鬼ノ城

山陽・山陰旅行1日目、最初の見学地は、岡山県総社市にある鬼ノ城きのじょうです。日本100名城69番、登城77乗目です。

鬼ノ城について

歴史

鬼ノ城は、天智2年(663年)の村江はくすきのえの戦いで敗れた大和朝廷が、防衛のために築いた防衛施設の1つだと考えられています。同様に白村江の戦いの後に建てられた城としては福岡県の大野城がありますが、大野城が日本書紀続日本記で触れられているのに対して、鬼ノ城は歴史資料に名前が出てきません。そのため築城年は不明で、発掘調査によって7世紀後半と推定されています。

構造

標高397mの鬼城山の山頂部を一周するように石塁・土塁を築き、内部にいくつもの建築物を備えた古代山城です。外周部には4つの城門、角楼、いくつかの水門を備えています。現在は西門と角楼、土塁が復元され、見学路が整備されています。その他の城門も所在地が判るようになっています。

いざ登城

鬼ノ城へ公共交通機関でアクセスするのは悩み所です。地図で見ると直線距離での最寄り駅はJR吉備線の服部駅のようなのですが、服部駅はごく小さな無人駅でタクシーの常駐もなさそうなので、二つ先で伯備線と合流する総社駅からタクシーを利用することにしました。

岡山で新幹線を降り、吉備線あらため桃太郎線に乗り換え。いつのまにそんなファンシーな名前になったんだ。僕が乗った車両はピンク一色(と思ったけど、昔の中央線のようなオレンジの塗装が退色してサーモンピンクっぽくなっただけかも)の塗装だったのですが、途中でこんな派手な車両とすれ違いました…。正面には美少年化した桃太郎。

桃太郎は美少年だったのに鬼はマンガっぽい…

と思ったら後半の車両は鬼もイケメン…。
後ろに見えるのは鬼ノ城の復元西門っぽいですから、もしかしたらこの鬼のイメージは温羅うらなのかもしれません。

総社駅到着。総社市は雪舟の出身地だということで、駅前には小坊主だった頃の雪舟の像があります。

ビジターセンター

総社駅からタクシーで20分、運賃3,000円ほどで鬼ノ城ビジターセンターに到着。まずはビジターセンターで100名城スタンプゲット。

ビジターセンター内には展示室があります。
ジオラマがあったので、よく見てどこに何があるかを頭に入れておきます。この写真ではビジターセンターに近い西門が奥、屏風折り高石垣が手前になっています。

復元された西門の模型もありました。

無料のロッカーがあったので、荷物を預けて出発。ロッカーの数は少ないのですがほとんど空いていました。自分の車で来て、車の中に荷物を置いている人が多いのかもしれません。

西門周辺

学習広場

ビジターセンターから見学コースを歩き出して10分ほどで『学習広場』への分岐があります。
名前からして小中学生向けなのかな、と思ってしまいそうですが、実は西門と角楼を一望できる展望台です。

学習広場から見るとこの通り。鬼ノ城を紹介するときによく使われる構図です。
近くまで行ってしまうと見上げる格好になってしまい、全体を見るのが難しくなります。

西門

西門に近づいて、大きさの予想が間違っていたことに気付きました。遠方から見た印象よりはるかに大きいです。そして壁の高さにも驚きです。もっと後の時代の日本の城とはまったく印象が違う、土を固めた壁です。高さも予想外に高く、また傾斜が急で、とても登れないでしょう。

西門の前まで来ました。古代に作られたとは思えない巨大な城門です。

今度は西門を入って内側から撮影。この写真を撮った位置の背後を20mほど登るとすぐ鬼ノ城山頂です。そこまでで引き返す人も多いようです。

角楼

西門のすぐ近くには角楼があります。この角楼は最初は門だと思われていましたが、発掘調査で城壁から13m×4mの長方形に突出する特殊な構造であることが判りました。城壁の死角を補い防御力を向上させるためのものだったと考えられています。

角楼に上ることもできます。

角楼から西門を見ています。城壁の高さが判ります。

それでは西門から、反時計回りに城の外周を一周することにします。

城外周

敷石

外周の土塁に沿って歩いて行きます。右手の壁の外は急斜面です。
石が敷き詰められているのが独特の景観になっていますが、これは通路の舗装良いうよりは補強のためのものです。

第1・第2水門

地図によると、このあたりが第1水門跡の上のはずです。
ここからだと道の右手に石が並んでいるのしか見えませんが、近くの坂から下に下りられるようなので言ってみました。

