無量光院跡からさらに歩いて、8時過ぎに中尊寺の入口に到着。
まず、中尊寺の参道入口前。
大きな木の下には武蔵坊弁慶の墓があります。
ここを過ぎて案内所で音声ガイドを借りて【月見坂】へ。
本堂までは500m、有名な金色堂までは800m、一番奧までは1kmほど歩くことになります。
坂の両側の杉の並木は伊達藩が植えた物。
ドラマでしか見たことがない世界と現在とがつながっているというのがなんだか不思議な感じ。
もちろん、そこに至るまでにも数多くの堂がならんでいます。
【八幡堂】
八幡神は源氏の氏神で、前九年の役(1057年)の時にこの月見坂で源頼義、源義家らが戦勝を祈願したそうです。
【弁慶堂】
弁慶堂には立往生した弁慶の像が納められているそうです。
…といっても堂の中は見られないのですが。
【西行法師歌碑】
弁慶堂の近くの【東物見】にあります。
『きゝもせず 束稲やまの さくら花
よし野のほかに かゝるべしとは』
『束稲(たばしね)やま』とは平泉にある山の名前。
西行が繁栄を誇った奥州を訪ねた時に詠んだ歌だそうです。
西行も奥州藤原氏と同じく藤原秀郷の子孫なんですね。
【地蔵堂】
【薬師堂】
薬師如来、日光菩薩、月光菩薩が安置されています。
さらに進んで【本堂】。
かなり規模の大きな建物です。
…が、まぁここはあくまで普通の寺(苦笑)。参拝もそこそこに、目玉の金色堂へ向かいます(笑)
本堂を出てさらに進み、
【峯薬師堂】
【不動堂】
【大日堂】
【鐘楼】
と進んで、いよいよ有料エリアへ。
有料エリアの最初は【讃衡蔵】と名付けられた宝物館。近代的で立派な建物です。
入ってすぐの位置に3体並んだ大きな仏像に始まって、神仏像、奥州藤原氏の副葬品や装飾品など展示物はいずれも見事なものばかり。点数も多く見応え十分です。
つぎはいよいよ中尊寺で最も有名な【金色堂】へ。
金色堂は【覆堂】と呼ばれる鉄筋コンクリート建築の建物の中におさめられています。
さらに建物の中で、巨大なガラスケース(展示室?)の中にすっぽりと納められていて、温度や湿度も管理されているという徹底した保護ぶり。
なにしろ、奥州藤原氏の時代の建築物のうち唯一の現存物という貴重な物ですからね…。
1960年代に大修復作業が行われ、金色に輝く姿が復活。
屋根を除き、建物の表も内側も、床下までも金箔貼りの豪華絢爛たる姿。
堂内には3つの須弥壇があり、それぞれ藤原清衡・基衡・秀衡の遺体が安置されているそうです。
壇上には多数の仏像が配置され、非常に細かい細工が施されています。
月並みな表現しかできませんが、本当に見事な物でした。
まだ見たことがない人!一度は自分の目で見にいった方がいいですよ!
#写真が撮れないのが惜しい…
ここで有料エリアは終わり。
さらに奥へ少し進むと、昭和の大修理まで金色堂を保護していた【旧覆堂】が残されています。当たり前の話ですが現在は中にはなにもありません。
これが最初の覆堂というわけではなく室町時代の建築だそうです。
中尊寺見学の最後は【能楽殿】。
【中尊<寺>】の中ですが、能楽殿方面へはこの鳥居をくぐっていきます。
ここから先は【白山<神社>】になります。
【白山神社】
中尊寺全体の規模の中ではずいぶん小振りに感じます。
金色堂周辺と違い、人がほとんどいません…。
もともと白山神社は、中尊寺の開祖である慈覚大師が加賀の白山をこの地に勧請したもの。
その後も僧侶たちが山内の白山神社に御神事能を奉納していたとのこと。
日本では大きなお寺の中に神社があるということも少なくないですね。
【能楽堂】
いちど火災で焼失し、現在の能楽殿は嘉永6年(1853年)に伊達氏によって建立されたもの。
『だてもの』の言葉通り、伊達氏は代々オシャレなものが好きなんですね。
屋根は茅葺き、背景には松の絵、
コンパクトで均整の取れた建物です。
この能舞台は県指定重要文化財ですが、単に歴史的建築物として保存されているだけでなく、現役の『舞台』としても利用されており、毎年夏にはここで能が奉納されるそうです。
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この近くにはもう1つ【かんざん亭】なる建物があるのですが、それは歴史的建築物でもなんでもなく、休憩・研修用の施設でした。
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というわけで、朝8時すぎから90分以上かけた中尊寺見学は終了。
金色堂の写真が撮れなかったので、冊子を購入して次へ。
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【中尊寺】
http://www.chusonji.or.jp/
JR平泉駅より徒歩20分
拝観時間:4/1~11/10…8:00~17:00、11/11~3/31…8:30~16:30
年中無休
拝観料:大人800円、高校生500円、中学生300円、小学生200円
音声ガイド:500円
見学所要時間:90分~