桜島/溶岩なぎさ公園~なぎさ遊歩道

溶岩なぎさ公園

桜島ビジターセンターから、すぐ近くの溶岩なぎさ公園へ。

溶岩なぎさ公園は、桜島東部・鹿児島市街のむかいにある海辺の公園です。桜島港フェリーターミナルから徒歩10分、桜島ビジターセンターからはすぐ目の前です。

広大な芝生広場と、南側には長さ100mもある巨大足湯もあります。

初めて観ると笑いがこみ上げてくるほど長い足湯。いったい何人が同時に浸かれるんでしょう?地下1,000mから沸き出す天然温泉で、筋肉痛・関節痛・疲労回復の効能があるそうです。旅行初日から毎日長距離歩き続けた僕にピッタリ(笑)。しっかり浸かってきました。僕の汚い足なんぞお見せするものではないので写真はありませんが。

全身浸かりたい場合は、近くに同じ源泉の温泉施設もあります。CUTEで入場料が割り引きになるのだったかな?

溶岩なぎさ遊歩道

溶岩なぎさ公園と烏島展望所を結ぶ溶岩なぎさ遊歩道。海沿いに伸びる約3kmの道です。公園側の入口は足湯の近くです。

遊歩道のあちこちで、このような黒くゴツゴツした溶岩を観ることができます。

歌碑

遊歩道沿いには多数の歌碑があります。

高濱年尾たかはま としお熔岩らば色を 重ねてりて 冬ざれて』

桜島ビジターセンターの展示室でもみたように、熔岩台地は噴火から数十年にわたって不毛な状態です。この歌が詠まれた1953年は大正時代の大噴火から40年弱、まだまだ黒く荒れた岩の大地が広がっていたのかもしれません。

高濱年尾は高浜虚子の長男で1900年生まれ。『年尾』は正岡子規の命名なのだそうです。1959年より俳誌『ホトトギス』を主催しました。桜島を何度も訪れていたそうです。この碑の書も本人の自筆だそうです。

文学作品では『熔岩』を『らば』と読ませる例はけっこうあるようなのですが、これは熔岩(溶岩)を表す英単語 lava から来ているのでしょうね??(※後の藤後左右の項を参照)

金子兜太とうた『黒い桜島 折れた銃床じゅうしょう 海を走り』

金子兜太は1919年うまれ、現代俳句協会名誉会長を務めた人です。

初めて訪れた桜島で朝日を背にした逆行の島の姿を観たとき、錦江湾に折れた銃床が走るように見えた…ということから詠まれた句だそうです。銃床とはライフルなど肩に当てて安定させて使う銃の肩に当てる部分のことです。桜島の姿から『折れた銃床』を思い浮かべるとは、戦場、しかも敗色の濃い戦場にいた体験が強く影響をあたえていることは間違いないでしょう(中尉としてトラック島に赴任し、戦後は1946年11月まで捕虜となっていたそうです)。

横山房子ふさこ『マグマあかく溢れて 梅雨の月』

横山房子は1915年うまれ、俳句雑誌『自鳴鐘』を横山白虹から引き継ぎ主催しました。ちなみに『自鳴鐘』は本来『じめいしょう』と読み機械時計のことを表しますが、誌名では『とけい』と読ませていたそうです。

句にある『マグマ湯』とは桜島に湧く温泉の湯のことで、地下1,000mから組み上げられた湯は鉄分を含んで褐色です。

角川照子『火の島の 左右さうに紫 春の暁』
角川春樹『地に垂りて いよいよあをき さくらかな』

角川照子は1928年うまれ、俳誌『河』を夫・角川源義げんよしから継承して主催しました。角川春樹は照子の長男で、照子の没後に『河』を主催しました。角川書店の社長を務め、後に角川春樹事務所を設立して多くの小説を出版する一方、映画制作者として『セーラー服と機関銃』『探偵物語』『男たちの大和/YAMATO』など多数の映画を世に送り出しました。

角川照子の『火の島の~』の苦は対岸のホテルからの眺望を詠んだもの、角川春樹の『地に垂りて~』の苦は桜を詠んだものだそうです。

藤後左右とうご さゆう『夏山と熔岩らばの色とはわかれけり』

藤後左右は1908年生まれ。医師でもあり、志布志に内科病院を設立しました。

この句は昭和5年(1930年)に詠まれたものだそうです。大正の大噴火からはまだ15年、熔岩の流れた地区ではまだ植物がほとんど見られず、荒々しい岩の台地だった時期だろうと思います。『熔岩の色』とはそんな熔岩の黒々とした大地のことで、それに対する『夏山』とは大正の噴火で熔岩の流れなかった地域に生い茂る樹木の濃い緑のことですね。黒と緑、不毛と生命のコントラストが目に浮かぶようです。

はい、ここで先ほどの答合わせができました。『熔岩』に『ラバ lava』という英語(または独語)の単語の読みを当てて俳句に用いたのは藤後左右が最初なのだそうです。

水原秋桜子しゅうおうし『さくら島 とどろき噴けり 旧端午』

水原秋桜子は、ここまで見てきた句の作者達の中でいちばん早い1892年生まれ。中高の教科書にも載っているレベルの有名俳人です。産科医師でもあり、昭和医学専門学校(いまの昭和大学)の教授として教鞭を執り、また宮内省侍医として皇族の子供をとりあげました。

この句は昭和43年(1968年)の噴火を詠んだものだそうですが、噴火への恐怖や噴火後の不毛の大地の寂寥などを歌ったものではなく、轟く噴火音の力強さを、男子の成長を祈願する端午の節句と重ね合わせたもののようです。

烏島展望所

そして溶岩なぎさ遊歩道の終点、烏島からすじま展望所に到着。ちょうど1時間かかりました。

また雲が厚くなってきて眺めはイマイチなんですが…。

実はこのあたりは、かつては烏島という別の島でした。烏島は当時の海岸から500m沖にあり、高さ20m・周囲500mの無人島でしたが、大正の大噴火で熔岩に埋もれ、桜島の一部となってしまいました。この碑はかつての烏島の位置を表すもので、『烏島この下に』と刻まれています。

烏島展望所前からまたサクラジマアイランドビューに乗車して、次は赤水展望広場にむかいます。

データ

溶岩なぎさ公園

Webサイト桜島観光ポータルサイト『みんなの桜島』内の紹介
地図GoogleMap
アクセス・桜島港フェリーターミナルより徒歩10分
・サクラジマアイランドビュー 桜島ビジターセンター下車、徒歩1分
営業時間広場は入場自由、足湯は09:00~日没
入場料無料(足湯も)
備考近くの観光用駐車場を利用可能
飲料自販機なし(ビジターセンター前までいけばある)
トイレあり

烏島展望所

Webサイト桜島観光ポータルサイト『みんなの桜島』内の紹介
地図GoogleMap
アクセスサクラジマアイランドビュー 烏島展望所 下車すぐ
営業時間入場自由
入場料無料
備考駐車場あり
飲料自販機なし
トイレあり(駐車場)

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