志苔館

続100名城登城25城目は、函館市にある志苔館しのりだてです。

現地案内板より

志海苔館について

歴史

志苔館は和人支配階級が道南・渡島おしま半島南部に築いた12の館、道南十二館の1つです。道南十二館は現在の上ノ国町にある花沢館から、現在の函館市にある志苔館まで、海岸に沿ってだいたい等間隔に配置されていました。道南十二館の築城時期は14世紀~15世紀頃、そのうち志海苔館は14世紀後半頃のようです。

15世紀中頃、津軽安藤氏が道南を支配下に置き、配下の武将を道南十二館に配置しました。康正こうしょう2年(1456年)、アイヌ人が蜂起し、道南全域に戦いが拡大しました(コシャマインの戦い)。道南十二館はこの戦いの拠点となりましたが、志苔館を始め十館が陥落、戦後まで残ったのは花沢館と茂別館だけでした。

その後いちどは復興したようですが、永正9年(1512年)に再び発生したアイヌと和人との戦いで陥落、廃城になってしまったようです。

構造

現在の函館空港の近く、南側に海を望む丘の上に建てられた中世の館です。おおまかに東西南北に四辺をむけた長方形で、東西90m・南北60mほど(内部)の大きさがあります。内部には仕切土塁や堀などの構造はなく、いくつかの建物と塀があったようです。

西側の土塁には開口部があり、その外側は二重の堀と、さらに外側に土塁が築かれて護りを固めていました。また北側の土塁の外側にも空堀がありました。南側は海岸に続く斜面になっています。

見学ガイド

現在は国の史跡に指定され、公園としていつでも見学可能な状態になっています。ただ周辺には一般の住宅がありますので、騒音を発したり周辺の駐車禁止の場所に車を駐めたりしないように注意が必要です。

函館市街地からはバスでアクセス可能です。ただし本数は少ないです。最寄りバス停は『志海苔しのり』で、史跡名の『<志苔>館』とは漢字表記が微妙に違います。

また函館空港の滑走路のすぐ南にあり、空港ターミナルビルから道程1.7kmほどで、歩いても20分程度で到着します。函館空港から志海苔館まで徒歩で行く場合のルート例はこちら

いざ登城

というわけで、今回は見学ガイドに書いたとおり、空路で函館入りしてそのまま徒歩で志苔館にむかうことにしました。

城とはまったく関係ないのですが、乗った機体が『鬼滅の刃』仕様でした。外面にキャラクターがペイントされているだけではなく、離陸直前・着陸直後の機内放送にも炭次郎(CV花江夏樹)、禰豆子(CV鬼頭明里)、善逸(CV下野紘)、伊之助(CV松岡禎丞)が登場する、なかなか楽しいものでした。

空港ビル内で昼食をとった後、徒歩で出発。写真は函館空港入口です。地味にラブライブサンシャインの聖地です(笑)

空港の駐車場を出た途端に道がこんなです。函館市街地とは反対方向とはいえ、車がまったく通りません…。

途中、滑走路のほぼ中央の下を横断しているトンネルを通ります(団助道路トンネルというのだそうです)。トンネル内にはちゃんと歩道があります。車道より一段高く、柵もありますので安全です。
トンネルは途中で車がすれ違えないほど狭いのですが、一方通行ではないようです。出入り口には信号がなかったのですが、どうやって衝突防止しているんでしょう??

余談ですがこのトンネル、いくつか怪談があるのだそうで…

・通過中に3回クラクションを鳴らすと老婆の霊が現れる
・三輪車に乗った子どもの霊が現れる
・時速70km以上で突入すると女の霊(上の三輪車の子どもの母親とも)が現れる

YouTubeに関連動画がいくつかあるようです。

まぁ怪談はともかく、入口付近はカーブになっていて見通しが悪く、それなのに半端に道幅が広くてスピードを出したままつっこんでくる不届き者はいそうです。行かれる方は十分ご注意を。

