箕輪城

箕輪城について

高崎にある箕輪城に行ってきました。

箕輪城は、西側を流れる榛名白川の河岸段丘の上に築かれた平山城です。 東西500m×南北1100mの長方形の領域に、本丸を中心として三方を囲むように二の丸・三の丸などの曲輪を配置した梯郭式の縄張りです。

築城は戦国中期の1512年。最初の城主は長野氏でしたが1566年に武田信玄に攻められて落城。武田家の重臣である甘利昌忠や真田幸綱が城代になります。武田氏が滅亡すると織田信長の家臣滝川一益のものとなり、本能寺の変の後は後北条氏、そして江戸時代に入ると井伊直政が入城…と次々に城主が変わった末、1598年に廃城になりました。

現在、箕輪城は国の史跡に指定されていますが、当時の建築物はまったく残されていません。土塁や堀の跡が残ってはいますが年月が経った状態のままのようです。復元はされていないため、かつての城の姿を想像するのはちょっと難しいですね…。

公共交通機関で行く場合、高崎駅からバスでアクセスするのですが、城のすぐ近くまで行く路線は一日に数本しかないようです。
また100名城スタンプがあるのは城址南端から1kmほど離れた箕輪支所なので注意が必要です。

…というわけで、まずバスで箕輪支所の最寄りバス停である【四ッ谷】まで行き、そこでスタンプとパンフレットをゲットしてから徒歩で城へ向かいました。

二の丸

もっとも楽に本丸にアクセスできると思われる【搦手口】より登城。
この上が【二の丸】、いまは駐車場があります。
箕輪支所からここまで、緩い上り坂で2kmほどあります。
登城口近くには伊香保温泉方面線の【東明屋】バス停があります。ただ1日に6便しかありません。

二の丸。いまは駐車場になっています。トイレもここに。
二の丸は本丸の南側にあります。

二ノ丸から【本丸】へ続く通路です。

本丸

【本丸】
いまはなにもない、ただの広場です。
もともと天守のような大型の建物はなかったようですが。

二の丸から本丸に入ってすぐのあたりに石垣が残っています。
他にも石垣が残っているところがありますが、城内に残っている明らかな建築物はそれだけです。

御前曲輪

本丸の奥(北側)にある【御前曲輪】。
ここには持仏堂があり、城の『精神的な中心』だったとのこと。
落城の際にはここで城主一族が自刃したそうです。

御前曲輪には井戸の跡があります。

堀など

堀に降りられるようになっています。数mの深さがある、かなり大型の堀です。

【郭馬出】と呼ばれる、四角錐台状のエリアです。

木俣。通路がいくつも集合した場所です。

到着時刻が予定より遅く周囲が暗くなってきてしまったので見学を打ち切って城外へ…でもせめて入る時に使った搦手口とは別の口から出ようと、観音坂口に向かったのですが…
狭い上に木に覆われて暗いです。写真だと明るさが補正されてしまっていますが、すでに足下がよく見えません。

やっと抜けてきました、観音坂口。
このあと【四ッ谷】バス停までまた歩き、1時間以上待ってようやく高崎駅へ。

データとまとめ

アクセス高崎駅より、
バス『伊香保温泉行き』で『城山入口』下車、徒歩5分(観音坂口が近い)
      または『東明屋』下車、徒歩5分(搦め手口が近い)
バス『箕郷行き』で『箕輪本町』下車、徒歩25分
      または『四ッ谷』(スタンプのある箕郷支所)
営業時間なし(見学随時)
休業日なし
入場料なし
100名城スタンプ箕郷支所
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