続100名城登城34城目は、山梨県韮崎市の新府城(127番)です。
新府城について
歴史
新府城は、天正9年(1581年)頃に武田勝頼の命によって築城が開始されたといわれています。同年年末、勝頼は躑躅ヶ崎館から新府城へ本拠地を移転しました。しかし天正10年(1582年)3月、織田軍の侵攻に際し、勝頼は自ら新府城に火を放って岩殿城にむけて脱出。これをもって新府城はわずか数ヶ月で廃城となりました。なお、勝頼は岩殿城に向かう途中、岩殿城主の小山田信茂の裏切りにより自刃、武田家は滅亡しています。
構造
新府城は、標高522mの城山の上に築かれた平山城です。東側の斜面は比較的緩やかで、東側を走る県道からの比高は70mほど、それに対して西側の斜面は急傾斜で、西側を走る甲州街道からの比高は130mほどあります。この西側の急斜面を護りとして、山頂に本丸、その西側に隣接して二の丸、南側に東三の丸と西三の丸、さらにその南に大手、それらを囲むように帯曲輪という配置になっています。
見学ガイド
現在は大手門周辺が整備されて形状が判り易くなっています。本丸には神社や武田家の碑などがあり見学可能です。それに対して二の丸と三の丸の整備状況はイマイチで、今回は元気のよすぎる草に阻まれて三の丸にはまったく立ち入れませんでした(苦笑)。冬に行った方が構造が判り易いかもしれません。
最寄り駅はJR中央本線の新府駅です。新府駅からは比較的なだらかな道(ゆるい上り)を10~15分歩けば登城口です。城跡より、むしろスタンプのある韮崎市民俗資料館の方が交通の便が悪いです。資料館の最寄り駅はJR中央本線の韮崎駅ですが、駅から道程1.6km/比高90mもあります(新府城跡の登城口~本丸より高い!)。よって、公共交通機関で行く場合は、先に城跡を見学してから徒歩30~40分(ごく緩い下り)で資料館まで行き、帰りはJR韮崎駅へ向かう(途中長い下り階段あり)、というのが一番体力を使わないで済みそうです。まぁお金があればタクシー移動をオススメします。
いざ登城
今回は自分で『見学ガイド』に書いたのは逆順、先に資料館に寄ってから徒歩で新府城にアクセスしました。傾斜はごく緩いとはいえ上りなので地味に体力が…。しかも予定より到着が遅れてすでに16時。帰りの特急に間に合うように回りきれるか…。
県道から城山を上っていく道。車でも上れそうにみえますが、関係車両以外は進入禁止のようです。
帯曲輪と大手
帯曲輪
上り始めてすぐに見られる帯曲輪。城の北~東~南を半周しています。
大手枡形
城の南側にある大手。ここは今回見学した範囲ではもっともよく形状が整備されていると思います。大手には方形の枡形と丸馬出、さらにその外側に三ヶ月型の堀があったことが判っています。
まずこの写真は枡形です。東西20m×南北15mの長方形で、周囲は土塁で囲まれています。撮影のために立っているあたりと写真正面の二箇所で土塁が途切れています。ここにそれぞれ門があったのでしょう。土塁は北側(城内側)の方が高く最大高3.4m、南側(丸馬出側)の方が低く高さ1.2mほどです。
大手丸馬出
枡形のすぐ南側にある丸馬出。東西30m、南北15mの半月型です。南側の弧状の辺には低い土塁があります。丸馬出の南側は急斜面になっており、その下には三ヶ月堀がある…はずですが、土塁の内側からだと角度的に見えないのかな…
三の丸~本丸
大手から登城路に戻って…って、この山をぐるっとらせん状に周りながら上っていく道はもともとの登城路なんでしょうかね?『日本城郭大系』の図にも描かれているのですが、城時代からこの道があったら大手の防衛機構の意味があんまりないような。
三の丸
大手より登城路をすこし戻って、東三の丸。…『↑』と言われましても、どこをどう進めばいいのこれ…。
西三の丸。この写真の撮影位置は『東三の丸』の立て札からはだいぶ登ったところですが、西三の丸と東三の丸は隣接しています。こちらは東三の丸のようなジャングル状態でこそないものの、草が深くちょっと立ち入れる状態ではなさそうです。撮影している方向に東三の丸との間の土塁があるはずですが、この位置からだとまったく判別できません。
草が枯れている季節にもう一度来るかなぁ…。
二の丸
こちらは二の丸…と本丸の間の小さな曲輪です。周囲を土塁に囲まれています。
二の丸…ですがここも歩きづらそう…なので入口付近から見るだけで。
本丸・稲荷曲輪
本丸
本丸に到着。本丸は東西90m、南北120mの広い長方形です。上の写真でも、木に隔てられて全体が見通せているわけではありません。
武田勝頼公霊社
本丸北端には、武田勝頼公霊社があります。これは武田氏滅亡後に地元の人々が石祠を建立したのが始まりだそうです。勝頼公霊社の両側には、武田十四将の霊碑が並んでいます。むかって左から五味貞氏、小山田昌輝、真田昌輝、真田信綱、高坂昌澄、山県昌景、馬場信房、武田信実、原昌胤、内藤昌豊、高坂助宣、土屋真次、甘利信康、横田康景の名が記されています。
奥で土塁が途切れた箇所がありますが、復元図によるとこのあたりに門があったようです。
藤武神社
本丸の東側にある藤武神社です。地元では『お新府さん』と呼ばれ親しまれているそうです。『藤武』の名はこのあたりの地名である藤井庄・武田庄からとったようです。武田勝頼公、天照大神、月読命を祀っています。
稲荷曲輪
藤武神社のお参りは本丸東側、一段下にある稲荷曲輪側からするようになっています。
稲荷曲輪全体ではこんな感じ。左手の鳥居から下の県道までまっすぐ階段が続いています。電車の時間が近いので、ここを下って今回の見学は終了です。
おまけ・新府駅
というわけで今回の見学予定はすべて終了、JR新府駅から電車で甲府まで移動します。
新府駅は無人駅で、道路から階段を上るといきなりホームという簡素な構造です。甲府・東京方面と小渕沢・松本方面で昇る階段が違い、写真は甲府・東京方面です。新府城から来ると線路のガードをくぐったところにあります。階段の上にICカードリーダがあり、SUICA・PASMOで乗車することができます。現金で乗車する場合は乗車駅証明書発行機から証明書をとって、下車駅で精算します。
ホームは狭めです。折りたたみ式のベンチがいくつか設置されていますが、ベンチの一部に小さな屋根があるだけで待合室はありません。真夏・真冬は長時間待つのが辛そうです(苦笑)。
上の写真のように僕以外誰もいなかったのですが、GoogleMapによると『通常に較べて混んで』いるそうです。もしかして平均値は0で、1人いるだけでも混雑扱いか…。
まとめとデータ
草と時間不足でいろいろ見そこねました。機会があれば冬場に再訪したいです。
Webサイト | 韮崎市観光協会による紹介ページ 日本城郭大系 第8巻p.357(閲覧には国会図書館の利用者アカウントが必要です) |
地図 | GoogleMap |
アクセス | JR新府駅より徒歩15分で登城口 |
開館時間 | 見学随時、ただし城内には照明設備が一切ありません |
休館日 | 見学随時 |
入場料 | 無料 |
備考 | 続100名城スタンプは韮崎市民俗資料館にあります。城址からは3km弱あります。 トイレは本丸にあります 城内に飲料自販機なし 城内に座って休憩できる場所なし 駐車できるスペースもなさそうです。 |
コメント