小谷城 その1

旅行8日目は小谷城おだにじょうの見学からスタート。
小谷城は戦国大名浅井氏の居城で、織田信長に攻められて浅井長政が自刃した悲劇の舞台として有名です。

小谷城について

歴史

築城主は浅井亮政あさいすけまさです。築城時期については確定していませんが、遅くとも大永5年(1525年)までには築城されていたと思われます。天正元年(1573年)に亮政の孫・長政が織田信長に敗れて落城、天正3年(1575年)に廃城となりました。

構造

小谷城全体図
(小谷城戦国歴史資料館前の屋外説明板)
小谷山地形
(河毛駅コミュニティハウス内ジオラマ)

南側が開いた馬蹄形の小谷山の尾根に沿って曲輪が築かれた山城です。非常に規模が大きく日本の五大山城の1つに数えられています。本丸など主要な曲輪は東側の尾根にあります。

いざ登城

今回は本丸を含む東側の尾根を歩きます。
小谷城へのアクセスにはいろいろな方法がありますが、JR河毛かわけ駅からタクシーで番所跡(車で行ける一番高いい位置)まで一気に上り、そこから尾根伝いに本丸の北にある山王丸まで往復し、徒歩で下山して麓の資料館へ向かう、というプランを立てました。これなら見所をひととおり押さえて体力はあまり使わずに済みます。

河毛駅コミュニティハウス。駅舎と観光案内所が一体化したような建物です。
朝7時に到着しました。

売店・待合室としても機能しています。今回は利用しませんでしたが自転車が借りられるようです。

困ったことに河毛駅にはコインロッカーがありません。あると書かれた観光ガイドブックも見たような気がするのですが…。幸い僕が行ったときはコミュニティハウス受付で荷物を預かって貰えたのですが、正規の業務ではないようでした。シーズンオフでほとんど客がいなかったからかな…?

河毛駅前のバス・タクシー乗り場には浅井長政お市の方の像があります。

駅前ロータリーからタクシーで番所前駐車場へ。駐車場と呼ばれていますが狭いです。一応10台駐められるらしいのですが。
僕が行ったときのタクシー運賃は1650円でした。道は空いていたので、混雑状況によってはもっとかかるかもしれません。

主郭部 南(黒金門以南)

番所

現地の案内板に描かれた復元図です。各所にあり、状態もいいです。

というわけで駐車場の写真から右手に進んですぐの番所
遠方からは見えず間道の集まる要所で登城者を見張るには絶好の位置です。
ここが小谷城の玄関でした。

番所は城の主要部からは少し離れており、次の曲輪までは少し歩きます

御茶屋

小谷城主郭部最南端の曲輪です。中央部にL字型の土塁があり、内部に建物があったということですが、この写真だと判別出来ません。

御馬屋

御茶屋から少し登って御馬屋
土塁に囲まれたかなり広い曲輪です。写真でも奥と左手が盛り上がっているのが判るでしょう。

御馬屋と呼ばれていますが実際に馬小屋があったと確定しているわけではないそうです。

御馬屋跡にある馬洗池。本当に馬を洗うための池というわけではなく、この上の曲輪に昇るのを防ぐためにつくられたミニサイズの水堀であったのではないか、という説もあるとか。

初代城主・浅井亮政が敵に内通していた家臣・今井秀信を殺害し、その首をここに晒したと伝えられてていたことから首据石という物騒な名前がついています。

桜馬場

桜馬場は、先ほどの御馬屋の一段上、大広間の手前にある細長い郭です。このあたりで大河ドラマ『江』の撮影も行われたそうです。現地に撮影風景の写真もありました。

桜馬場から観た琵琶湖方面。画面中央に小さく見えているのが琵琶湖観光の人気スポット竹生島ちくぶしまでしょう。
桜馬場が城内でもっとも琵琶湖方面の見晴らしがよい場所だと思います。

桜馬場の奥(本丸に近い側)から先端(番所に近い側)を観るとこんな感じ。100m近くあるかな。

桜馬場の一番奥(北端)には浅井氏家臣達の供養塔があります。

さらに奥へ。大広間への入口であった黒金門の跡です。黒金とは鉄を表すので、ここにあったのは鉄板を打ち付けた門だとされています。

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