古宮城

旅行3日目、午前は愛知県新城しんしろ市にある古宮城ふるみやじょうの見学です。続100名城登城24城目です。

現地案内板より

古宮城について

歴史

古宮城は武田信玄が元亀3年(1572年)に築城したと考えられています。しかしそのわずか3年後、天正3年(1575年)に武田勝頼が長篠・設楽の戦いで敗北し武田家の勢力が後退するとともに古宮城も廃城になったと考えられています。

武田信玄死去後まもない天正元年(1573年)、作手領主であった奥平氏が武田家から離反して徳川方につきました。古宮城にいた武田軍が奥平氏を捉えようと争いになりましたが、奥平氏の援軍に駆けつけた徳川軍が古宮城を攻めて一時武田勢を撤退させた、という記述もあるそうです(古宮城の戦い)

構造

東西250m/南北200m、比高25mほどの独立した小さな楕円形の丘の上に築かれた城です。中央部を南北に走る大竪堀で東西に分断され、東地区が居住区、西地区が防御陣地になっていたようです。東側の中心部の最も高い位置に主郭を配置し、斜面に数段の曲輪と複雑な堀・土塁を築いて周囲を固めています。西側にある大手から城内に入ると土塁状の細い通路を進むようになっており、一列になった敵をより高い位置から狙撃できるようになっています。

見学ガイド

公共交通機関でのアクセスはかなり大変です。JR飯田線の新城駅前よりバス作手線に乗車、鴨ヶ谷口バス停が最寄りです。バス乗車時間は40分ほどですが本数が非常に少なく、僕がいったときは新城駅前7:27発の次は12:07発まで便がありませんでした。

見学路は舗装されていません。それほど大きくないとはいえ、靴などは山道が歩ける格好で。

この城跡は私有地です。城の周囲には個人宅の敷地もあり、白鳥神社以外からは進入禁止になっています。見学時に禁止区域に立ち入ってしまわないように注意して下さい。

いざ登城

今回の旅行で見学した他の3つの城はいずれも市街地にあってアクセスが容易だったのですが、この古宮城は最寄り駅であるJR飯田線の新城駅から道程20km+標高差500m、バスで40分もかかります。そしてそのバスも3~4時間に1本しかありません。

というわけで、午前中1本目のバスに乗るべく、7時前に新城駅に到着。

新城駅最寄りの 新城栄町・新城駅口 バス停は新城駅からはかなり離れていて、駅を出てから500mほど歩きます。ちょっと飲料を補充しようかと思ったのですが、コンビニも駅から離れた場所にあり、コンビニに寄ってからバス停まで行くと1km近く歩くことになりました。山城攻略前なのに疲れた(苦笑)。…もしバスを待っている間にトイレに行きたくなってもこのコンビニまで行く必要があります。

バスはダイヤ通りに運行し、8時過ぎに 鴨ヶ谷口 バス停に到着。そこから古宮城までは徒歩数分です。

いま乗ってきたバスがすぐ折り返す便を除くと、復路で一番早いバスは12:50頃です。近くの歴史民族資料館も併せて見学時間はたっぷりすぎるほどあります。

標高が高いためか、浜松城や吉田城などの平地の見学地に較べてちょっと涼しいです。

現在の古宮城の登城口となっている白鳥神社です。ここからの登城路は廃城後につけられたものですが、本来の大手口など他の開口部は私有地にあり見学者は立ち入り禁止です。必ずここから登城して下さい。

鳥居の右手にこのページ冒頭にある古宮城跡案内図が掲載された案内板あります。この図をスマホで撮影して、いつでもすぐ見られるようにしてから城内へ入ることをオススメします。

白鳥神社の境内です。右端に得る階段が登城路です。

いきなり東地区主郭

神社から上り始めると、まもなく右手に堀が見えてきます。
ここから左折して少し進めばすぐに主郭の虎口です。

東地区、主郭の虎口です(案内図③、ジオラマ『枡形』)。
周囲を土塁で囲み、入口と出口を一直線にしない枡形となっています。

※案内図=白鳥神社鳥居横の案内図、
※ジオラマ=作手歴史民俗資料館二階の古宮城ジオラマ(写真は別記事)

枡形虎口の奥には巨大なヒノキがそびえ立っています。

東地区主郭下段(案内図①、ジオラマ『東二の丸』)です。

東地区主郭は、この土塁によって上段と下段にわけられています。

東地区主郭上段(案内図①の左、ジオラマ『東本丸』)です。右手が少し持ち上がっているのは1つ前の写真にある区切り土塁で、その他左手から奥に向かう土塁も確認できます。

