浪岡城・青森中世の館から三内丸遺跡に移動します。
三内丸山遺跡に到着。青森駅前または新青森駅前よりバスでアクセスできます。今回は新青森駅より観光スポットの巡回バス『ねぶとん号』で移動しました。
縄文のムラ
では早速、縄文のムラ(遺跡復元エリア)を観に行きます。縄文のムラは屋外ですが、縄文時遊館(展示棟)の中からしか行けません。
シアター
と、その前に。シアターで遺跡の紹介動画を観られるというので、先に観ていきました(一周数分程度)。ナレーションの声、聞きおぼえがあるな…と思ったら、2022年9月時点で放送中の『異世界迷宮でハーレムを』でヒロイン役の三上枝織さんですね。地元・青森県のご出身なんだそうです。
時空トンネル
ここが連絡通路入口です。
連絡通路入口には三内丸山遺跡の復元ジオラマがありました。広大な領域に多数の建物があったようです。縄文のムラとして建物が復元公開されているのは、このジオラマの左手のあたりですね。
連絡通路、通称『時空トンネル』です。
時空トンネルを抜けると、今までとはまったく違う景色が観られます。竪穴式住居が多数並ぶ、縄文時代の村を再現した風景!周囲を樹木で囲まれ、現代の町の風景がほとんど見えないようになっています。
大型竪穴建物
復元建物群のなかで、特に目立つ物が2つ。まずはそのうちの1つ、大型竪穴建物へ。
形は歴史の教科書で見慣れた竪穴建物を細長くしたような感じなのですが、とにかく大きい!長さ32m×幅10mの東西に細長い長円型で、縄文時代中期後半(紀元前約2,800年)のものだそうです。5000年も前にこんな大型建築があったとは驚きです。
建物は巨大ですが入口はそこまで大きくないですね。この竪穴建物には南側の両端に1つずつ、北側の中央部に1つの合計3つの入口があります。
中も広いです。竪穴の深さは階段6段分(1m程度)、床面積は250㎡、日本最大の竪穴建物です。天井も高く、現代成人がまっすぐ立って歩き回れます。この大きな建物は集会場・共同作業場として使われていたと考えられています。
石を丸く並べた場所がありました。ここで火を焚いたのでしょうか?
大型掘立柱建物
もう1つ、大型掘立柱建物。これにはまた驚き。佐賀県の吉野ヶ里遺跡公園で三階建ての建物を見たときにも驚きましたが、それより古い縄文時代にこのような高い建物があったとは。一階層4mほどなので、一番上の床(4階)の高さは12m、柱の高さは15m程度あります。高さについては、その長さの柱が見つかったわけではなく、柱穴の底にかかっていた圧力の分析から推定されたものだそうです。
クリ材の柱は3×2の6本、縦横ともに約4.2mのほぼ等間隔で並んでいます。柱を固定する穴の深さは約2mだそうです。
復元された大型掘立柱建物のすぐ近くに、このようなドーム型の建物があります。実はこちらが大型掘立柱建物の本物の柱跡が発見された場所で、保護のためにドームで覆ってあるのです。
ドームの中も見学できます。遺構の保護のため温度や湿度が制御されています(そのためドアを開けっ放しにしないように張り紙があります)。
穴を覗くと底に柱の断片が見えます。多分これはレプリカで、本物は展示室にあります。
盛土
盛土というのは、炭・石器・壊れた土器などが長期間にわたって捨てられ、小山のようになっていた場所です。北盛土、南盛土の2箇所が展示されています。
こちらは北盛土です。大型掘立柱建物柱跡と同様、保護のための建屋の中にあり、発掘調査されたままの状態を通路から見下ろすようになっています。一面に土器の破片を敷き詰めたように見えますが、これらは地面の上に敷き詰めているのではなく、その下に何層も土器の破片などが積み重なっています。これらは縄文時代中期(紀元前約3000年)のものだそうです。
こちらは南盛土です。ここも北盛土と同様、壊れた土器などを捨てていた場所です。土偶も多く見つかっているそうです。北盛土とちがって、断面が見えるようになっています。
子どもの墓
掘立柱建物柱跡よりこぶりな建屋では、子どもの墓の遺構が見学できまます。
他の保護建屋の中と同様、発掘調査状態そのままで保存されています。
子どもの遺体は土器に収めて埋葬されたのだそうです。埋葬用に使われた土器は、煮炊きに使用する土器と区別をつけるためか、穴があけられたり底が壊されたりしているのだそうです。
お馴染みの復元建物
掘立柱建物が並んでいます。地面に床の痕跡が見つからなかったことから高床式の建物として復元されています。
みんな知ってる竪穴式住居。入口に『縄文の家づくり ○○小学校四年生』と書かれていたので、学習イベントかなにかで作られたもののようです。
縄文パノラマビュー
『縄文パノラマビュー』と題して、高所作業車で縄文のムラ全体を見下ろす、というイベントをやっていました。申込制でしたが次の枠(30分後)にまだ空きがあるというのでその場で参加券ゲット!
