興国寺城

続100名城登城32城目は、静岡県沼津市の興国寺城こうこくじじょう(145番)です。

本丸の解説パネルより

興国寺城について

歴史

興国寺城の築城年や築城主は判っていません。が、長享元年(1487年)頃に今川家の武将だった伊勢盛時いせ もりとき伊勢宗瑞いせ そうずい北条早雲ほうじょう そううんとして知られる人物)が城主を務めいていたと伝わり、『北条早雲旗揚げの城』と言われています。確実に資料が残っているもので一番古いのは天文18年(1549年)の今川義元による普請の記録で、この時期に城の形が整備されたようです。

興国寺城のある東駿河は、東に相模・南東に伊豆・北に甲斐と国境を接する戦略的に重要な地域で、各国の大名たちがこの地を支配しようとしのぎを削っていました。そのため興国寺城も今川氏・後北条氏・武田氏・徳川氏・豊臣氏と、周辺諸国大名たちの同盟や戦乱によって次々に城主が代わりました。

江戸時代にはいって慶長6年(1601年)、家康の家臣であった天野康景あまの やすかげが城主となって興国寺藩1万石が誕生しました。しかし慶長12年(1607年)に興国寺藩で発生した事件のため康景は改易、興国寺城も廃城となってしまいました。

構造

興国寺城は、現在の静岡県沼津市にある愛鷹山から南に向かって張り出した尾根の先端部に築かれた平山城です。三の丸・二の丸・本丸・天守台(伝)が階段状に一直線に並んで配置された連額式の縄張りとなっています。

見学ガイド

三の丸・二の丸・本丸・天守台・大空堀が城址として整備され見学可能です。

最寄り駅はJR東海道線の原駅で、北へ2.5kmほどの位置にあります。駅から登城口までずっと道は平坦なので徒歩でも30分ほどでたどり着けますが、原駅前からコミュニティバスに乗車して『東根古屋』バス停で下車すると眼の前が興国寺城登城口です。他に、沼津駅や静岡駅からも東根古屋を経由するバスが運行されています。

いざ登城

今回はJR原駅からアクセスしました。なんだかんだで駅到着が15:30を過ぎてしまい、日が暮れる前に見学するために駅からはタクシー利用です。タクシー代1,000ほどで時間と体力を節約しました。

本丸

いきなり本丸

本丸の解説パネルより

実は本丸までタクシーで入れます(上の写真の『(伝)石火矢台』と書かれた上のあたりに駐車場があります)。というわけで今回はいきなり本丸から見学開始です。

興国寺城の見学で特に印象に残るのは、本丸の東・北・西の三方を囲む巨大な土塁でしょう。特に最も高い北側の土塁は高さ14mもあり、中央部は天守台と一体化しています。

東西の土塁は、北側の土塁よりも一段低くなっています。それでも他の城で観る土塁に較べるとはるかに高いですが。

本丸から南側を見ると、二の丸・三の丸が階段状に続いているのがよく判ります。

穂見神社周辺

本丸の奥、中央には、穂見ほみ神社があります。安政4年(1857年)に、五穀豊穣の御利益があるとされる山梨県の高尾穂見神社から分祀され、この地に建立されたのだそうです。

神社に向かって右手には、石碑が2つ。右が初代城主(伝)の北条早雲、左が興国藩初代藩主の天野康景の碑です。この碑のさらに右手には説明パネルと続100名城スタンプがあります。

個別の写真は撮っていませんが(VR写真では小さく写ってる)、神社の左手にはトイレがあります。工事現場にあるような簡易トイレですが、周辺には他に使えそうな公衆トイレ・トイレが借りられそうな公共施設や商業施設がないのでありがたいです。

石碑のさらに右手より、本丸北側土塁に上ることができます。

本丸土塁・北側(天守台)

