新発田城

新潟旅行3日目は、日本100名城31番の新発田しばたです。登城60城目です。

(現地の案内板より)

いざ登城

JR新発田駅から新発田城にむかいます。徒歩20分くらいの距離で、要所要所に案内板があるので迷うことはないと思います。

写真は警察署、裁判所、検察庁が並ぶ道です。このあたりに大手門・大手櫓があったとのこと。

新潟地方裁判所・新潟家庭裁判所のあたりは、かつて家老屋敷だったそうです。

裁判所の前には布団掛けの松があります。享保4年(1719年)に大火事が発生した際、城下でも評判の松を守ろうと布団を掛けて水を撒き木を守った…というエピソードがあるとか。推定樹齢350年だそうです。

新発田市の文化会館。このあたりが三の丸です。

本丸表門に到着しました。江戸時代から残る貴重な建築です。

開門は9時なのですが、まだ8時…早く着きすぎました。1時間待ちです。
というわけで、先に外から見られる部分を見てまわることにしました。幸いなことに御三階櫓・旧二の丸櫓・辰巳櫓の3つの櫓はすべて敷地の外から見ることが出来ます。

二の丸の西~南の一部のエリアは新発田城址公園になっています。ここは24時間立ち入り可能です。

公園北端からは御三階櫓がみられます。御三階櫓は実質的に天守だった櫓です。明治7年(1874年)に一度破却されましたが、2004年に復元されました。

切り込みハギの石垣(石を四角形に加工して隙間なく並べたもの)、海鼠壁(壁に平瓦を貼りつけ、目地に漆喰を盛り上げた形式。防火の効果がある)、そしてなにより屋根に乗った鯱が丁字形に3つ並んでいるのが外観上の特徴です。

残念ながらこの御三階櫓が建っているのは自衛隊駐屯地の敷地の中のため、中に入ることはもちろん、これ以上近づくことも出来ません。

判りやすいように3つの鯱をアップにしました。こんな形の屋根は他で観たことがありません。

これも公園側から、旧二の丸隅櫓です。二の丸の櫓を本丸西南隅の鉄砲櫓の跡に移築したもので、場所は移されていますが建物自体は江戸時代の現存建築です。

今度は本丸南東側より。
手前にある櫓は辰巳櫓、復元建築です。隣に表門、奥に旧二の丸隅櫓が見えます。

表門とその周辺

9:00、開門!
この表門は現存建築、享保17年(1732年)に再建されたものです。破損した時期はハッキリしないようですが、享保10年(1725年)に大雨で本丸の石垣が崩壊したという記録があるのでその時ではないか、という説があるとのこと。

入ってすぐのところで100名城スタンプゲット、これで新潟コンプリート、日本の東半分が完了!

2階

ここから表門の2階に入ることができます。

中は資料展示室になっています。

新発田藩の歴代藩主の絵があるのですが、なかでも注目したのは10代目藩主の溝口直諒みぞぐち なおあきです。なんと日の丸を日本の国旗にするよう提案したのはこの人だそうです。

外からだと判りにくいのですが、表門にも石落としがあります。

表門2階から本丸を見下ろしています。
ほんの2,30mほどさきにある塀までが一般公開範囲で、その向こうは自衛隊の基地です。
幅はこの写真では判りませんが、旧二の丸隅櫓から辰巳櫓まで、100mくらいでしょうか。

表門2階から外側を見下ろしています。内堀にかかる橋は、かつては木橋でした。

その他表門周辺のいろいろ

表門の東端下より旧二の丸隅櫓の方を観ています。この写真に写っている範囲が公開範囲のほとんど全部です。狭いようですが現存・復元の2つの櫓と表門の中に入れるため、案外見られるものは多いです。

表門には実物大の鯱の模型が展示されていました。

初代藩主、溝口秀勝の像です。

あまり目立たないのですが、表門から辰巳櫓の方に少し進んだところに石垣の積み方のサンプルがあります。ただ金網だとちょっと見難いですね。ポリカーボネイトなど透明な樹脂パネルにして欲しいです。

辰巳櫓

外観

辰巳櫓は本丸南東隅にある二重櫓です。平成16年(2004年)に古写真などの資料に基づき木造・伝統的手法によって復元されました。各面がほぼ東西南北を向いていて、入口は北側です。

本丸の外側から見ると辰巳櫓には窓や石落としがあるのですが、本丸側から見ると窓もないのっぺらぼうな建物です。また三重櫓や旧二の丸隅櫓と異なり、海鼠壁になっていません。

かつて辰巳櫓は、赤穂義士として有名な堀部安兵衛の父親・中山弥次右衛門なかやま やじえもんが管理責任者でした。天和3年(1683年)に辰巳櫓は失火により焼失し、弥次右衛門はその責任を負って藩を追われたという説があります。弥次右衛門にとっては悲劇ですが、この事件がなければ安兵衛は中山安兵衛として赤穂とは無縁のまま新発田で暮らしていたのかも知れません。

1階

辰巳櫓、1階。
奥と左(南側と東側、本丸の外に向いた壁)には窓があって、右(西側)は南の端に1つだけしか窓がありません(この写真だと柱で隠れています)。

床の一部がガラス張りになっており、床下の礎石が観察できます。

壁沿いには鯱や鬼瓦が展示されています。

外側の辺には石落としもあります。

2階

2階にも上がれます。2階は東・南・西には窓がありますが、北(入口と同じ側)には窓がありません。

辰巳櫓復元にあたって新たに製作された棟札が展示されていました。
棟札の横に置かれている木箱は、辰巳櫓復元を求める署名活動で使用されたものだそうです。

旧二の丸隅櫓

外観

旧二の丸隅櫓はもとは二の丸北部にあった二重櫓です。三重櫓と同じく海鼠壁になっているのが外観上の特徴です。寛文8年(1668年)に大火で焼失、その後再建されたものが昭和時代まで現存していました。昭和34年(1959年)に開始された解体修理で、現在地(本丸鉄砲櫓跡)に移築されました。国の重要文化財に指定されています。 

1階

1階。旧二の丸隅櫓も、本丸の外側を向く正面(南西側)と左手(南東側)の壁にしか窓がありません。辰巳櫓と構造は似ていますが、電気照明がないので薄暗く、柱が古く黒ずんでいるので雰囲気はかなり違います。

2階

2階、右が南西側、左が南東側の壁です。

2階も北西側・北東側の壁には窓がありません。展示されているのは上棟式(新築の儀式)に使われた道具です。

旧二の丸隅櫓2階の屋根部分です。梁が途中で切れているのは耐震構造の一種ではないかと考えられています。

その他

旧二の丸隅櫓から表門まで石垣の上を歩くことができます。

安兵衛茶屋

表門と堀を挟んだ向かいは公園になっています。
堀部安塀の像と、土産物や飲み物などを売っている安兵衛茶屋があります

堀部安兵衛の像。
堀部安兵衛は新発田の生まれですが、その後高田馬場で決闘して赤穂の家臣になって江戸で仇討ち。交通事情の悪い時代に日本中を飛び回りました。

新発田城から少し離れて、蕗谷虹児記念館の裏あたりですが、この盛り土は三の丸の土塁の名残なんだそうです。

データ

Webサイト新発田市観光協会サイト内の新発田城紹介
Google Map新発田城
アクセスJR新発田駅より徒歩20~30分
100名城スタンプ辰巳櫓内
開館時間09:00~17:00
休館日12~3月
入場料無料

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