…30分後、ヘルメットと高所作業用の安全帯を身につけて作業台に乗り込みます。
高所作業車の台は約15m。大型掘立柱建物・大型竪穴建物・発掘現場の保護建屋など、縄文のムラが一望できます。普通では見られない景色です。
大型掘立柱建物の柱のてっぺんとほぼ同じ高さなので、最上階の床まで見えています。
反対側を振り返ると、地上からでは見えない東北新幹線の高架が見えます。ちょうど新青森にむかう列車が通過中です。
とても面白い体験だったのですが、この体験イベントが開催されている期間・曜日などは判りませんでした。
縄文時遊館
時空トンネルを通って縄文時遊館に戻り、展示室『さんまるミュージアム』を見学します。
展示室1
展示室1。発掘品が展示されています。この部屋だけでもみどころがたくさん。
目玉展示の1つ、大型板状土偶です。この写真だと対比物がないのでこの写真だと大きさが判りませんが、高さ30cmくらいあります。首の部分に割れ目が見えますが、実は頭部と胴体は90mも離れた場所で発見されたのだそうです(よくセットだと気付いたな…)。
石槍と石鏃。左の大型の石槍は赤みがかった黒曜石(写真だと真っ黒にしか見えませんが)でできていて、材料はなんと北海道の白滝付近で産出されたものだそうです。
そしてこれが、最大の目玉展示である編籠、通称『縄文ポシェット』です。完全な籠の形で残っているのは全国でこれ1つしかないそうです。ヒノキ科の樹皮を編んで作られたもので、発見時には中に胡桃の殻が入っていたそうです…って手前に置いてあるのがその胡桃かな。
石器のような固いものならともかく、樹皮でできたものが数千年を経てもなお編み目までくっきり残っているのには感動すら覚えます。それほど大きなものではありませんが、これを生で見られただけでも来た甲斐がありました。
展示室2
こちらの部屋は、縄文時代の生活を解説する展示ですね。手前には釣り、その奥には弓矢での狩猟の様子を表す等身大の人形が展示されています。
実は弓矢で狙っている先にはちゃんと獲物の姿があったりします。
土器ステージ。コップ大のものから、大きな壺まで様々な土器が並んでいます。ところで近くの説明板で『円筒土器』の英訳が『Ento pottery』になってたんですが、Entoって英語で通じるんでしょうか…。
壁一面の地層標本展示。地層標本自体は歴史博物館でよく見ますがここまで大型の物は珍しいですね。ところどころに土器の破片が見えます。
竪穴式住居内での生活の様子を表した大型(実物大?)模型。
中の様子。食事の仕度をしているようです。
縄文ビッグウォール、収蔵庫
さんまるミュージアムをでて、縄文時遊館のさらに奥へ進むと、地下に降りる階段があります。
階段の横の壁は全面に5120個もの土器が埋め込まれた『縄文ビッグウォール』という展示になっています。高さ6m、幅は10m以上ある大型展示です。
なかなか見応えがあるのですが、『さんまるミュージアム』の展示室とは別の場所にあるためか、こちらには人がほとんど来ないようです。
縄文ビッグウォールの向かいには一般収蔵庫があります。全面ガラス張りで、中を覗くと高さ4mもある棚の中に無数の土器が納められているのが見えます。
収蔵庫の手前に並んでいるこれは、大型掘立柱建物の木柱です。6つあった柱穴のうち4つから木柱が発見され、そのうち3つがこの収蔵庫に展示されています(もう1つはさんまるミュージアムの展示室にあります)。直径70~90cmのクリ材で、穴の底面に接していた側が見えるように上下逆さまにして展示されています。
これで一回り。非常に見応えのある施設でした。縄文時遊館内には他にミュージアムショップやレストランがあります(レストランについては別記事に)。
データ
Webサイト | 三内丸山遺跡公式サイト |
地図 | GoogleMap |
アクセス | JR青山駅よりバス『三内丸山遺跡』行きに乗車、『三内丸山遺跡前』下車徒歩すぐ JR青山駅・新青森駅よりバス『ねぶとん号』に乗車、『三内丸山遺跡前』下車徒歩すぐ |
開館時間 | 09:00~17:00(GW、6/1~9/30は09:00~18:00) |
休館日 | 毎月第4月曜(祝日の場合は翌日)、年末年始 |
入場料 | 大人410円、高校生・大学生200円、中学生以下無料 ※特別展は追加料金 ※青森県立美術館の当日のチケットがあると大人330円、高校生・大学生160円 |
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