旅行最終日。
台風が接近していて、天候が心配でした。
前日の時点の進路予想だと、帰りに岩手あたりですれ違うのかな…新幹線止まったらイヤだな…危なそうだったらもっと早い便に振りかえて変えるかな…
などと思っていたのですが。ホテルで目覚めると、
雨降ってない。風吹いてない。台風どこ行った。
という状態。どうやら台風は夜のうちに東北地方を突っ切って太平洋へ抜けてしまい、青森の方へは来ない模様。
というわけで、天気の心配なく最後まで過ごせそうです。
まずは、宿泊していたホテルからも近い、八甲田丸へ。
八甲田丸乗船
青森駅前のバスターミナルあたりからだと、八甲田丸までは徒歩5分ほどです。写真は青函連絡船と地上を結ぶ可動橋跡です。函館の摩周丸と違って線路が残されているので、かつて青函連絡船が運行していた頃の姿がわかります。
本当は船がもう数十m後ろに下がって可動橋と接続するのでしょう。
乗船通路。摩周丸と違い、八甲田丸は舟の中にチケット売り場があります。
八甲田丸では、摩周丸ではモニタ映像でしか観られなかった車両甲板や機関室にも入ることができます。
遊歩甲板
青函ワールド
乗船受け付けから階段を上ると遊歩甲板です。主要な展示はこのフロアにあります。
遊歩甲板に上がってすぐ、青函ワールド があります。以前見学したときにはなかった展示です。もとはお台場の 船の科学館 近くに係留されていた フローティングパビリオン・羊蹄丸 の中にあったのですが、羊蹄丸の閉館・売却にともなって八甲田丸内に移設されたのです。
ずっと前、お台場にあった頃にも観たことがあったのですが、また観られて嬉しい限りです。
羊蹄丸内にあったときは全体が『青森港の風景』実物大ジオラマになっていたのですが、八甲田丸では展示スペースの都合か『店舗』ごとにバラしての展示になっていました。
『行商の人たち』
右の人物は有戸あかね(19歳)、朝市のアイドル。父母は洞爺丸台風(台風によって青函連絡船5隻が沈没・2隻が座礁し、あわせて1430人もの犠牲者が出た)の犠牲になり他界。
左奥の人物は有畑はる(62歳)、卵の行商、太平洋戦争で2人の子どもを失っている。あかねのことを自分の娘のように思っている。
…そんな設定があったのかい!お台場で観たときは知らなかったよ!(部屋全体が暗くて説明板に気付かなかったのかもしれない)
『大衆魚菜市場』
とっくみあいを演じているのは湊那美子(38歳)・ぐず男(37歳)の夫婦。どうも、お人好しだが頼りないぐず男が仕入れで何か手違いを起こし、怒った那美子に締められている場面のようです。この場面は音声も流れています(笑)
…すみません泥棒が捕まったところだと思ってました。
これも大衆魚菜市場のセットを飾っていた小道具類のようです。『店舗』の大道具をなくし平面に並べたため置き場がなくなってしまったのでしょう。
羊蹄丸にあったころはこんな状態で展示されていました。ちゃんと店舗建物も再現され、立体的に小道具類が配置されていたのです。
本当に昭和30年頃の港町にまよいこんだような気分になれる、よくできた展示でした。
当時広角カメラや360度カメラを持っていたら大量に写真を撮っていたな…。
『リアカーの親子』
リアカーの傍らに立っているのが鳴沢洋子(33歳)、リアカーの向こうに顔だけ覗かせているのがその娘の花子(3歳)。
洋子は大陸からの引き揚げ者で、いまはリアカーで闇米を駅まで運んでいます。犬は秋田犬の五郎…ってそこまで設定してあるのか…。
『キオスク』
伯養みや子(18歳)。元気溌剌の津軽娘で、地元の産物についてはなんでも知っている…若いのにプロフェッショナルじゃん!店内には新聞や雑誌、名物であるりんごを使った菓子類などが。
これも店舗セットがなくなったせいでキオスクではなく露天商になってしまっています。
時刻表など、駅構内にあった細かい品々。人物などは離れた場所に展示されています。
これも他からあぶれてしまった小物のようです。
これも飾りきれなかった品々のようです。『りんご市場』の看板が目立っていますが、本体は別の場所に再現されています。
『船内食堂』
白い給仕服の人物は酒川菊男(23歳)、船内食堂のボーイ。仕事ぶりは真面目ですが、いまは酔っ払い客にちょっと困っているようです。
奥のテーブルに突っ伏しているのは野辺クートン(48歳)、旅芸人。すっかり酔いつぶれてしまっています。
っていうか、お台場に居た頃から思ってたんだけどさ、君、首の骨が折れてない?