東地区主郭上段の南側に接続する櫓台(案内図②、ジオラマ『』)です。主郭に較べると面積は小さく、周囲を土塁に囲まれています。右前方の土塁の切れ目が主郭上段に接続しています。

西地区

東地区と西地区を結ぶ土橋の上より、大堀切(案内図⑥、ジオラマ『北大竪堀』)を見下ろしています。大堀切はここから南北に向かって伸びています。

西地区主郭下段(案内図④、ジオラマ『西二の丸』)です。奥に見えるのは主郭下段と上段を区切る土塁です。

西地区主郭上段(案内図④の左、ジオラマ『西本丸』)です。周囲をぐるっと土塁に囲まれていることが判ります。

西地区主郭の入口から折れて、南西の曲輪(案内図⑤、ジオラマ『西南曲輪』)に降りてみました。

曲輪と主郭の間には堀があります。

西地区主郭に戻り、北側の虎口から、右手に大堀切を見ながら北へ下っていきます。
(ジオラマ『西三の丸』付近)

こんどは西に向かう堀の底を進んでいます。案内図の推奨順路通りなのですが、堀の底は泥濘んでいて足場が悪いです。これから見学する方は不整地を歩きやすい靴を用意して下さい。

朝イチのバスで来たので僕が今日最初の見学者かと思っていたのですが既に足跡がついています。昨日の見学者の足跡がこんなにくっきり残っているのでしょうか?

堀の底を西に向かってしばらく歩いた跡、今度は土塁の上に登って引き返すコースになっています。
右の堀がいま歩いて来た道、左の土塁の上がこれから進む道です。

土塁の上を東に進んでいきます。土塁の上の方が土が乾いていて歩きやすいです。こんなちょっとの高低差でもずいぶん違うものです。

土塁の上から北側斜面(1つ前の写真の左手)を見下ろすと、何重にも堀と土塁が重なる複雑な形状がわかります。木が多数生えていて見通しが悪いですが…。

何度も折れ曲がりながら(案内図の中央部を折れ曲がりながら図の上の方へ進む赤い矢印)、最下段まで下りてきました。振りかえると、このように土塁が何重にも連なった様子を見られます。一瞬、どこを通れば登っていけるのか判断が出来ません。

周囲の曲輪など

最下段から西南側へ延びる道は、大手口(案内図⑦へむかう緑色の矢印)へと続いています。

大手口(案内図⑦)。大手口から出ると民家の敷地に入ってしまうため、ロープが張られて通行禁止になっています。この写真は、ロープぎりぎりの位置から振り返って城内側を撮影したものです。

大手口から引き返し、先ほど北側斜面を下りてきた位置を通り過ぎて少し先に進むと、城を東西に分割する大堀切(案内図⑥)があります。ここから見るとかなり深い堀です。写真右が西地区、左が東地区です。

山裾の北東部には平坦な領域(曲輪)がいくつか見られます(案内図⑧)。左側(城の外側)には土塁が続いています。

曲輪同士を区切る横堀です。

右手の一段高くなっている、立て札のある部分は牢屋跡だと言われています(案内図⑨)

あとは平坦な道が続き、白鳥神社境内に至ります。

これで全域を一回りしました。

まとめとデータ

コメントは簡素になってしまいましたが、城内の地形は変化に富んでいて、歩いていてなかなか楽しい山城です。ただ足場は悪いです。

城攻略情報のサイトでは『案内がほとんどなく迷いやすい』という投稿が多かったのですが、僕が行ったときは道ははっきり判別でき、曲輪にもちゃんと立て札があるので(最近になって案内の立て札が増やされたのでしょうか?)迷うことはありませんでした。記事冒頭にも書きましたが、神社入口の看板の案内図をスマホ等で撮影して、よく見ながら歩くとよいと思います。

Webサイト新城氏公式サイト紹介ページ
地図GoogleMap
アクセスJR飯田線 新城駅ちかく『新城栄町・新城駅口』バス停よりバス作手線に乗車、
鴨ケ谷口』下車徒歩すぐ(乗車40分)
※本数が少ないので時刻表要確認。NAVITIMEで検索できます。
※バス会社のサイトで時刻表を調べようとしてもNAVITIMEに飛ばされます(笑)
※『鴨ケ谷口(ケが大文字)』にしないと検索できません
続100名城スタンプ作手歴史民俗資料館(1km弱の距離があります)
Yショップつくで(民俗資料館よりさらに200mくらい先にあるコンビニ)
開館時間、休館日
入場料
城址は見学自由(周囲の個人宅に配慮)
入場無料
見学所要時間1時間半~
備考駐車場あり(2~3台分程度)
城内には自販機、トイレ、休憩用ベンチなど一切なし
※近くにトイレがありませんのでご注意を

コメント

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