日本三名園の1つである偕楽園に、梅を観に行きました。『今週末頃が見頃』というニュースを水曜に見てすぐあれこれ手配してのドタバタ旅行です。
偕楽園
とりあえず梅の写真を。




好文亭

偕楽園の一角にある好文亭です。徳川斉昭が建てた3階建ての建物ですが、オリジナルは空襲で全焼してしまいました。現在あるものは昭和30年から3年をかけて再建されたものです。
奥御殿
好文亭は本館と奥御殿に別れており、見学順路は先に奥御殿を回るように設定されています。
奥御殿はそれぞれ異なる植物をモチーフにした部屋が並んでいます。
菊の間

桃の間

桃の間は厨(食事の準備をする部屋)として使われていたそうです。
つつじの間

萩の間

紅葉の間は、藩主夫人が好文亭を訪れた際にお付きの女中たちが控えていた部屋です。
紅葉の間

紅葉の間は、藩主夫人が好文亭を訪れた際にお付きの女中たちが控えていた部屋だそうです。
松の間

藩主夫人が好文亭を訪れた際に休憩した部屋です。
竹の間

梅の間

梅の間には床の間や違棚があるなど、他の部屋より格式の高い作りになっています。明治2年から6年までの間、藩主夫人の居室となっていました。また、明治35年には皇太子時代の大正天皇がここに宿泊したこともあるそうです。

現在、床には種梅記の拓本が掲げられています。
桜の間

紅葉の間は、藩主夫人が好文亭を訪れた際にお付きの女中たちが控えていた部屋です。
本館
太鼓橋

奥御殿と本館は、太鼓廊下(中央部が盛り上がったアーチ状の廊下)で結ばれています。
華燈口

太鼓廊下から本館側に接続する最初の部屋です。この先は東塗縁広間で、この2畳ほどのスペースは茶坊主の控えの間としても使われました。

華燈口を東塗縁広間側から観るとこんな感じ。
東塗縁広間

東塗縁広間は本館1階にあり、太鼓廊下を渡った先にあります。この部屋で徳川斉昭が養老の会を主催し、80歳以上の家臣と90歳以上の領民を集めて記念の品を贈ったそうです。
藩主の間

藩主斉昭公が好文亭に滞在した際、客人と面談をした部屋です。竹の橋雷害には装飾らしい装飾もなく、簡素なデザインです。
武者控室(2階)

2階には、斉昭公が好文亭に滞在する際に警護の武士たちが控えていた武者控室があります。三畳しかない小さな部屋です。
楽寿楼(3階)

好文亭3階にある楽寿楼。藩主が偕楽園の眺望を楽しむための展望台のようなものです。三方に開いたつくりで、視界をできるだけ妨げないような構造になっています。
創建当時、内装の竹柱につかわれた竹は、水戸藩と交流の深かった島津藩の島津斉彬から送られた薩摩竹だったそうです。

この方向は梅園や千波湖、天気によっては遠方の山なども見えます。僕が行ったときはちょっと曇り始めてしまっていまいちでしたが。
千波湖
日が陰りはじめたので、見学を終えて駅前まで戻ることにしました。時間と体力に余裕があるので千波湖を通って歩いて行きます。

千波湖の近くには蒸気機関車が保存・展示されています。以前来たときより色が鮮やかになっているような…塗り直したのかな。
せっかくVRカメラを持っているので運転台を撮影。運転士気分。
というわけで10数年ぶりの偕楽園観梅はおしまい。
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