岡城 その1

岡城について

岡城跡全体図(大手門跡近くの案内板より)

旅行3日目、最初の目的地は、日本100名城登城85城目、95番の岡城です。

歴史

岡城は、鎌倉時代初期の武将・緒方惟栄おがた これよしが、源頼朝から追われる身となった源義経を匿うため、文治元年(1185年)に築城したのが始まりである、とする伝承があるそうです。その後南北朝時代の元弘元年(1331年)、後醍醐天皇の命により大伴氏一族の志賀貞朝しが さだともが入城、その後200年以上に渡って志賀氏が岡城を守り続けます(入城時期は建武元年(1334年)、応安年間(1368年~)などいろいろな説があります)。

文禄2年(1593年)、大伴氏当主の大友吉統おおとも よしむねが豊臣秀吉に敵前逃亡を咎められて改易となり、大友氏の重臣であった岡城城主志賀親次しが ちかつぐ/ちかよしも所領と城を失うことになります。

翌・文禄3年(1594年)に中川秀成なかがわ ひでしげが移封されます。中川氏は関ケ原で東軍に与したため徳川家康より所領を安堵され、そのまま江戸時代を通じて豊後国岡藩の藩主として岡城にとどまり続けました。

構造

岡城は標高325mの天神山に築かれた山城です。東西に長く伸びる尾根の上に築かれているので本丸から1方向に曲輪がならぶ連郭式になるかと思いきや、本丸の北に二の丸・西に三の丸を置き、さらに東西に向かって何重にも郭で挟んでいくという構造になっています。

見学ガイド

最寄り駅であるJR豊後竹田駅からは水平距離で1.5km、高さ80mほどの上りなので、歩くとそれなりに体力を使いますが、西の丸下の駐車場までタクシーなどで行ってしまえばその後は非常に楽です。タクシー代は僕が行ったときは1,000円程度でした。

明治時代の廃城令で建物はすべて取り壊され、現在は石垣しか残っていませんが、大手門跡や中仕切門跡、太鼓櫓や鐘櫓の櫓台、三の丸の石垣などなかなか見応えがあります。また西の丸には屋敷跡が平面復元されています。

大手門から下原御門まで、整備された見学路が1本通っており、歩きやすいです。山城としては気軽に見学できると思います。

いざ登城

宿泊した大分駅前から、まず豊肥線豊後竹田ぶんごたけた駅へ向かいます。

JR九州ってローカル線普通列車まで見栄えしますね…。

大分駅を出発したときはガラガラだったのですが、途中駅で突然10人ほどのグループが乗り込んできて、なぜかテレビドラマ?の撮影が始まりました。しかも僕の隣の席にヒロイン役っぽい人が座って撮影開始!もちろん僕はフレーム外のはずですが(何の断りもナシに顔が写り込んでたら問題だ)、ヒロインがメールを読んだあとスマホから顔を上げて振り返り窓外に目をやる…という場面らしいので、一瞬こちらを見る時に思いっきり変顔をして笑わせてやろうかという誘惑に(やらなかったけど)。 数駅で撮影隊一行は下車(下車するシーンを撮影し、女優さんが車外に出た次の瞬間スタッフ全員もダッシュで降りていった…) 女優、監督、カメラ、記録係、スタイリスト、JRの腕章をつけた人、なんの係か判らない人が2,3人…って、1両編成にこれだけ余分に乗り込んできたら混雑するわ…。

そうこうしているうちに豊後竹田駅へ到着。駅からはタクシーで一気に西の丸下駐車場へ。

駐車場の隅に料金所があります。このあたりは総役所跡、総役所とは岡藩の裁判所のような機能を持っていた施設だそうです。

入城料を払うと、こんな巻物を貰えます。中身はガイドブックなのですが、雰囲気が合って面白いです。丸まって読みにくいけど。

大手門

料金所から大手門まで歩くあいだ、どこからかずっと『荒城の月』がかすかに聞こえていました。作曲者の滝廉太郎は竹田の出身で、『荒城の月』のモチーフとなったのはこの岡城だと言われています。岡城の近くを通る国道57号線・国道502号線に『荒城の月』が流れるギミックがあるらしいので、それが聞こえていたのかな…?

駐車場から少し歩いて、大手門の下までやってきました。ここが一番の急傾斜かな?大手門を入ってしまえばあとは本丸以外ほぼ水平移動です。

大手門跡。岡城の紹介記事ではこのアングルの写真がよく使われます。岡城を代表するポイントの1つです。現在残っている大手門は城の西寄り南端にありますが、これは慶長17年(1612年)に岡城に立ち寄った築城の名手・藤堂高虎のアドバイスに従って替えられたものといわれているそうです。

櫓門復元図が近くにありました。写真は昭和62年(1987年)の築城800年祭で復元されたものでしょうか?祭りの期間20日間限定で、石垣などの遺構を傷めないように発泡スチロール製で軽量に作られたのだそうです。

