春日山城

いざ登城

林泉寺からシャトルバスで春日山神社前に移動しました。

シャトルバス終点、ここが春日山城の上り口です。周辺には土産物店、駐車場などがあります。春日山城を一周する道の途中には自販機もトイレもありませんので、ここで諸々ととのえてから出発です。

前の写真、石垣の上に上杉謙信の像があることに気がつきました?

春日山城の登城ルートはいくつかあるのですが、今回はもっとも上りが緩いと思われる、三の丸→二の丸→本丸と順に上って行くコースを選びました。最初の内は比較的楽な坂道です。三の丸下までは舗装されていますが一般車両は進入出来ないと思います。

三の丸

ここから傾斜が急になりますが階段状に整備されているので登りにくくはありません。

数分登って三の丸に到着。
このあたりは甘粕近江守宅跡です。甘粕景持あまかす かげもち(近江守)は上杉家家臣で、上杉四天王・越後十七将の1人に数えられる武将。甘粕事件の甘粕憲兵大尉の祖先だそうです。

このあたりには上杉景虎うえすぎ かげとらの屋敷があったのだそうです。

上杉景虎は北条氏康ほうじょう うじやすの七男で元の名を北条三郎といいました。越後国の上杉氏と相模国の北条氏の間で越相同盟が成立したとき、三郎は人質として謙信の元へ送られますが、謙信に気に入られ、謙信の姪と祝言を挙げて謙信の養子となりました。このとき、謙信の元の名前である景虎を与えられ、三郎は上杉景虎となりました。またこの三の丸の屋敷も同時期に与えられました。

こちらは三の丸の奥、米倉跡です。
左手の斜面の上が二の丸で、かなりの高低差があるのが判ります。奥には二の丸へ登る道があり、そこからぐるっと曲輪の周りを半周する土塁が残っています。

まだ新しそうな木の切り株が多数あります。つい最近まで杉かなにかの林だったのを伐採したようです。

二の丸

二の丸です。本丸の真下を守る曲輪ですが建物などは何も残っていません。写真奥の斜面を登ると本丸や天守台など城の中枢部です。

二の丸から天守台を見上げています。

中核部

天守台

天守台まで上がってきました。天守台と行っても一般的な城でよく見る『天守(櫓)のための石積の台』ではなく、最高所に並んで存在する南北2つの曲輪のうちの南側の領域のことです。北側の領域を本丸といい、2つの間は堀切で区切られています。

現地では『天守閣址』とも表記されていますが、春日山城に天守が存在したという証拠は発見されていません。

天守台から三の丸側を見下ろしています。

井戸曲輪

天守台と本丸の間から二の丸とは反対側に少し降りたところに井戸曲輪があり、巨大な井戸が残っています。

覗き込むとすぐそこに水面が!山の上になぜこんな大量の水が自然に存在するのか不思議です。西方の山からサイフォンの原理で…と近くの説明板には書いてありましたが…

本丸

そしてふたたび登って本丸へ。

標高182m、日本海まで一望できる…とは言われていますが残念ながら天候がイマイチなので遠くまでは見渡せず。

本丸には雍仁親王やすひとしんのう殿下お手植えの松があります。

護摩堂・諏訪堂・毘沙門堂

三の丸から登ってきたのとは別の道を通って降りていきます。

本丸からおりて北側に進むとすぐにある広場には、護摩を焚いて戦勝や息災を祈願した護摩堂がありました。現在は休憩所が建っています。

休憩所前を過ぎて、この小高い部分の上に登ってみると、

上には、諏訪堂阯毘沙門堂阯との表示があります。

さらに先に進むと毘沙門堂があります。先ほど毘沙門堂址の表示を見ましたが、そちらが本来の位置で、こちらは昭和になってから再建されたものだそうです。

堂の中には上杉謙信が信仰した毘沙門天の青銅像が安置されています。謙信は出陣前に毘沙門天に勝利を祈願したと言われています。当時の像は上杉景勝によって米沢に移されましたが、嘉永2年(1849年)に火災で破損。昭和3年(1928年)に復元修理が行われ、その際に作られた分身がこの堂に安置されています。

毘沙門天は仏教の四天王の一尊であり北方を守る武神です。本丸の北側に毘沙門堂が配置されているのは偶然ではないでしょう。

お花畑

御花畑阯。薬草園のことでしょうか?
いまはなかなか立派な樹が多数生えていて昔の様子を想像するのはちょっと難しいですね…。

屋敷跡

直江兼続屋敷阯

少しくだって直江兼続なおえ かねつぐ屋敷跡。直江家は長尾為景ながお ためかげ(謙信の父)の代からの重臣で、兼続は上杉景勝の代になり会津・米沢と移封されたときも付き従っています。

数年前のNHK大河ドラマの影響か上杉家家臣の中で知名度がダントツですが、屋敷跡の面積も春日山城内にある家臣の屋敷の中でダントツです。しかも御花畑と千貫門の間に階段状に3段もあります。この写真は最上段ですが、下の2段もそれぞれこれと同じくらいの広さの広さがあります。

3段の直江屋敷跡を過ぎると、しばらく細く曲がりくねった道が続きます。

上杉少弼入道宅阯

また広い場所に出ました。ここは上杉少弼入道宅阯です。少弼しょうひつとは律令制度において治安維持を担う役職です。上杉謙信は天文21年(1552年)に少弼に任じられていますので、上杉少弼入道とは上杉謙信のことかと思うのですが、それにしてはあまりにも敷地が狭いです。直江屋敷の1段分もないと思います。

千貫門

直江屋敷跡を通り過ぎてさらに下っていくと千貫門、春日山城の搦手です。千貫と言うからには大型の門があったのか?とも思いますが現地には特に解説はなし。どこがどうなっているのか判りにくいのですが、土塁の切れ目ははっきり残っています。

千貫門の位置から直江屋敷の方へ登る道は細め。それとは別の方向にちょっと広くなった場所があり、さらにその奥には道が続いているように見えます。攻め手はついそちらに進んでしまうのでしょうが、実はこれは罠。

道に見えたのはただの空堀で、ここを通っても本丸方面へは行けません。両側の斜面の上から挟撃できるようになっているのでしょうか。

春日山神社

千貫門から一気に降りて春日山神社へ到着。ここから参道を通って駐車場を通り抜ければ最初の上杉謙信像の下に戻れます。僕の脚で一周約1時間でした。僕は比較的不整地を歩き慣れているので、そうでない人は1時間半~2時間程度かかるかもしれません。

駐車場前の売店でコシヒカリソフトクリーム250円なるものを売っていたので帰りのバスを待つ間に食べてみました。基本はバニラ味で、小さな粒が入っているような気がしたのが米でしょうか。山歩きで疲れたときは甘い物の摂取に限ります。

データ

Webサイト上越市公式サイト内の春日山城の紹介
Google Map春日山城跡
アクセスえちごトキメキ鉄道・妙高はねうまライン『春日山駅』より徒歩40分
『春日山駅』より頸城バス『春日山・佐内線』乗車、『春日山荘前』下車徒歩15分

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