石積の壁状の構造があり、上部には四角い開口部があります。水門という名前から、川などの流れをせき止める扉のようなものを想像してしまいましたが、どうも雨水・地下水などの水圧で城壁が崩れないようにするための排水口のようです。

今は水が流れていませんが、開口部の下に苔が生えるなど、時々水が流れているような痕跡があります。

南門

南門に到着。早くも1/4周したようです。
南門には西門のような建造物はありませんが、柱が立てられ道の石敷きがあります。間口12.3m、そのうち中央4mを通路とし、奥行きは8.2mという、西門と同規模のものでした。

歩いていると、このような小さな(高さ数十cm程度)祠のような物をいくつもみかけます。もともと中に石仏でも納められていたのが失われたのか…よく見ると奥の壁に何か彫られているような気もするのですが自然の傷かもしれず、結局よく判りません。

磨岩仏

鬼ノ城外周を1/3ほど回ったあたりでこのような物を見つけました。大きな岩が意図的に配置されたような…そして中央の岩をよく見ると…

千手観音でしょうか、岩に彫りつけられています。
よく見ると左側には『五番』と刻まれています。あとでビジターセンターの近くにあった地図を確認すると『三十三観音みち』というコースの一部が鬼ノ城の外周路と重なっているので、その1つのようです。

第4水門

ここは第1・第2水門とは異なり、水がある程度の流々で流れています。山の頂上ちかくなのにこの水量はどこから来るのでしょうか。

下りられる場所が見当たらなかったので上部だけ見ると小川にかかる橋のようになっていますが、長さ11m・高さ4mの構造が作られているそうです。

東門

間口3.3m、奥行き5.6mと西門や南門に較べて小型な門です。扉を入った正面には巨大な岩石があり敵の侵入を妨げる構造です。

鍛冶工房跡

ここでは9基の鍛冶炉と、飛び散った鍛造破片、砥石、羽口はぐち(風を送る装置の口)、鉄滓てっさい(製鉄で生じる不純物の塊)などが発見されています。鬼ノ城を築くために使用した鉄製器具の製作や修理が行われていたと考えられています。いまは埋め戻されて『炉6』などの札が立てられていますが見ただけではよく判りません。

屏風折の石垣

ビジターセンターを出発して50分、鬼ノ城最大のビューポイント、屏風折の高石垣です。

高石垣の上には広めの空間があり、現在は第2展望台ともよばれていますが、柵などが一切無いので端に行くのはけっこう恐いです…。

屏風折の高石垣の近くには、『温羅奮跡』と描かれた碑があります。温羅うらとはかつて吉備(岡山)を支配した鬼で、鬼ノ城を根拠地としていたという伝説があります。温羅は崇神天皇が派遣した四道将軍の一人である吉備津彦によって討伐された、という伝承が桃太郎の物語の元になっているともいわれています。

崇神天皇の在位は白村江の戦いよりずっと古い時代なので、鬼ノ城が城として整備されるよりも前の話と言うことになります。伝承では温羅は空を飛ぶ能力があるなど人外の存在として描かれていますが、実際には渡来人の集団がこのあたりに住み着き、大和朝廷によって討伐または併合された、ということかもしれません。

北門

高石垣を過ぎて城の北側にいくと、ひたすら崖が続くだけで門や水門などの構造はほとんど見られなくなります。鬼ノ城は南側が前面、北側が背面となっているようです。この北門は城の北側で唯一の城門です。西門や南門に較べて小型の城門です。

城内へ

北側の外周には北門以外に大きな構造はなさそうなので、北門先の通路から城内部に入ってみることにしました。

建物群跡

このあたりは鬼ノ城の中心部分です。7棟の礎石建物が発見されています。須恵器を利用した硯が出土していることから管理・運営の施設であったと考えられる建物や、柱のすべてに礎石が置かれていることから重量のかかる高床式倉庫だと考えられる建物などがあります。

この後、建物群跡から西へ続く道があったので、それを通って西門に戻りました。

データ

Webサイト総社市公式サイト内の鬼ノ城紹介
Google Map鬼ノ城
アクセス総社駅よりタクシー利用
100名城スタンプ鬼ノ城ビジターセンター
(開館時間内のみ、休館時の代替施設なし)
開館時間09:00~17:00(最終入館16:30)
休館日毎週月曜(祝日の場合は直後の平日に振替)、年末年始
入場料無料
備考ビジターセンター内にロッカーあり(開館時間内のみの利用、6人分)
駐車場あり(ただし大型車は通行不可)

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