今回宿泊したのは、唐津駅から徒歩5分ほどの場所にあるビジネスホテルでした。ここを選んだ理由は、値段の安さもあるのですが…6:30から朝食が食べられること。朝7時台のバスで最初の見学地に向かいたかったのです。
バイキング形式で、ポタージュスープ、サラダ(という名の千切りキャベツw)、ミニハンバーグのような物、パン、フルーツポンチ(缶詰だろうなw)。まぁ、値段を考えれば悪くはないかな…。ここまで毎日コンビニのサンドイッチをバスや電車の中で囓るような食生活でしたから、朝から温かい物が食べられたのは素直に嬉しいですね。
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7:40。唐津大手バス停から名護屋城方面行きのバスに乗車。
駅前広場からではないんですね。
…例によってほとんど人が乗っていません…。
8:20頃、【名護屋城博物館】到着。
博物館の開館時刻は9:00ですが、名護屋城趾は入城自由なので、さきにそちらを見ることにしました。
車道から名護屋城にむかって上っていく途中。
これも名護屋城の井戸の遺構です。
駐車場建設のための事前調査で発見されたのですが、その後しばらく水が湧き出していたそうです。
ここが名護屋城の『入口』。
広場になっていて、案内所?などがありました。
(時間が早かったためか人はいませんでしたが)
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名護屋城は、文禄・慶長の役(秀吉の朝鮮出兵)の際に築城されました。加藤清正らが普請奉行となり、大阪城に次ぐ大規模な城郭として完成。周辺には各大名の陣屋も配置され、数kmにわたる一帯が朝鮮出兵のための一大軍事拠点を形作っていました。
しかし、出兵が失敗に終わった後は無用の長物となってしまい、間もなく名護屋城は解体。一部の材木等は唐津城(次の記事で書きます)の築城に利用され、現在は石垣しか残っていません。
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…という事前情報から、現着するまでは他の城の本丸+天守台程度の物が残っているだけなのかと勘違いしていたのですが、、、
広い、広い、広ーい!
大阪城に次ぐ、という縄張りの周囲をぐるりとめぐる石垣がそっくり残っています。
【大手口】
先ほどの広場の写真で、右手方向に入った位置。
このあたりが大手口、城の正門です。
…といっても、現在は門があるわけでもなく、単なる上り坂の始まり、というだけです。
【東出丸櫓台】
大手口まっすぐ登り切った所にある東出丸。
それほど広くはない長方形の陣地です。
大手口と三の丸の警護のための侍詰所があったと考えられています。
【三ノ丸】
東西68m×南北124mとかなりの広さがあります。
本丸を警護する侍たちがここに詰めていと考えられています。
写真は360°一周分あります。
屋敷などは現存していないので、ただの林のようです。
道は平成時代になってから整備された物で遺構ではありません。
【本丸大手】
三ノ丸から本丸へと至る通路で、途中でL字型に曲がっています。
写真左側の下っていく方が三ノ丸側、写真を撮っている位置の右手広報が本丸です。
当時は2層の大きな門があったそうです。
【本丸】
東西100m×南北110mのほぼ正方形をしています。
各辺は東西南北にむかい、本丸大手は南東の角にあたります。
本丸大手とちょうど対角になる位置に天守台があります。
調査中なのか中央部がシートで覆ってありました。
【天守台】
天守台は本丸の北西の角にあります。
江戸時代に天守台石垣も破壊されたと考えられています。
かつては5層7階建て(25~30m)の天守閣が建てられていたと考えられています。
天守台上面。
現在は礎石が見られるのみです。
天守台からの眺望。
すぐ下に見えるのは二ノ丸と遊撃丸。
その向こうには諸大名の陣屋が点在しています(どこだかわかりませんね^^;)
さらにその向こうは海…。
秀吉もこれを眺めて大陸への野望を膨らませていたのでしょうか。
【本丸多聞櫓跡】
本丸、多聞櫓跡。
本丸西側と南側は、いったん城が完成した後に拡張を行ったようです。
拡張部分に築かれた多聞櫓の礎石部分です。
同じような写真ばかりになってしまうので掲載はしませんが、
他にも櫓の礎石などがいくつか復元・見学できるようになっています。
【本丸新石垣櫓台】
拡張された石額の上に新たに作られたと考えられている櫓台の後です。
現存しているものは長方形に見えますが、東西・南北ともに6m程度の正方形だったと考えられています。
【旧本丸石垣】
拡張の際、もともとの石垣はそのまま埋められました。
その一部を発掘し、見学できるようになっています。
見られるのはここだけですが、本丸の西・南側の辺はずっとこのように石垣が埋まっています。
ふたたび三ノ丸に下りて、今度は二ノ丸の方へ向かいます。
【三ノ丸櫓台】
名護屋城内で、天守閣を覗けば最大規模の櫓台です。
【馬場】
本丸南側にある、三ノ丸と二ノ丸を結ぶ長さ100mの直線通路です。
ここで乗馬の訓練をおこなったといわれています。
【二ノ丸】
本丸西側。
武器、兵糧などの備蓄や、その管理をする係の詰所があったそうです。
【弾正丸】
二ノ丸から搦手口へと続く位置、名護屋城取締本部のあった場所。
取締役、浅野弾正長政にちなんでこの名で呼ばれているそうです。
この後、搦手口から場外へ。
1周するのに1時間以上かかりました。
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【名護屋城博物館】
名護屋城趾のすぐ近くに、関連する博物館があります。
…あるのは行く前から知っていたのですが、これも想像していたよりはるかに大きく立派な博物館でした。展示のボリュームも相当あります。
#撮影禁止だったので写真はありません
展示内容は、
名護屋城そのものに関するもの
名護屋城築城前後の歴史
日本と朝鮮半島の関わり
など。
広い展示室で資料点数も多く、かなり見応えがあります。
名護屋城ジオラマもあります。これだけでも写真を撮りたかった…
(今になってどの写真がどう繋がるのかさっぱり判らずw)
あれだけの内容で入館無料なのでかなりお得感が(笑)
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さて、ようやく見終わったのは10:00すぎ。
次のバスはいつだろう?と博物館受付で尋ねたら、、、
『ええと…11:55ですね』
…orz
『呼子までいけば、1時間に2本くらいはバスがあるはずですよ』
と教えてもらったので、呼子へ移動…
って道わかんねーよ!
たとえ道が判っても、炎天下3~4kmの移動はちょっと危険かも…
というわけで、とりあえずバス停近くにある【道の駅・桃山天下市】まで行き、そこの観光案内所でタクシーを呼んでもらいました。
運良く、呼子バスセンター発の急行バスにすぐ乗ることが出来、11時すぎには唐津大手に到着。
次は、名護屋城の遺材も使われているという唐津城へと向かいます。
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【名護屋城趾】
唐津大手バスセンターよりバス利用
または呼子よりタクシー利用
見学随時
【名護屋城博物館】
佐賀県東松浦郡鎮西町名護屋
開館時間:9:00-17:00
休館日:月曜(祝日の場合は翌日に振替)、年末年始
入館料:無料
標準見学時間:城趾とあわせて1時間半。ゆっくり見たいなら2時間以上。