沼田城 その1

沼田城について

沼田公園入口付近の案内図より
図の右方が北です。

続100名城登城11城目(通算109城目)は沼田城です。
沼田城は群馬県沼田市内、利根川と薄根川な合流点近く、河岸段丘の上に築かれた城です。

歴史

沼田城は享禄5年(1532年)、沼田氏によって築城されました。その後50年ほどは沼田氏の居城でしたが、天正8年(1580年)に武田氏に攻略されて沼田氏は滅亡。そのわずか2年後の天正10年(1582年)3月に織田・徳川連合軍により武田氏が滅亡すると織田家の家臣である滝川一益の城となり、同年6月の本能寺の変の後には真田昌幸の支配するところとなります。その後豊臣秀吉の裁定により沼田城は北条氏の城となりますが、秀吉の小田原征伐の後に真田氏に返還され、昌幸の子・信幸が城主となります。大坂夏の陣の頃に真田信之(信幸から改名)は本拠地を上田城に移し、ついで松代藩に加増移封となりますが、沼田城は信之の子・信吉を沼田城の城主とし、沼田は松代藩の分領となりました。

江戸時代に入ってもしばらくは松代藩の分領でしたが、明暦4年(1658年)にお家騒動によって沼田領は松代藩から独立、沼田藩となりました。信吉の子・信利は松代への対抗意識から藩の石高を実際の倍以上と偽って幕府に届けるなどした結果、重税のため領民は窮乏。やがて悪政が幕府にも発覚して改易となりました。

展示などは小田原征伐から大坂夏の陣までの間の、真田信幸が城主だった時代に主眼をおいているようです。

見学ガイド

現在は本丸・二の丸を中心に沼田公園として整備されていますが、残念ながら城時代の遺構は建物どころか堀や土塁までほぼ完全に破壊され、ありし日の姿を想像することはかなり難しい状態です。かつて威容を誇ったであろう五層天守も、現在は天守台ごと失われてかすかな痕跡すらありません。またかなり雲が厚くなってしまい、撮影コンディションもイマイチでした。

本丸北西部の櫓跡周辺に石垣などの遺構が残り、わずかに昔の姿を忍ばせてくれます。展示は真田信幸時代を中心にしているようです。本丸と二の丸の間?の堀跡が整備中のようなので、今後の調査・整備に期待です。

見学開始

午前中に訪れたロックハート城から、なんと路線バスで直接行けました。JR沼田駅から沼田公園までは直線距離では600mほどしかないのですが70~80mの上りとなります。高さの表示されていない地図で見ると駅周辺から普通の市街地が続いているように見えるのですが、バスは途中、登山路線のような急な坂を登っていきます。もし駅から徒歩で行っていたらかなり体力を消耗していたでしょう。

沼田局前バス停から500mほど歩いて沼田城跡へ。現在は旧本丸を中心に沼田公園となっています。公園ゲートは冠木門を模しているようです。

公園駐車場の奥にある案内所。続100名城スタンプと御城印、各種リーフレットなどをゲット。

案内所には沼田城の復元ジオラマがありました。
この写真の手前が本丸(記事冒頭の全体図の上中央)です。

当然、ここも真田推しでした。
今回見学した群馬県内の三城+長野県の上田城で『真田の城』としてタイアップしているような感じです。

案内所から本丸方面へ向かう途中の小さなロータリーに久米民之助像がありました。
久米民之助氏は沼田藩士家に生まれた土木技術者・実業家で、衆議院議員を4期務めた人だそうです。

久米民之助顕彰碑。先ほどの久米民之助氏のプロフィールが書かれています。

本丸

公園の案内図とジオラマを合わせるとこのあたりが本丸大手のはず…ですがそれらしい構造はまったく残っていません…。

と思ったらちょうど1つ前の写真を撮っているあたりの足下に本丸御門跡とありました。

本丸跡に入ると、このようなものが…戦国無双というゲームのキャラクターのようです。
右が真田信之、左が小松姫(ゲーム中では稲姫と表記)だそうです。

ゲームキャラよりは実物に近そうな(?)真田信之・小松姫像もありました。

本丸跡中央部。案内所のジオラマだと御殿が建っていたあたりのはず。
花の咲く季節に来たら綺麗なのだろうと思います。

鐘楼
江戸時代に一度時鐘が作られたのですが、真田氏の改易によって市内の寺院に移され、その後市役所前で時鐘として使われるなどいろいろあった後、昭和58年に現在の位置に鐘楼が再建されたとのこと。

鐘楼の近くには沼田市民の歌歌碑がありました。

これも鐘楼の近くにあった金子刀水句碑。金子刀水は沼田出身の歌人だそうです。

鐘楼付近は本丸の西端にあたり、ここから沼田市街地が見下ろせます。
沼田城がかなりの高さがある位置に築かれた城だということがよくわかります。

本丸北西部。
階段と石垣がありますが、ジオラマによるとこの左手に乾櫓(本丸西櫓、二重櫓など表記が一定しない…)があるので、その遺構でしょうか。

本丸北西部、西櫓下石垣。
城らしい遺構のあまり残っていない沼田公園の中では貴重な、真田時代のものだそうです。

本丸の北側にあるミニ動物園。
昭和に作られた城址公園ではお約束ですね…。動物園とっても、いるのは鳩・阿亀鸚哥・背黄青鸚哥・烏骨鶏・金糸雀とほとんど鳥なんですが。
(…ところで鳥の漢字名を全部読めますか?)

これも本丸北側にある利根英霊殿
この右奥あたりに五層の天守があったそうです。

天守があったとされる場所に回ってみましたが、現在は天守台どころか石垣や土盛りの痕跡すらなく、管理用の小屋(物置?)がいくつかあるだけです。
ここにかつて五層の天守があったとは想像も出来ません。五層といえば姫路城や松本城なみの大規模天守を思い浮かべてしまいますが、敷地面積も充分ではないような…。

堀跡
本丸と二の丸の間の堀です。幅24m、石垣高さ6mもある大規模なもの。写真右側が本丸、左側が二の丸です。本丸側の石垣は真田氏時代のものといわれています。
当然、この写真を撮っている場所も含めてもっと長く続いていたものと思います。

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