船内食堂のジオラマの先には 青函連絡船シアター があります。青函連絡船の関する動画を観られます。
シアターを出るとまた青函ワールドの続きです。
『焼き芋屋』
店主は復員してきたちょびヒゲさん。歳は42歳くらい、本名は誰も知らない…って裏にどんなドラマがあるんだ…。
それを見つめる子どもは鳴沢武雄(6歳)、先ほどリアカーのところにいた鳴沢洋子の長男です。
『担ぎ屋 シーン1』
重そうな荷物を背負っているのは川代優子(42歳)、その後には息子の勝吾。優子が背負っているのはヤミ米120kg!
巡回の警察官・守屋助蔵は、それがヤミ米(違法物)と気付きつつも、それしか生き延びる術がない親子を思い、敢えて見逃そうとしています。
『りんご長屋』
中央の人物は田名部美子(35菜)、東京大空襲で疎開して、そのまま津軽に落ち着き、りんご市場に店を持つまでになりました。
いまは朝食にじゃっぱ汁(タラなどのアラを野菜とともに煮込んだ汁物で青森の郷土料理)を作っているところで、人形の手元を覗き込むとちゃんと鍋があります。
『切符売り場の親子』
松前洋子(28歳)は娘の松前恵美子(4歳)をつれて連絡船の切符を買おうとしています。
北海道にいる旦那さんのところに行こうとしているのですが、天候のため船が遅延してしまっている…という場面だそうです。
『担ぎ屋シーン2』
左下で居眠りしているのが籠田幸子(48歳)、その後にいるのは青田米子(45歳)。2人とも担ぎ屋です。
ここまで何度か出てきた『担ぎ屋』とは、食糧難な時代、米が比較的豊富な東北から食糧不足の函館へ米を運んでいた人々で、最盛期には300人ほどいたそうです。
右奥ではベテラン赤帽(鉄道駅構内で乗客の荷物を運ぶ係員)の車総助(53歳)。が台車を押しています。
ちょっと雰囲気の違うこちらは、青函連絡船の乗客らしい冬海真知子(31歳)。露骨に『君の名は』(新海誠監督のアニメじゃなくて1950年代に放送されたNHKのラジオドラマ。後に映画化)の真知子をイメージしていますね。そーいえば、当時流行った『真知子巻き』って、『ドラマの登場人物と同じ格好がしたい』という点で、いまのコスプレと似た発想のような気もします。
※真知子巻き=この写真のようにスカーフ/ストールを頭から被って首の周りに巻くスタイル。もとは映画版真知子役の岸恵子さんが私物のストールでこのように頭全体を包んでロケ地の寒さをしのいでいたのが本番でも採用されてしまったらしい。
青函鉄道連絡船記念館
青函ワールドを抜けると、青函連絡船に関する展示室、青函鉄道連絡船記念館 です。
まずは歴代の青函連絡船の写真がずらり。
こちらには青函連絡船のスケールモデルが並んでいます。
手前の船は 祥鳳丸、車両甲板を備えた最初の連絡線です。
奥は 第一青函丸、鉄道車両専用の運搬船です。
手前は渡島丸(2代目)。洞爺丸台風で5隻を失う大損害を受けた青函航路を復旧させるために建造されました。
展示コーナーには青函ワールドの人形の一部があります。駅の風景で、ストーブに当たる乗客などがおかれています。音声デモがあります。
桟橋助役の人形と執務机のジオラマ。ここは音声デモがあり、船舶運航ダイヤをめぐって電話の相手を問い詰めているようでした。
グリーン座席。現在は動画鑑賞コーナーになっています。
こちらは搭載する鉄道などについての展示がありました。
しかしガラガラだな…台風で荒れる予報だったからかな…それとも平日午前だからかな…。
客室でしょうか、奥のベッドには飾り毛布がおかれています。
事務長室。実はこの部屋は真っ暗で肉眼ではなにも見えなかったのですが、カメラの性能のおかげで中の様子がわかりました。
船長室。ベッド、執務机などがみえます。船ではスペースが限られるので、個室があるのは船長だけ…ということが多いようです。船長が寝泊まりする部屋という以外に、来客を迎えるための応接室を併せて備えていることも多いです。
船長室に隣接する『サロン会議室』。
航海甲板
操舵室
操舵室(船橋)に上がってきました。基本構造は摩周丸と同じです。
操舵室全景。
