上がってしまえ!というプランにしました。4,500円でした…お金より時間と体力の方が貴重なお年頃です。

一曲輪下の駐車場です。奥にトイレが見えます。このあたりで標高330m前後、ここから標高408mの岩崎山山頂にある一曲輪まで上っていきます。残念ながら雨模様、山城攻めにはコンディション最悪です。

山頂部(一曲輪・一東曲輪)

一つ前の写真を撮った位置で振り返ると登城口。しっかりした階段が整備されています。そうでなければ天候の悪さにここまできて登城を断念したかも…

上り口にあった一曲輪を中心とした地形図です。登城前にコースをよく頭に入れておきます。急な斜面であることが判ります。登城道は折れ曲がりながらそれほど急にはならないように設定されていますが。登城道のすぐ左下に描かれている真っ直ぐな線は竪堀です。上りながら見られます。

竪堀

少し登ったところで、右手に巨大な竪堀が見えてきました。非常に良く形状が保存されています。傾斜が急で、はるか上の方まで真っ直ぐに続いています。

登城路の方はかなりしっかりした階段で、雨模様ですが泥濘んだり滑ったりせず、危険を感じずに上ることができました。

登城路は竪堀に沿っているわけではないのですが(もしそうだったら傾斜が急になりすぎる)、前の写真からさらに数分登ったところで再び竪堀のすぐ横に出ます。先ほどの竪堀がここまで続いているのです。この竪堀の両端は高低差40m・長さ100m近くあります。もしこの竪堀に落とされたら、おそらく全身が骨折・打撲だらけになりながら駐車場付近までころげ落ちるしかないでしょう。

虎口付近

竪堀を離れてしばらく進むと、両側に土塁と横堀が伸びている場所がありました。

雨は止みかかっていますが霧状で遠くが見えないですね…

横堀を超えるとまもなく虎口、一曲輪・一東曲輪の入口です。このあたりは土地の傾斜がゆるくなっていますが、虎口は周囲を土塁に囲まれた上に道が左に折れ、見通しが利きにくくなっています。

虎口から一曲輪まではまだ距離・高低差があります。

これも堀の跡でしょうか?

一曲輪直前にして、ここまでで一番急な階段。傾斜方向にまっすぐ上っていきます。

一曲輪

駐車場から25分(写真を撮るために何度も立ち止まりながらですが)、ようやく一曲輪です。山頂ですが意外に平坦な部分の面積が大きいです。

平坦部の縁がかすかに盛り上がっているように見えるのは、土塁の跡でしょうか?

ベンチがあるのですが、崖っぷちギリギリすぎて恐くて座れません。
…と、ここで雨が止んで晴れ間が見えてきました。

一曲輪の、上ってきたのとは反対側の端にも道があるのですが、足場が悪そうなので階段がしっかりしている道を戻ります。

一東曲輪

一曲輪から虎口を抜けたあたりまで下り、反対側の道を上ると一東曲輪です。この写真あたりが最高点(曲輪のあった場所)だと思うのですが、大きな岩が並んで真っ直ぐ歩くことさえ難しいです。ここからさらに尾根伝いに下って弁天曲輪まで行くルートも考えていたのですが、駐車場からの登城路に較べて整備されておらず、ぬかるんで危険と思われたので断念しました。

二曲輪

次は二の丸です。実は先ほどの駐車場の近く、トイレのすぐ裏あたりに入口があります。こちらは完全に現代の階段で、これを登ればすぐです。
熊注意の看板があるので、林の中に入っていったりすると危ないのかも…

二曲輪は完全に公園化しています。写真は入口付近からですが、入口付近から見ると、奥に東屋・右手に展望台があります。

二曲輪には展望台があります。

実は展望台からだと木が育ちすぎてあまり眺めがよくありません。

同じ二曲輪のもっと奥の方からの方が眺めが良いです…展望台の意味…。会津若松の市街地がよく見えます。まだ雲が多いですが、だいたいこの方向に会津磐梯山が見えるはずです。

前の写真の中央付近拡大すると、会津若松城の天守が確認できます。

弁天曲輪

二曲輪から再び車道に戻り、車道に沿って降りていきます。天候が回復したとはいえ山道のコンディションが悪そうなので、車道からすぐ観られる曲輪だけ観ていくことにします。

というわけで次は弁天曲輪です(山頂部地形図の右上)。城の中に弁天?と思ってしまいますが、近くにあった説明によると『神護景雲じんごけいうん元年(767年)神託によってこの地に遷し祀った』とあったので、城より神社の方がずっと古いようです。…ちなみに『神護景雲』は最後の4文字元号で、これ以後の元号は令和に至るまでずっと2文字です。

車道に面した鳥居を入るとすぐに弁天曲輪です。奥に小さな祠があるだけの小さな曲輪です。VR写真初期方向右奥より少し下りた先にもう1つ祠があるようなのですが足場が悪いのでそちらへ行くのは断念。

VR写真が多いので記事を分けます。

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