白石城

東北旅行6日目。続日本100名城登城41城目は、宮城県の白石しろいしです。

白石城について

歴史

白石城の築城時期や築城者についてははっきりしたことは判っていないようですが、戦国時代には奥州藤原氏の末裔とされる刈田氏が白石氏と名を改め居城としていたようです。

豊臣秀吉の奥州仕置によって白石城は会津の蒲生郷成のものとなります。慶長3年(1598年)に蒲生氏が宇都宮に移封されると、代わって会津に入った上杉景勝の家臣、甘糟景継が白石城に入城します。

慶長5年(1600年)、徳川家康の会津征伐と時を同じくして伊達政宗は白石城を攻め落とし、支配下とします。白石城は政宗の側近である片倉小十郎が城主となり、慶長20年(1615年)に一国一城令が発布されたあとも特例として仙台藩は白石城のの保有が認められ、そのまま江戸時代が終わるまで片倉氏の居城であり続けました。

構造

白石川に接する標高76mの独立丘陵の上に本丸を置き、その西側に二の丸、南東斜面に南ノ丸、南西斜面に中ノ丸、さらに丘の麓の平地に三の丸などの曲輪を配置していった梯郭式の平山城です。本丸には天守にかわる三重の大櫓がありました。

見学ガイド

現在は本丸が益岡公園として整備されています。本丸には天守(当時は支城という格を考慮してか大櫓と称されていましたが、現在の案内図には天守(天守閣)と記されています)と大手一ノ御門、大手二ノ御門が木造復元されています。

また、近くには武家屋敷も保存されており、合わせて見学するのもいいと思います。

なおJR白石駅からは徒歩で15分ほどなのでアクセスしやすいと思います。

いざ登城

白石駅

宿泊していた仙台からJR東北本線で白石駅へ。移動時間が短く、またあまり早く着いても中に入れないので朝はのんびりです。この旅行で初めて、ホテルで提供される朝食を食べられました。

白石駅の駅名表示板にも白石城天守の写真が使われています。

駅出口近くに、古そうな赤レンガ造りの建物がありました。これは白石駅開業当時の明治20年(1887年)につくられたもので、灯火用の油を保管する倉庫だそうです。錆びて読みにくいですが『少量危険物貯蔵取扱所』と書かれたプレートがとりつけられています。

白石駅前。ロータリー入口に建つ歓迎塔には、白石城城主だった片倉家の旗印に因んで釣鐘がつけられています。

街中

マンホールも白石城天守です。

白石城へ向かう道の数カ所に釣鐘がみられます。

門~登城路

白石城の登城口、厩口門うまやぐちもん跡に到着。現在はこの坂の上に神社があるので大鳥居が建てられています。

いまはまったく形状が判らないのですが、本丸の北側の斜面、たぶんこの階段の途中あたりには厩曲輪がありました。

もともとこの位置にあった厩口門は、市内の延命寺に移設されて現存しているそうです。…白石城跡から徒歩15分くらいの距離なのですが、帰りに寄るのを忘れました(オイ)。こちらは説明パネルの写真です。

城址公園の全体図はこのとおり。遺構や復元建築が観られるのはほぼ本丸内だけです。

本丸の外から観る天守です。現在は案内板などで『天守閣』と表記されていますが、江戸時代には『大櫓』『御三階櫓』などの表記で『天守』とは称していませんでした。

天守の外側(北側・西側)の2面には切妻屋根の出窓があり、その下に石落としのような開口部が確認できます。壁にいくつか見える小さな正方形の穴のようなものは鉄砲狭間と思われます。

天守の下には井戸がありました。

本丸

大手御門

大手一之御門をくぐって中へ入ります。一之御門は写真の通り非常に小さな門です。

そのまま進んで大手二之御門です。櫓門になっていますが、櫓の構えに対して開口部が小さいように思います。

本丸内から二之御門を振り返っています。ずいぶん開口部が偏ってますね??

本丸御殿跡

本丸の中心部より天守方向を見ています。左にある細長い石碑は片倉小十郎景綱公頌徳碑です。

観光ガイドにありそうな角度で(苦笑)天守。

上の2枚の写真でも判るように、現在の本丸は北辺に天守と2つの御門が復元されている以外は建築物がなく広々とした印象なのですが、かつてはこのようにぎっしりと建物が建てられていました。大手一ノ御門外にあった井戸も、ちゃんと復元模型にありますね。

左の写真の本丸模型は近くのミュージアムで観られるのですが、そちらは館内撮影禁止でした…。

天守のすぐ横には鐘堂があります。最初の鐘は文正元年(1466年)に鋳造され伊達郡東昌寺にあったものが白石城に移されたと言われていますが、ひびが入ったために寛文元年(1661年)に再鋳されました。明治3年(1870年)に白石城が払い下げられたとき、伊達郡の博来寺に買われ、太平洋戦争中の金属供出も免れて現存しているそうです。

