松山城 その3

天守広場

天守広場です。初期方向正面にいま入って来た筋金門すじがねもん、その左手に天守がそびえ、そのまま左回りに内門うちもん、唐破風があるのが玄関多門櫓げんかんたもんやぐら、その隣、角にあるのが北隅櫓きたすみやぐら、横に長く続く十間廊下じっけんろうか、次の角にあるのが南隅櫓みなみすみやぐら、そして多門櫓たもんやぐらを経て小天守にいたり、一周して筋金門に戻ります。

さてどこから入ればいいのだろう、とつい立派な唐破風のある玄関に行きそうになりますが、現在はこちらからは入れません(玄関多門櫓の中には行くことができます)。

実は、この天守石垣の下にある小さな開口部が見学者入口です。ここは天守から外に直接出入りできる唯一の開口部です。

連立天守

穴蔵

天守台石垣は高さ4m、その中の空間は穴蔵と呼ばれ、地下室という扱いです。内装は防腐性のある樟、床には湿気を避けるため素焼きのレンガが敷かれ、倉庫として使えるようになっています。米二千俵が貯蔵可能と言われています。

ここでスリッパに履き替えて上へ(鍵のかかる靴ロッカーがあります)

内門

穴蔵から天守1階に上りますが、そのまま天守のさらに上へ登るのではなく、先に天守広場を囲む櫓内部を反時計回りに一周して、それから天守に登る見学コースが設定されています。

まずは内門の2階。

玄関多門櫓

玄関多聞櫓へ。左手の開口部が先ほど外から見た唐破風の玄関、奥の部屋は北隅櫓です。

北隅櫓

北隅櫓の中は、鎧などの展示室になっています。

十間廊下

十間廊下には刀剣類がずらり。

狭間が密に並んでいます。天守広場側ではなく本壇の外に向いています。

南隅櫓

南隅櫓の中には能管(笛)など藩主松平家に伝わる品が展示されています。

多聞櫓

多門櫓の中も展示室になっています。

この『赤心報国せきしんほうこく』の書は、鳥羽伏見の戦いにより松山藩に追討令が出されたとき、松平勝成まつだいら かつしげが恭順の意を表すためにしたためたものです。当時松山藩主は勝成の子・定昭さだあきでしたが、定昭は抗戦を主張していたため、土佐藩によって松山城が接収された後に蟄居となり、恭順の意を示していた勝成が松山藩主に再勤することになりました。

多門櫓内に展示されているこの伊予四季図屏風は、松山藩絵師遠藤宏実(1784~1862年)の画です。4つの面には右から初春、夏、秋、冬の情景が描かれています。

小天守

小天守1階

本壇の外側にあたる角には狭間石落としが見られます。
石落としも、実は名前に反して石を落とすのではなく射撃のために使われていたそうです。

城の建築に関する展示がありました。これは木組みの見本。

こちらは天守の修理の際に発見されたものの展示です。
まず奥にある奇妙な形の板は、懸魚げぎょという、破風の飾り板です。

こちらの細長い木の板は、それ自体が特殊な部材というわけではないのですが…

よく見ると誰かの似顔絵の落書きがあります。天守再建当時の大工が、作事奉行をモデルに描いたものだとか。

小天守2階

小天守は2階に上ることもできます。

小天守2階から一ノ門方面を見下ろしています。攻められた場合は、一ノ門~二ノ門を突破しようとしている敵を背後から銃撃することができます。

小天守から天守を。天守は周囲を櫓や塀に囲まれていて本壇の外からだと下層が見えず、かといって本壇に入ってしまうと距離が近すぎて見上げる格好になってしまうので、このように別の櫓の2階から見るのが天守全体の形状が判りやすいと思います。

つぎはいよいよ天守へ。

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