トンネルを抜けると志苔館が見えてきます。実は着陸中の飛行機の窓からも一瞬見えました。

道から志苔館跡にはいるすぐ手前には、15世紀に発生したコシャマインの戦いでの和人・アイヌ双方の犠牲者を慰霊する碑があります。
柵で囲まれてこの写真を撮影した位置より近づくことはできません。

志苔館

土塁西側

さらに少し登って志苔館の入口です。直進した先に城名の碑と説明板、手前で右に折れると東屋とトイレがあります。どちらに進んでも内郭門前で合流します。

1つ前の写真ですぐ右側に折れて、西側・二重の土塁の外側にある東屋へ。続100名城のスタンプはここにあります(東屋の中にある箱に入っている)。スタンプの状態はまぁまぁよかったです。

外側の土塁、この階段から中へ入ります。

二重の堀と土塁の間。二つの堀は断面がV字型の薬研堀です。説明板によると本来の姿よりかなり浅くなってしまっているようです。

二つの薬研堀のうち、外側には木橋が架かっています。

内側の橋は土橋になっていますが、築城当初は木橋だったそうです。

土塁内部

土塁内部は1つの長方形の平面です。四方を土塁で囲まれているのが判ります。いくつかの建物跡や塀跡が示され、海側にはベンチがあります。

西側の門を振り返っています。単に土塁が途切れているだけで枡形のような構造は見えません。
ただ、門の位置から右斜め手前に柵の跡が伸びており、写真右手にあった建物に門から直接向かえないようになっています。

建物跡。柱の位置が判るように復元されています。

井戸跡。場所が判る囲があるだけで、中は周囲の地面と変わりません…

曲輪北側に並んで立っている2つの石碑。
右側には『志苔館墟碑』、左側には『留目政治先生頌徳碑』と書かれていました。留目政治氏は宇賀小学校(志苔館から徒歩5分ほどの場所にあった函館市立の小学校。いま検索すると下関市の同名の学校がヒットしますが別物)の校長で、志苔館の保存活動の中心人物だったようです。

土塁南側・東側・北側

西側の二つの堀の間の通路の南端から、城の周りを一周する通路に降りられるようです…と思ったら、階段を降りたところから先は酷いぬかるみで、初日にして靴が(笑

土塁東側、写真右手が志苔館の土塁で、南に向かって撮影しています。東側も小さな空堀のようになっていて、簡素な橋がかけられています。奥に見える赤い建物は志苔館跡の南東隅にある神社です。

土塁北側、写真左手が志海苔館の土塁で、西に向かって撮影しています。土塁北側は大きな堀になっています。この写真奥に向かって進んでいくと、『志苔館入口』の写真の奥にある城名碑と説明板の場所に抜けられます。

以上、小さな史跡なので30分~1時間もあればひととおり観られるでしょう。

おまけ

バス停の方からまわって城南東端にある竹駒稲荷神社まで行ってみました。城の中から近づいたときは気付かなかったのですが、この写真の右奥方向へつづく道からも城内には入れるようです(入ったらいきなりぬかるみの道ですが…)

志苔館の最寄りバス停はこの『志海苔』です。よみはどちらも『しのり』なのですが、史跡名は『志苔』、バス停は『志海苔』と漢字表記が違います。
バスの本数は少ないです。朝夕は1時間に一本、昼頃は2~3時間に1本しかありません。

まとめとデータ

空港から徒歩という、ちょっと珍しいアクセス法でした。規模は小さいですが、土塁と堀が判りやすい形に整備されていて中世館の形状がよく判ります。

Webサイト函館市公式サイト内の紹介ページ
※上記サイトでリーフレットのPDFダウンロード可
地図GoogleMap
アクセス函館市街よりバス、『志海苔』バス停下車徒歩3分
函館空港より団所道路トンネル経由で2km(タクシー、徒歩)
続100名城スタンプ西側にある東屋
開場時間、休館日
入場料
見学随時、入場無料
見学所要時間30分~
備考駐車場なし
トイレあり(東屋ちかく)
飲料自販機はバス通りまで出ればあります

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