…つまりここにはありません。

本丸の中にも井戸後がありました。水があるかどうかは見えませんでした…。

門跡・櫓跡

本丸南側の裏御門跡。ここから中の丸・南の丸方面に降りることが出来ます。現在は土塁の切れ目に道を通しただけのようにしか見えませんが、冒頭の古絵図や復元模型写真でも判るとおり、かつてはここに櫓門があったようです。

本丸南東角の辰巳櫓跡。画面左手に見える石積みは櫓台の石垣の名残でしょうか。

本丸南西角の未申櫓跡。こちらも石垣または礎石の跡なのか、角ばった大きめの石が並んでいるのが見えます。

天守(大櫓)

現在の天守は木造・伝統工法による復元建築です。平成7年(1995年)3月に復元されました。本丸内側から見る天守は、真っ直ぐの大きな屋根付き外階段と三階の赤い高欄が印象的です。本丸内側に向いた南面・東面には出窓・飾り破風がなく、一階部分が狭間のない土塀で覆われていて、全体的にすっきりシンプルな印象です。

1階

天守の玄関です。続日本100名城スタンプはここをあがってすぐのところにあります。

1階全景。白石城内の建物は明治時代にいちどすべて取り壊されてしまいましたが、平成7年(1995年)に復元されました。復元は文政2年(1819年)の大火で焼失した後に再建された天守の資料に基づいているそうです。

1階の外周は武者走りという板張りの通路になっています。中央の部屋部分に較べて幅広いような気がしますね。

外から見えた穴はやはり狭間でした。中から観るとほとんど床に近い低い位置に作られています。

先ほど外からも確認した石落としを内側から見るとこんな感じ。天守1階の北側・西側の面に1つずつ設置されています。

中央には片倉小十郎、伊達正宗、真田幸村の甲冑などのレプリカが飾られています。

天守の模型。3階の高欄と玄関に続く急階段が特徴的です。

復元天守でお馴染み、ハシゴかよとツッコみたくなる急階段…。

附櫓

1階東側にある附櫓です。

中には壁の構造のサンプルが展示されています。
…広さの割には展示物が少ないですね。

2階

天守2階はこんな感じ。

2階の武者走り。地元の子どもが描いた白石城の絵が飾られていました。

2階~3階の階段はすこし傾斜緩めでしょうか??

3階

天守3階は展望台になっています。意外に広いですね。

天守3階からの展望。北側はすぐ急斜面なので、丘の麓に広がる市外地が見えます。このあたりはかつては三の丸でした。

東側は本丸を見下ろすことが出来ます。

上から見ると、本丸大手一ノ御門・二ノ御門の構造が判りやすいですね。途中で非常に細くなる、独特の形状の枡形になっています。

南側は本丸を囲む土塁がみえます。機に遮られてよく見えませんが、その向こうには中の丸・南の丸があります。

西側には二の丸が見えます。二の丸には現在、ブランコや滑り台などの遊具が設置された児童公園になっています。遠景右手には蔵王連峰が見えます。

歴史探訪ミュージアム

本丸を出て、大手御門の近くにある歴史探訪ミュージアムへ。

1階に売店と食堂、2階に展示室、3階にはシアターがあります。
シアターでは『鬼小十郎帰るに及ばず』という短篇映画を観ました。小十郎重綱(2代目)が大坂夏の陣の際、真田幸村の娘を密かに救出したエピソードを中心に描く作品でした。小十郎景綱(重綱の父、伊達政宗の守り役として有名な片倉小十郎。片倉家には小十郎○○が何人もいるのでややこしい)役に宍戸錠など、ここでしかみられないのが惜しい豪華な作りでした。

データ

Webサイト白石城・歴史探訪ミュージアム公式サイト
地図GoogleMap
アクセスJR東北本線 白石駅より徒歩15分
開館時間4~10月:9:00~17:00
11~3月:9:00~16:00
休館日12/28~12/31
入場料白石城:大人400円、小~高校生200円
ミュージアムシアター:大人400円、小~高校生200円
武家屋敷:大人200円、小~高校生100円

共通券:大人800円、小~高校生400円
※シアターは上映作品1本視聴ごとに料金がかかります。
※共通券で視聴できるのは1本だけです。
備考続100名城スタンプは天守1階
トイレは本丸内、本丸南西にあり(本丸南西は車椅子トイレあり)
飲料自販機は大手一ノ御門近く、ミュージアム前にあり
見学所要時間:本丸+天守1時間、ミュージアム展示室15分
シアターは1本30~40分(上映開始時刻はサイト参照)

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