操船のためのレバー、ハンドルなどが集中している操作卓。レイアウトは摩周丸とだいたい同じようです。
レバーは動かせますが、摩周丸と違い動かしても特に何も反応しません。
操舵室の後ろに神棚があるのも摩周丸と共通しています。
通信室。八甲田丸では中には入れないので入口から撮影。
操舵室の端には八甲田丸の号鐘が展示されています。
船長?が遠藤憲一さんにしか見えないんですが。
船橋に設置されている双眼鏡を覗くと、青森港に停泊している船が見えます。
甲板と煙突展望台
開館直後は台風警戒で閉鎖になっていた甲板がちょうど開放されました。操舵室横から甲板に出られます。やや風はあるものの、乗船時には雲に閉ざされていた空も晴れて、甲板を歩くのが気持ちいいです。
これも摩周丸にはない八甲田丸の特徴ですが…なんと煙突のてっぺんが展望台になっています。
展望台までは、煙突の中を通って上っていきます。煙突は全体が単一の『煙の通る筒』なわけではなく、このように各エンジンからの排気管が束ねられた構造になっています。
煙突展望台。周囲にはちゃんと柵があるのですが、甲板より風が強く感じられて少々恐いです。
煙突展望台からはぐるっと360度を見渡すことができます。高い建物があまりないのでかなり遠くまで見えます。
八甲田丸からアスパム方面。アスパムは三角形の板状という独特の形をしたビルですが、八甲田丸からだとほぼ真横から観る角度のため、ただの細身のビルに見えます。
車両甲板
八甲田丸は車両甲板も見学できます。前に来たときより照明が充実して明るくなったような…
まずはヨ6000、貨物列車の車掌専用車です。
こちらはスユニ50、国鉄時代の郵便車の最終型です。車両の製造は昭和52年(1977年)ですが、昭和61年(1986年)に鉄道郵便が廃止されたため郵便車も使われなくなりました。
DD61ディーゼル機関車。低規格線(線路状態のよくない線区)に入線できるように軽量化した機種です。
キハ82、特急用のディーゼル車両で、昭和36年(1961年)の製造。
ヒ600貨車。連絡線に車両を出し入れする際、可動橋にかかる荷重を小さくするために機関車と車両の間に連結した貨車です。
DD61とキハ82を別角度から。車両の格納の様子がよくわかります。
左上に見えている階段を上るとチケット売り場のすぐ近く(見学路出口)に出ます。
自動連結器つき車止め。
車両甲板後部。初期方向前方にはDD61とキハ82、後方には船尾の車両甲板扉があります。
第2甲板
車両甲板からさらに階段を下りて下層へ。見学路の説明では岸壁の線路と接続していた車両甲板を『1階』とし、ここは地下1階と表示されています。
機関室
機関室。
船の大きさに較べて意外にエンジンが小さいように思えますが、これは車両を格納するスペースをつくるために小型のエンジンを4基並列に並べて高さを抑えるようにしたためです。エンジン1基の出力は1,600馬力、スこれがクリュープロペラ1軸につき4基、左右両弦で2軸あるので合計8基のエンジンが搭載されています。
統括制御室
総括制御室。
機関・補助機器の制御・監視・計測を行える部屋で、操舵室に次ぐ船舶の『もう一つの頭脳』ともいえます。機関室の隣ですが、防音と冷暖房が整い、快適な環境だそうです。
摩周丸でもモニタ越しに観られましたが、機材のレイアウトはほぼ同じようです。
発電機室
発電機室。
八甲田丸には主発電機700kVA×3台、主軸駆動発電機900kVA×1台、補助発電機70kVAが備わっており、船内の電気の需要を賄っています。
この後、再び車両甲板を経由しつつ二層上ると乗船受付脇に出て見学コース終了です。
船外
下船して船首付近を。八甲田丸は多数の太いロープで固定されています。
近くには津軽海峡冬景色の歌謡碑があります。近くに人が来ると自動的に津軽海峡冬景色が流れます。しかもフルコーラス(笑)
というわけで、八甲田丸の見学は終了。
あー楽しかった!
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