礎石が観察できます。

大手門~西中仕切まで

まずは本丸方面を目指して東に進みます。

朱印状倉跡

最初は朱印状倉跡。現代風に言えば公文書保管庫でしょうか。

中川但見屋敷跡

中川但見屋敷跡。現地の解説パネルから引用します。

中川但見屋敷跡は、西の丸周辺に存在する三つの家老屋敷の一つです。この屋敷跡は、大手門から本丸へ向かう桜庭場跡の左側に位置します。桜馬場跡沿いに正面入口があり、入口は石段を伴う門となってました。

現地では表示を見つけられなかったのですが、桜馬場とは現在見学路になっているあたりでしょうか。とすると正面入口の石段というのが写真に写っている場所でないかと思います。

また屋敷跡は、中川秀成が入部した際に、岡城築城着手から本丸完成までの間、仮屋敷として過ごしたところです。

中川秀成が移封されてから3年がかりで大規模な修復が行われたとされていますので、その期間のことでしょう。

中川但見は元亀年間より中川清秀の老職として仕えた戸伏氏の家系で、2代目藩主久盛の代に中川姓を名乗り歴代藩主の老職として仕えています。

中川清秀は初代岡藩藩主・中川秀成の父です。その家臣だった戸伏助之進が、2代目藩主・中川久盛の時代に中川姓を名乗ることを許され、中川備後となりました。

岡藩の他の重臣である田近氏、熊野氏、古田氏も後に中川姓となったのだそうです。藩主も重臣も全員中川、ややこしい…。ちなみに古田氏は、茶人として有名な古田織部の家系です。

城代屋敷跡

城代屋敷跡。
この写真右奥は籾倉跡です。

城代屋敷跡の前にこのようなものがあったのですが、これはなんでしょう?
現在の見学通路が桜馬場跡だとすると、馬用の水飲み場かなにかでしょうか?

西中仕切跡

そしてさらに進んで西中仕切跡。このあたりは尾根が非常に狭くなっていて、両側は崖です。
通路も石垣で挟まれて細く折れ曲がった食違虎口になっています。ここを超えると城の中枢に入ります。

おっかなびっくりギリギリ端まで寄って三の丸北側の高石垣を見ています。このように岡城の南北は崖となっています。

三の丸

西中仕切を過ぎると、三の丸の入口である太鼓櫓門との間が少し広くなっています。現在は補修工事が行われているようで、資材が置かれていたり、仮設の通路があったりします。

太鼓櫓門跡。櫓台の石垣がきれいに残っています。
ここを入ると三の丸です。

入ってすぐの枡形。左手の狭め(幅2m)の階段が藩主専用の御成門、右奥の広め(幅5m)の階段が藩主以外の通用門です。

三の丸の全景をパノラマで。初期方向正面の石垣の上が本丸、背後には今入って来た太鼓櫓門があります。

三の丸中央の殿舎跡。殿舎には40畳の寄附や30畳の大広間があったそうです。三の丸は藩主謁見のための場であったと考えられています。

三の丸にある小河一敏おごう かずとし翁之碑。小河一敏は幕末に岡藩士の子として生まれ、明治時代に大阪府判事・堺県知事として活躍した政治家です。その後は宮内省御用掛となり明治天皇に仕えました。

これも三の丸にある蕃山ばんざん先生頌徳碑。蕃山先生とは江戸時代の陽明学者・熊沢蕃山くまざわ ばんざんのことです。万治3年(1660年)、藩主・中川久清に招かれて岡藩に赴き、土木指導を行った人物です。

二の丸

三の丸から本丸の左手を抜けるように進み、この階段を上ると二の丸です。その奥にある階段からは本丸に登ることができます。

二の丸に入ってすぐの位置には井戸跡があります。山城では水の確保が重要ですからね…と思ったら、実はこれは空井戸です。涸れてしまったのではなく当初から水はなく、抜け道だとか、財宝が隠されていたとかいったような伝説が残されているそうです。

二の丸全景。二の丸はL字型をしていて、1辺が本丸の北側に接し、1辺は北に向かって突き出しています(記事冒頭の全体図参照)。突き出した北端には月見櫓があったそうです。この月見櫓は軍事用の物見台ではなく、詩歌や茶の湯などを楽しむための場であり、各部に意匠が凝らされていたそうです。

二の丸には地元出身の有名な音楽家・滝廉太郎の像があります。
眺めも良いのでなんちゃって3D化しました。

この像は滝廉太郎と小学校の同窓(滝廉太郎の方が4歳上)である彫刻家・朝倉文夫氏によって作られた物だそうです。

二の丸にある休憩所。
もとはこのあたりに風呂屋と呼ばれる建物があったそうです。1階に風呂、2階に座敷や簀子縁が設けられ、2階からは本丸に通じる通路もあったとか。月見櫓と合わせ、岡城の二の丸は軍事的な意味が薄く、遊興の場として使用されていたと考えられているそうです。

この休憩所は風呂屋の復元というわけではないようですが、風呂屋と同様に建物内から本丸に登ることのできる階段が設置されています。

休憩所の内部。座って休めるのはもちろん、飲料の自販機と清潔なトイレがあるのがありがたいです。2016年10月完成とのことなので、まだ完成から1年も経っていないのですね。

長くなってきたのでいったん記事を切ります。次はいよいよ本丸へ!

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