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熊本城 2

本丸・天守外観

本丸

本丸御殿前には井戸跡があります。本丸御殿の建物は大広間など一部しか復元されていないので建物からかなり離れたところにあるように見えてしまいますが、図面によると井戸があったのは御裏台所、御祈祷所御風呂屋などに囲まれた一角だったようです。

この場所にはかつて加藤清正お手植えと伝えられる銀杏の木がありましたが、明治10年(1877年)の火災により天守などとともに消失してしまいました。しかしその後、根元から新芽が吹き、成長したのが現在の大銀杏です。

天守外観

熊本城天守。3重6階の大天守と、3重4階の小天守が並び立つ連結式望楼型天守です。
近代建築の外観復元で、中は博物館になっています。見学は右の小天守から入り、左の大天守から出てくるという一方通行です。

大天守には石垣の上に張り出すような構造があり、下からの侵入を防いでいます。

小天守は忍び返しと呼ばれる針状の構造があります。遠くから見ると大きさがよく判りませんが長さは60cmもあります。

天守内部

穴蔵

天守の中は近代建築の博物館になっています。震災からの復旧と全面リニューアルを経て、昨年6月28日から内部を見学できるようになりました。

小天守穴蔵(地下)。外からの印象より広い空間になっています。熊本地震の教訓からか写真の通り耐震構造になっています。井戸も復元されています。

穴蔵から小天守1階にあがるには、本来はこの石階段を利用したのでしょう。現在は観るだけの存在で、昇降には近代的な階段が用意されています。

天主模型

天守の軸組じくぐみ1/10模型がありました。現在の天守は近代建築による外観復元ですが、いったんこのように木造の場合の構造復元模型が作成されたそうです。

こちらは大小天守の内部構造を示すイラスト。こちらの方が各階の様子がわかりやすいです。

こちらは天守最上階の1/3の模型です。1/3とはいえかなりの大きさ。内装の畳、障壁画まで作り込まれてるようです。

こちらは天守最上階、入母屋破風の実物大模型です。幅6.6m・高さ3.0m、近くで見ると大きなものです。

天守構造

小天守の隅には狭間と石落としがありました。天守内部は近代建築なのですが、ところどころにはこのように天守の本来の構造を反映した部分もあります。

石落としから下を覗けます。

これまた唐突に復元されている空中雪隠。雪隠とはトイレのことですが、なんとこの部屋は下に支えるものがなく、中に浮いているのだそうです。

この写真の中央に写っている部分かな。

遺物など

江戸時代に作られた鯱瓦で、尾びれに『宝暦十三未七月』と刻まれているそうです。なんだか妙にすっきり細長い、独特の形をしています。

こちらは明治10年の火災でやけた瓦など。

天守の役割を解説するコーナー。『武器庫』ということで武具の展示など。

歴史・エピソード

熊本城下では川筋を変更する大規模な工事が行われたことを解説する展示。

熊本城にまつわるエピソードなど。
ここに描かれている横手五郎は怪力で有名な人物です。『築城時の人柱となった』とも、『実は過去に加藤清正に討たれた木山弾正の子で清正を父の敵として密かに狙っていたことがバレて生き埋めにされた』ともいわれています。
横手五郎が首にかけて運んだと言われている首掛け石が城内に残されています。

熊本地震での天守の被害状況を再現したジオラマがありました。

展望室より

大天守最上階から本丸を見下ろすことができます。線が引かれているのは本丸御殿の復元されていない部分でしょうか。左手のシートがかけられている部分は、被害状況の再現ジオラマで大きく石垣が崩れている箇所でしょう。

天守展望室より本丸御殿大広間を見下ろしています。本丸御殿は構造も含めて木造で復元されており、震災前は内部が公開されていましたが、地震の影響で床が沈下するなどの被害を受けているため現在は内部非公開です。

なお、本丸御殿大広間にぴったりくっつくように売店が建てられているのですが(写真中央よりやや左寄り、屋根の色が若干違う部分)、こちらは現在も営業中です。

おもてなし武将隊

天守から出たら、ちょうど天守前でおもてなし武将隊によるパフォーマンスが始まりました。
中央の人が加藤清正、他の2人は小西行長と大村喜前らしいです。登城前に桜の馬場で見たのと同じ人達のようです。桜の馬場では最後の方しか見られなかったので、今度は最初から最後までしっかり鑑賞しました。

天守内の博物館はリニューアル後まだ1年も経っていないということもあってどこもキレイで、バリアフリー化も進んでおり、展示内容も充実しています。写真は乗せていませんが西南戦争についての解説が豊富にありました。

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