土塁に登っていく途中で、天守台と伝えられている石垣を見ることができます。野面積みの石垣で、土塁と一体化しています。

天守台まで上ってきました。天守台正面では、東西二棟分と思われる建物礎石が見られます。

VR写真で後ろを振り返ると判りますが、天守台のある位置は穂見神社の真後にあたります。

天守台より西櫓台へ通路が続いています。細い道・急斜面ですが、両側はロープだけで体重を預けられるような柵ではないのでちょっと恐いですね。

本丸土塁・西側

本丸土塁北西角です。ここにも櫓があったと言われていますが、天守台と違って礎石は…ちょっと判りませんね。

西櫓台より本丸西側土塁を見下ろしています。北側の土塁と西側の土塁との間には大きな段差があり、行き来はできなさそうです。

西櫓台より、本丸土塁の斜面を。かなりの急斜面で、道ができているところ以外を上るのは困難でしょう。

本丸土塁・東側

今度は本丸北土塁の北東角より東側土塁を。西土塁より段差は小さいですが、ロープが張られて通行禁止になっています。

本丸北土塁北東角あたりからは、本丸の北に広がる北曲輪を見ることができます。北曲輪のさらにむこうには東海道新幹線の線路があり、車両は見えませんがときどき走行音が聞こえます。

大空堀

本丸北土塁から、本丸北の大空堀に降りることができます。土塁の上から見ると深さ15mくらいあります。

大空堀から北曲輪に上る道があるのですが(上のVR写真の右手)、登り切った当たりにロープが張られていて北曲輪に入ることはできなくなっています。

空堀の中を少し歩いてみることにしました。西に向かって進むと、崖(本丸側)に何カ所か穴が空いている場所があります。

近づいて中を覗いてみました。危険かもしれないので入るのは避けましたが、大人が屈んで入る程度の直径です。人工のものにみえますが、城の遺構ではなく、第二次大戦中の防空壕かもしれません(知覧城にあった防空壕跡と、周囲の様子や穴の大きさが似ています)。

空堀は南にカーブしつつ、だんだん狭くなってきました。

と思ったら、城外に出てしまいました。本丸の西側ですね。

今度は空堀を東に進みます。やはり途中で南向きに折れて進んでいくのですが…木の間から見えているのは、は本丸~二の丸の東側の清水曲輪かな…。

さらに進むと、本丸南東にある駐車場(来るときにタクシーを降りた近く)に出ました。駐車場側から見ると空堀入口は柵の隙間程度にしか見えず、最初に来たときには気付きませんでしたが…。

二の丸・三の丸

あとは本丸から三の丸にむかって下っていきます。

二の丸

本丸の南端から二の丸の南西部を見ています。木々に囲まれるようになっているところまでが二の丸です。

二の丸と三の丸は道路で東西に分断されていますが、この写真は二の丸東側です。車が駐めてありますが、ここも見学者用の駐車場なのでしょうか??

三の丸

最下段、三の丸は、城のすぐ南を通る車道(根方街道)と同じ高さです。

興国寺城の上り口です。興国寺城は全体が巨大な階段のような形状をしていることがよくわかります。最下段は三の丸(1つ前の写真の場所)です。

というわけで全体を一周。構造が比較的単純で、本丸北土塁を上り下りした以外はあまり体力を使わずに見学できました。

コミュニティバスのバス停より興国寺城を振り帰って撮影。ちょうどバスが来る時刻だったので帰りはバスを利用しました。…まさにこちらに向かって曲がってきたワンボックスカーがコミュニティバスでした。駅まで200円。周辺には『根古屋』『東根古屋』というバス停がいくつもあり、原駅・沼津駅・静岡駅など行き先によってどのバス停で待つか違うのだと思いますので、バス停の表示をよくご確認下さい。

データ

Webサイト沼津市公式サイト内での興国寺城の紹介
地図GoogleMap
アクセス・JR原駅よりコミュニティバス乗車、『東根古屋』下車すぐ
※コミュニティバスの時刻表はこちら
・JR沼津駅より富士急シティバス『東平沼』方面に乗車、『東根古屋』下車すぐ
※富士急シティバスの時刻表はこちら
開館時刻随時、ただし照明設備はないので夜間は見学不可
休館日なし
入場料無料
備考・トイレは穂見神社近くにあります。
・城内に飲料自販機はありません。

コメント

タイトルとURLをコピーしました