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鞠智城 2

温故創生館

まずは駐車場入口からすぐのところにある温故創生館(展示館)を見学します。入場無料、なんと御城印まで無料で貰えました。もちろん続100名城スタンプもゲット。

展示の前に、鞠智城を紹介するビデオを鑑賞。僕1人のために上映してくれました…。

1階の中央に上映室があり、展示室はその周りを囲むコの字型になっています。

最初のエリアでは、まずこの鞠智城のジオラマをよく観て全体の構造を頭に入れておきます。いまいる温故創生館はこの写真の右端、土塁線や門跡なども含めた全体を見学する場合はかなり山道を歩くことになりそうです。

こちらのコーナーには出土品などが並んでいます。

なかでも目を引くのは、この百済系菩薩立像でしょう。鞠智城内の貯水池跡から出土したもので、左が出土状態のレプリカ、右が新品の状態に復元したものです。

こちらのコーナーには鞠智城の復元建物(八角鼓楼・米蔵・兵舎)の模型が並んでいます。あとで実物も観られます。

展示室の最後には、百済や新羅の様式の装飾品が展示されています。鞠智城が作られたのと同じ7世紀頃のだそうです。

温故創生館2階は休憩・展望室になっているようです。

長者原地区

待っていても雨が止みそうにないので、傘をさしての見学開始。

まずは復元建物のある平坦な長者原地区から。

温故創生之碑

駐車場の傍らにある温故創生之碑。古代の防人や巫女、貴族をイメージした像が並んでいます。

八角形鼓楼

鞠智城のシンボル的存在の八角型鼓楼は3階建て(高さ15.8m)の建物です。国内の古代山城では他に例を見ない独特の存在です。古代にこんな大きな建物が作られたとはなかなか信じられないのですが、法隆寺の五重塔も同じ時代の建築で高さは倍、しかも現存してますね…。

この鼓楼は、実はなんのための建物か判っていないそうですが、鼓の音で時刻や緊急事態を知らせるための存在と想像されることから『鼓楼』と名付けられています。

中に立ち入ることは出来ず、入口から覗くだけです。1階部分はこのように柱だらけで、何らかの用途に使えるようには思えません。よく観ると中心部にハシゴがあります。

天井を見上げると非常に複雑に木が組み合わされています。

米蔵

八角型鼓楼の近く、大きな荷重に耐えられる礎石と大量の炭化した米が発見されたことから、ここには米蔵があったと考えられました。

間口4間×奥行き3間(9.6×7.2m)、高床式校倉造りの建物です。

※ここでいう『けん』は長さの単位(=6尺≒1.8m)ではなく、『柱と柱の間』のことです。つまり『4間』なら『柱が5本並んでいる』という意味です。長さは不定で、1つの建物の中でさえ場所や方向によって『1間』の長さが異なる場合があります。

ここも内部には入れないので入口から覗くだけですが。

床下。屈めば大人でも入れそうなほどの高さがあります。地面を観ると、柱一本一本を礎石が支えているのが判ります。

兵舎

ここには側柱(柱穴が建物の外壁部分だけにある)の掘立柱建物跡は、土間床の比較的大きな建物が発見され、兵舎として復元されました。10間×3間(26.6×7.8m)、板吹き屋根です。

この建物の中に展示室があると聞いていたのですが、なぜか今日は中に入れませんでした。

板倉

板倉。間口3間×奥行き4間(6.9×12.0m)の掘立式建物で、兵舎に近いことから武器庫であったと考えられています。かやぶき屋根、柱に溝を掘って板を挟み壁を作る独特の技法で建てられています。

残念ながらこの建物も中は観られず。

礎石群

復元された建物はここまでに紹介した4棟だけですが、広場には他にも多数の建物跡・礎石が観られます。

貯水池跡

『貯水池』と言っていますが単に水を溜めてあるだけではなく、水につけて材木を保管するなどの機能があったようです。写真中央に池が写っていますが、実際には高低差のある土地に堤防をつくって複数の池を配置した段々畑のような形状で、総面積は5300平方メートルもありました。

この周辺からは温故創生館で観た菩薩立像をはじめ、多数の遺物が発見されているそうです。

ここまでの見学なら、舗装されたほぼ平坦な道(貯水池だけすこし坂道を下る)を歩くだけで、見学所要時間は資料館を別にして30~60分程度でしょう。

次の記事では体力勝負に(笑

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