山陽・山陰旅行第1日。総社から伯備線で倉敷へ向かい、山陽本線に乗り換えて、福山へ。
というわけで、午後は日本100名城71番の福山城です。登城78城目です。
福山城について
歴史
福山城は、江戸時代初期に西国の外様大名に対する抑えとしてこの地に入封した水野勝成が築城、元和8年(1622年)に完成しました。この時、元和5年(1619年)に廃城となっていた伏見城の部材が多く用いられ、月見櫓・御殿・鉄御門・多門櫓などが移築されたと言われています。
元禄11年(1698年)、5代藩主・水野勝岑が跡継ぎを残さずに早世してしまったため(まだ満1歳ちょっとの幼児だった)福山城は幕府の直轄地となります。元禄13年(1700年)に松平忠雅が入封しますが10年後の宝永7年(1710年)に移封、その後阿部正邦が入封、幕末まで阿部氏が福山藩主でした。
慶応4年(1868年)に新政府群の攻撃により一部損傷しますが全面攻撃の前に恭順。明治6年(1873年)の廃城令で本丸以外の敷地や建物は売却され、外堀も埋められてしまいます。本丸は福山公園となり、とりあえず本丸内の建物は破壊を免れますが、太平洋戦争中の爆撃で天守をはじめ多くの建築が焼失しました。
構造
標高20mの丘陵に本丸を築き、それを二の丸・三の丸で囲む輪郭式の平山城です。
現在は本丸に天守をはじめ複数の櫓が復興されています。
いざ登城
JRのホームより。福山城は日本100名城の中でももっとも他地方からアクセスしやすい城の1つです。なにしろ新幹線停車駅のホームからすぐ目の前に櫓が見えるほどの距離です。駅を出たらすぐ前に城址公園の入口があります。
本丸
現在の建築物の配置は、冒頭の図よりこの図の方が判りやすいでしょう。
伏見櫓
登城路を登っていくと真っ先に目に入るのは伏見櫓、三重三階望楼型の大規模な櫓です。伏見城から元和6年(1620年)に移築されました。他の櫓については移築されたことは『そういう伝承がある』というレベルの話にとどまっていますが、伏見櫓だけは解体修理の際に部材に墨書きが発見されたことで移築が裏付けられています。
廃城令や爆撃による破壊を免れ、福山城の櫓としては唯一の現存建築で、国の重要部下剤に指定されています。原則として内部非公開ですが、年に1回程度の公開されることがあるそうです。
筋鉄御門
続いて、本丸の正門である筋鉄御門、大型の櫓門です。扉や門柱に筋状の鉄板を打ち付けてあることから『筋鉄』の名で呼ばれています。現存建築で国の重要文化財に指定されています。
本丸南部からの眺めをVRで。
鐘櫓
本丸西南に位置する櫓です。鐘撞堂の下に細長い1階部分があり全体がL字型になっているという奇妙な形状をしていますが、これは度重なる改造により原形を止めていないようで、現存建築と言っていいものかどうか判りません。
タイマー仕掛けで1日4回鳴るそうです。次は18時、ちょっとそれまで待っていられないので音は聞けませんでした…。
御湯殿
元の建物は太平洋戦争中の爆撃で焼失。昭和41年(1966年)に再建されましたが詳細な資料がなかったため本来の姿とは異なると思われます。元の建物は伏見城からの移築だと言われています。なお、名前に反して中に『湯殿』がありません。
帯曲輪側から見ると、このように建物の半分が外に飛び出しています。
月見櫓
二層二階の櫓です。伏見城から移築されたと言われています。元の櫓は明治時代に取り壊され、同じ位置に葦陽館という建物が建てられますが空襲で焼失。現在あるものは昭和41年(1966年)に鉄筋コンクリートで再建されたものです。外観は元のものとかなり異なっているようです。
現在は貸出可能な施設のようです。
鏡櫓
元の櫓は明治時代に取り壊され、現在あるものは昭和48年(1973年)に鉄筋コンクリートで再建されたものです。建物の形状は元のものとは異なります。内部は文書閲覧館となっていて見学者の入場も可能ですが、残念ながら休館日だったようです。
黄金水
福山城で唯一現存している井戸です。
庭園
本丸にある小規模な庭園。時期的にあまり緑が鮮やかではないのでイマイチ見栄えがしません…
天守
五重五階層塔型の天守です。明治時代には破壊を免れましたが昭和20年(1945年)に空襲で焼失。昭和41年(1966年)に鉄筋コンクリートで再建されましたが、元の姿とは異なる姿となってしまいました。現在、建物内は博物館となっています。
博物館の展示物は残念ながら撮影禁止でした。
展示内容は、
地下階:福山城関係資料
1階:江戸、斤・現代の福山
2階:江戸時代の福山(阿部藩)
3階:江戸時代の福山(水野藩)
4階:中世の福山
中4階:原始・古代の福山
最上階:展望台
でした。
地下階の蝋人形がちょっと不気味だったのと、3階?にあった軍の配置図が興味深かったです。
最上階の展望台からの眺めは撮影可だったので、南側の本丸を。湯殿、鏡櫓、福山駅が見えています。
北側(福山駅と反対側)を見下ろすと、天守の礎石が見えます。
二の丸
本丸北西にあった門から二の丸へ降りてみました。
先ほど天守から見下ろした天守の礎石です。二の丸に移設されています。けっこう重要な遺構のような気もするのですが近くには説明の看板もなく、囲いもなく…。
二の丸というか、狭い帯曲輪のような感じですが、提灯は花見向けでしょうか。もうそろそろ桜も咲く時期だし。
二の丸南西部には、幕末に老中として日米和親条約を結んだ福山藩7代藩主・阿部正弘の像があります。
二の丸から鐘櫓のあたりを見上げています。
いまは意味不明な行き止まりの坂ですが、かつてはここに御台所御門という本丸の門があったそうです。
駅に戻る途中で石垣が崩れたような箇所を見かけたのですが、修復中でしょうか?
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